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小川町連合

2007-05-13 12:25:07 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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小川町連合【おがわまちれんごう】は小川町三丁目西町会【おがわまち3ちょうめ にしちょうかい】、小川町北部一丁目町会【おがわまち ほくぶ1ちょうめ ちょうかい】、小川町北部二丁目町会【おがわまち ほくぶ2ちょうめ ちょうかい】、小川町北三町会【おがわまち きた3 ちょうかい】の4つの町会の連合となっています。

 戦前小川町全地域は一つの町会であったが、靖国通りを境に北部と南部の二つに分離され、その後昭和22年に小川町北部町会が四町会に分割され、今の状態になりました。

 小川町の名前の由来は、このあたりに清らかな小川が流れていたからとも、「小川の清水」と呼ばれる池があったからともいわれています。江戸城を築いた室町時代の武将、太田 道灌【おおた どうかん】が「むさし野の小川の清水たえずして岸の根芹【ねぜり】をあらひこそすれ」と詠んでいます。

 明治時代、小川町には西洋料理店やビリヤード場、小川町警察署などがあり、学生たちで賑わう街でした。また、町内で生まれ過ごした昭和期の小説家、永井 龍男【ながい たつお】を輩出した街です。

 町会の該当区域は小川町一・二・三丁目のほぼ全域となっています。


 戦後、子ども達にとってこれといった楽しみが無かった頃、神田祭は非常に待ち遠しいものでした。
当初町会には、子ども神輿と中神輿、そして太鼓の山車があり、子どもの数も多かったので活気に満ちていました。しかし、子ども達も大きくなってくると大きな神輿が欲しくなり、有志が集まり趣意書を作り、毎月の定額積み立てを2年間続け、ついに昭和61年3月に2尺5寸の大神輿を調製しました。
それ以来、祭の度に町会員やその知人が多数集まり、賑やかに楽しくお神輿を担いでいます。


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