神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

Internet TV 神田祭.ch中継終了

2015-05-10 20:42:35 | 宮入順

本日、朝8:30より中継させていただいた「Internet TV 神田祭.ch」!

12時間にもおよぶ生中継も無事に終了いたしました。

 

臨場感たっぷりの宮入の様子、お楽しみいただけましたか?

 

 

ゲストとして本多真梨子さん、佐々木未来さん、楠田亜衣奈さん、稲川淳二さんにお越しいただきました。

 

長時間、お付き合いいただき、ありがとうごうざいました~

 

 

by STAFF 一同

 


日本橋四の部地区連合  東日本橋二丁目町会

2015-05-10 20:20:14 | 宮入順

【町会の特徴】

東日本橋二丁目町会はかつては両国と呼ばれていました。

両国と両国橋の西側の町に、明暦の大火後の万治2年(1659)に橋が架かり、交通上賑やかな地となりました。

火事の多い江戸に鑑みて二度と災害の悲劇を繰り返さぬ様にと各所に火除地を設けました。

両国にも中央区側に広小路が出来て、防火や避難に役立つ広場が設けられました。

いつの間にかこの空地を利用して軽業や見世物小屋が並び、水茶屋、喰べ物見世などで江戸で一番の賑やかで、華やかな場所になっていきました。

その賑やかさ・混雑ぶりは大変なもので、様々な本に出ているほどでした。

 

維新後は商店の並ぶ繁華な市街に変わって、面目一新した賑やかな商店街になっていきました。

 

また、米沢町は、多くは船宿の中心地であり、両国の川開きや花火と共に忘れることの出来ない町です。

 

米沢町から元柳町にかけては、船宿と共に有名な柳橋花街です。

これが両国の景況を明治になって支えていたといえます。

 

尚、平成15年には開府400年をお祝いして船渡御を挙行しました。

今年は御遷座400年を奉祝するということで、12年振りに再び船渡御を挙行致します。

 

町会の該当区域は、東日本橋二丁目全域となっています。

【神輿の特徴】

東日本橋二丁目町会の神輿は、昭和35年、宮本重義により作られました。宮入の熱気と迫力を感じてください!



日本橋四の部地区連  東日本橋三丁目橘町会

2015-05-10 20:00:06 | 宮入順

 【町会の特徴】

東日本橋三丁目橘町会は古くは橘町と呼ばれた地域で、昭和46年の住居表示実施で現町名になりました。

江戸の初期には西本願寺の別院やその末寺がありました。

この西本願寺別院は元和7年(16213月准如上人が創建したもので、江戸海岸御坊、と呼ばれたと言います。

明暦の大火で、お堂の建物は延焼し跡形もなくなり、築地に移転復興しました。

 

その跡地は松平越前守の邸地となり、天和3年(1683)の邸地移転に伴って、町地になりました。

西本願寺のあった頃、門前に立花を売る店が多かったので、町の名を橘町と付けたと言われています。

 

当町会は繊維関係の問屋が多く、今でも着物が似合う粋な旦那衆が町会を支えています。

町会の該当区域は、東日本橋三丁目全域となっています。 

【神輿の特徴】

東日本橋三丁目橘町会の神輿は、昭和42年に新たに町会有志にて寄贈されたものです。

紺に染め抜いた青伴天の青年部とグレーの伴天の一般担ぎ衆、総勢150名により宮入を行います。


江戸神社奉賛会

2015-05-10 19:20:05 | 宮入順

【町会の特徴】

江戸神社奉賛会は旧神田市場の関係者で構成されています。

 

江戸神社は、江戸最古の神社で永く神田多町に青果市場があった江戸時代から市場関係者の間で守られてきた神社です。市場が秋葉原から平成元年に大田に移転してからも今日に続いています。

 

現在、神田神社の摂社として境内のお社にお神輿が祀られています。

  

【神輿の特徴】

当神社の神輿は「青果市場の神輿」、「神田市場の千貫神輿」と呼ばれ、約200人で担がれる大神輿です。

戦後昭和33年、当時の技術を結集して浅草小鳥町の鹿野喜平が製作しました。他に類を見ない金物関係は大阪造幣局にいた名錺師阿部長次郎が製作しました。神輿の静の美しさと、宮入時の動の華やかな姿を是非ご覧ください。

 


秋葉原東部地区連合 神田和泉町町会

2015-05-10 19:05:20 | 宮入順

【町会の特徴】

1657年(明暦3年)、大火の後に伊勢津藩の藤堂和泉守の大邸宅と出羽鶴岡藩の酒井左衛門尉をはじめとした幕府諸役人の武家屋敷が建ち並んだこの地は、町の大部分を占めた藤堂和泉守の邸にちなんで「和泉町」と名付けられました。1868年(明治元年)、東京医学所が置かれ、後に大学東校、東京医学校等に改称され、現在の東京大学医学部の発祥の地となりました。また、1909年(明治42年)現在の三井記念病院の前身である三井慈善病院が設立されました。広大な和泉公園は1975年(昭和50年)農林省東京食料事務所跡地を4年間に及ぶ住民運動により獲得し、地域の憩いの場として整備したものです。

 

【神輿の特徴】

神田和泉町町会の神輿は秋葉原地区では一番の大きさを誇ります。

その大きさたるや、25寸、重さは500キロにも達します!

当町会を愛して止まない担ぎ手350〜400人で宮入を行います。

必見ポイントは社殿前です。

前に進もうとする担ぎ手衆と、それを押さえようとする、町会青年部との間の攻め技合いです。

是非ご堪能ください。