神田駅東地区連合 紺屋町南町会の宮入です。
紺屋町南町会は慶長年間(1596~1615)に徳川幕府の江戸城下に割り当てられた地域で、藍を扱う商人とそれを使用して藍染めをする職人達が多く住んでいたことから紺屋町といわれる様になりました。
全国の城下町には数多くの紺屋町があり、又、江戸にも三ヶ所ありましたが、現在の東京には神田紺屋町が残っているのみとなっています。
その後、併合や分割などを経て今日の地域になりました。
今川中学校の正門の前のブロックです。
中間に北乗物町がありその北と南に分かれているので、戦後昭和30年2月にGHQによって解散させられた町会を復活し南に当たるので紺屋南町会として新たに発足いたしました。
町会の該当区域は紺屋町1~25となっています。
【神輿の特徴】
紺屋町南町会の神輿は、平成11年、町会員の飯田昭次郎の手により作られました。
紙と木で作られた神輿です。今年が2回目の宮入です。