神田須田町二丁目町会が宮入りしてまいりました。
現在の神田須田町二丁目が生まれたのは、昭和8年になります。大正12年(1923年)の震災復興の区画整理の際に、「元柳原町、柳町、小柳町、平永町など」の町が合併され、いまの町の区域が定められました。
関東大震災から22年後の昭和20年3月の東京大空襲では、東京の東半分がほぼ焼き尽くされましたが、須田町二丁目は町の人々が一致団結して防火にあたったため、町内の一角は戦火をまぬがれることができた、といわれています。
戦後、須田町二丁目周辺は、ラシャの切り売りなどを生業(なりわい)とする業者が集まり、一時は日本一といわれるほどの繁盛ぶりを示しました。現在、この地域には衣料関係の会社が多く集まっています。
昔から祭り好きの人たちが多い土地柄ですが、この界隈には、神田神社・柳森(やなぎもり)神社・下谷(したや)神社の氏子(うじこ)が集まり住んでいます。いまでもこの須田町に住む人々は、お祭りの他、様々な町内イベントを行っており、伝統・文化を守り続ける町会です。
町会の該当区域は、須田町二丁目全域となっています。