かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

お墓からの帰り道〜ごめんまち駅で降りて親友の家に

2019-10-06 13:22:52 | ブログ記事
お墓のある山に登るとき、地元の人には祖父の実家だった家の前の道はなくなったと聞いたのでしたが、お墓の帰り道に昔の記憶をたどりながら降りてくると、祖父の実家のあった集落は無くなっていず、ちゃんとありました。



登り口が、車用に拡張されていたから見間違ったようでした。

昔は人が2,3人が歩ける程度の幅で石畳の道でしたから。

父の従兄が定年退職後に帰ってきて住んでいた家はまだ十分人が住めそうな家だったのに、「とりこわし決定」という張り紙が張られてありました。

祖父の実家だった空き家は、ぼろぼろになりながらも、まだありました。

このあと、ここから下道に降りて、日陰のない田んぼの中の道を駅まで歩くのが苦行でした。

この赤野という地区は何で田んぼは下の平地にあるのに住宅は山にあるのか子供の頃から不思議でしようがなかったのでしたが、東北大震災の津波のニュースに接したりして、この赤野も、大昔の南海地震のとき、津波に遭った過去があったのかもしれないと思い至りました。

親戚の誰にも、そんな話は聞いたことはありませんが、私がそう直感したのです。

やっと赤野駅に。

運良く電車は、すぐ来ました。

田舎では、電車が出た直後だつたりしたら一時間待ちはザラですから、よかったです。

が、このまま高知駅まで直行で行ってしまうと駅前のホテルのチェックイン時刻に早すぎるので、いったん義父の実家のあったごめんまち駅で降りました。


駅の向こうの田んぼの中に我が家のお墓はあるのですが、今日は、もう歩けません。


ここでお墓の方向を拝んでから、また電車に乗って高知駅まで戻ることにします。

と書いたところで、やはり親友に会いたくなり、夫にメールして電話で親友の都合を聞いてもらいました。すると彼女もぜひ会いたいと言っているというので、くろしお鉄道で高知駅に戻ることはやめて、後免町から土佐交通の路面電車で親友の家に行くことにしました。

なぜ親友に会うのにこんな手間がかかるかというと、親友は、現在、ほぼ失明していて、メールのやりとりができないからなのです。

そういうわけで急に行くことに決定して、向こうでは夕飯の時間になるから、南国市のスーパーでお惣菜をいくつか買いました。

本当は後免駅の近くに適当なお店があれば楽だったのですが、後免駅も昔の賑わいはまったくなく、開いているお店すらない状態ですから、仕方なく少し離れたスーパーまで歩いて行きました。

既にお墓参りで疲れ果てていた私は、腰の痛みに耐えながらの歩行でした。

田舎に暮らしていたら、年を取るほど車がより必要になるということがよくわかります。

このあと路面電車に乗って高知市内の親友の家まで行き、積もる話をしました。

ホテルには午後6時チェックインの予約をしてあったから、目は見えなくても耳の聞こえる親友に、ホテルには夜遅く行くことを電話してもらいました。

結局、午後9時までお邪魔してしまいました。それでも話し足りなかった!

親友のご亭主が「なんでホテルの予約をする。うちに泊まってくれたらいいのに…」と怒ったように言ってくれましたが、親友はほぼ全盲だし、そのご亭主はクモ膜下出血の後遺症で障害者なので、泊めてもらうのは遠慮してしまうのです。

ちなみに、この御亭主は私の兄の高校時代の同級生なのです。

そういう事情で気兼ねがいらないから、以前は実家があっても、この親友の家に泊めてもらったりしていましたが…。

しかし、それにしても、高校時代の親友同士、かたや高度難聴で、かたや失明寸前とは、いかなる神の配剤でしょうか。

赤野駅

2019-10-06 10:28:07 | ブログ記事


海と逆の山沿いに、わが祖父母の育った村があります。

写真の真ん中辺りの道を歩いて山の麓まで行き、お墓のある山の中腹まで登らなければなりません。

10月6日の今日も夏日になる予報の高知県。

果たしてわたしはお墓までたどり着くことができるでしょうか?

地元の人に現在地元の人たちの使っている道を教えていただいてから登っています。

途中で一休みした場所からの眺めです。

太平洋が盛り上がって見えます。

やっと実家のお墓に到着。

お寿司と田舎まんじゅうをお供えしましたが、線香に火がつかず、あまり長いあいだ炎天下に生ものを晒すのはよくないと片付けました。で、写真を撮ることを忘れていました。



兄のお墓も同様です。

お昼を過ぎたから、お墓の前で、仏様から下げたお寿司とおまんじゅうをいただきます。


お寿司がおいしかったです。味噌まんじゅうというのは一個だけ食べましたが、これも素朴なおいしさでした。

わたしは、この田舎寿司を食べたくて帰省したのかもしれません。

午後一時になりました。

こんなに長い時間お墓の側にいたのは初めてです。

そろそろ帰りますが、あとの時間はどうしようかな。

高校時代の親友に会いたくもあるけれど、連絡してないし、私は電話ができないから、こういうとき困ります。😔

それにしても暑い!
____

*安芸を出て球場前の駅すぎて穴内駅を過ぎて赤野に

*わが父祖の眠れる村はわが父母も兄も眠れる山沿ひの村

*父方の祖父の実家に登る道なつくさ茂り蜘蛛は巣を張る

*サンダルで来たりしわれの足を刺す蔓草のあり祖父の田舎は

*一族のいち人すらや棲まざれば墓のみ残る古里の村

_______`

お墓から遠く木々の合間に見える太平洋です。



父も母も兄も太平洋を見ながら眠っています。

土佐くろしお鉄道に乗ってお墓参りに

2019-10-06 07:34:45 | ブログ記事
高知駅から土讃線安芸行きに乗ります。

私は安芸までの直行の電車に乗るのは初めてです。

目的地の赤野駅に行くには普通に乗らないといけないのですが、いったん安芸市の安芸駅まで行って戻ることになります。

赤野も一応、安芸市になるのですが…。

快速とあるから、どんな電車かと思ったら1輌電車だったから、びっくり。

1輌だけですが、トイレもついているから、安心です。😊

電車の中は、こんなふうです。

右奥にトイレがあります。

後免駅からは土佐くろしお鉄道になるのですが、この沿線の眺めの素晴らしいことといったら、もう百万ドルです。😊

写真を写せたら写しますが、進行している車窓からの撮影は至難ですので、ご期待に添えない可能性が高いです。

土佐大津です。

むかし紀貫之が土佐に赴任していたころは辺りは海だったようですか、今は面影もありません。

後免駅です。

義父の実家のあった街です。

私達が子供の頃は、それなりに賑わっていた街でしたが、今は駅前も閑散としています。

ごめんまち駅です。高知からくる土佐交通路面電車終点駅への乗り換え駅でもあります。

ここで降りれば、我が家のお墓に行けますが、今回は行きません。

香長平野真っ只中の野市町の「のいち駅」です。

 
どろめの街である赤岡町の「あかおか駅」を出ました。


ここからは海沿いを走ります。

夜須駅、和食駅と海を見ながら走ります。


昔ながらの松林のある海岸線です。

次は球場前駅、そう阪神タイガースのキャンプ地「安芸ドーム」のある駅です。


童謡の町、安芸駅に到着。


安芸市は広田龍太郎生誕地です。



弘田龍太郎の作品です。


お墓参り用のお寿司、お菓子、お花を買うため、駅にある市場に。

最初は高知のお城下の日曜市で買っていこうと思っていましたが、日曜市は広くて時間をとるから、安芸駅で買うことにしたのです。

お寿司です。


お菓子も。


まあ、自分が食べたいものを買うということですが…。

お花も買います。



      *

車中に貼ってある広告を見ると、ごめん、なはり線乗り放題切符というのがあるようです。1670円とありますから、高知、安芸間片道1100を往復二枚買うより、そちらを買ったほうが安かったようでした。