もう何度も死にかけたことのある私は、
死ぬのは全然こわくないが、長生きをしてしまうのは怖い。
長生きをして、身体の自由がなくなっても生き続けることが怖い。
今でも難聴で、ずいぶん不自由があるが、
これが目が見えない、歩けないの不自由まで加わると、機嫌よく生きていられる自信がない。
もうすでに、目も強い近視であるから、かなりの不自由はある。
また現在は歩けているが、
しばしば腰痛や膝痛を起こすから、早晩歩くことにも支障が出るかもしれない。
長生きをすると、こういう不都合が強化されるのは自明だから、長生きが怖い。
もう十分生きたという気持ちもあるから、今すぐに死んでも悔いはない。
それと、もう一つ加えれば、
現在少子高齢化が叫ばれているが、
子供を急に増やすことはできないから、この少子高齢化を解決する一つの方法として、
年寄が早く死んでやるということも手っ取り早い解決策のように思える。
が、決して人生を悲観して、死にたいというわけではない。
私は、人の魂は永遠と信じているから、
この世から身体は消えても、私という魂は死なないと信じている。
だから、死ぬことは全然こわくないのだ。
この日曜日に実家の家族の墓参に行ったときも、
父、母、兄に、「私も早くそちらに行きたい」とお願いしてきた。
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★死ぬことは怖くなけれど長生きをするは怖かりコスモスの花
★難聴の耳で長々生きることしたくなければ死を待ちてゐる
★結婚し子供も産みて育て上げこの上生きる必要ありや
★三人(みたり)子の子の顔も見て満たされてゐるなり今は 四人(よたり)の孫よ
★父と母たつた一人の同胞(はらから)も亡くなりしかば死に親しめり