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司町二丁目町会

2007-05-13 14:58:18 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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「司町二丁目【つかさちょう2ちょうめ】」は、「新銀町【しんしろがねちょう】 、雉子町【きじちょう】 、関口町【せきぐちちょう】 」等が合併し、昭和10年に設立しました。

 新銀町【しんしろがねちょう】は江戸時代に銀細工を扱う者が住んでいたことに由来し、明治5年に設立しました。

 このうち雉子町【きじちょう】には、『江戸名所図会』 【えどめいしょずえ】を親子三代にわたって完成させたことや、『東都歳事記【とうとさいじき】 』『武江年表【ぶこうねんぴょう】 』などで有名な、斎藤 月岑【さいとう げっしん】が住んでいました。斎藤家は代々、雉子町【きじちょう】の名主をつとめていました。

 関口町は江戸時代に開かれた町屋で、関口弥太郎【せきぐち やたろう】という人物が草創名主【そうそうめいしゅ】だったので、それに因【ちな】んで名付けられたといわれています。
 
 町会の守護神として、「真徳稲荷【しんとくいなり】神社」が祀られており、五穀豊穣【ごこくほうじょう】、悪疫鎮護【あくえきちんご】、商売繁盛の神様として現在に伝えられています。

 昭和22年、神田区と麹町【こうじまち】区が合併して千代田区が成立すると、司町二丁目【つかさちょう2ちょうめ】は神田司町二丁目となりました。その後、「神田」が無くなり、司町二丁目となり、現在に至っています。

 町会の該当区域は司町二丁目全域となっています。


 当町会の神輿は昭和27年、宮本重義【みやもと しげよし】の手により作られました。大きさは2尺5寸で、二重台座【にじゅうだいざ】になっています。本塗【ほんぬり】の屋下総金箔押【おくか そうきんぱく おし】で彩られています。台輪の四方には四神【しじん】彫刻が入っています。総勢400名の担ぎ手で、750キロの神輿を担ぎます。平成13年に大補修をしました。丈は低いですが、重厚な神輿となっています。連合の中でも一番の神輿であると自負しています。



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1 コメント

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司二の宮入子供神輿の脇から覗かせて頂きました。... (夏に踊りのみち藤)
2007-05-13 17:52:30
司二の宮入子供神輿の脇から覗かせて頂きました。無事宮入おめでとうございました。そして私も無事江戸期の番付三河町四丁目の武内宿禰のある江戸から十二里の町へ戻りました。元気な皆様にお声もかけられずすみません。夏の神田公園にはまた御邪魔させて頂くつもりです。
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