鍛冶町一丁目町会の宮入りです。鍛冶町一丁目町会で40町会目になります。
鍛冶屋町は、慶長8年(1603年)の市街地造成の際につくられた町屋です。 ちなみに「鍛冶」という名は、町が生まれた当初、江戸幕府お抱えの鍛冶方棟梁(かじかたとうりょう)だった高井伊織(たかいいおり)が、この地を幕府より拝領して屋敷を構えたことに由来するとされます。多くの鍛冶師、鋳物師、釜師などが集まって築城用金物をはじめとして、建築用金具、鐘、鍋、釜などを製造する一大工業地帯となっていました。
鍛冶町は、江戸時代の武士や庶民にとって必要不可欠な金属製品を提供し、日常生活をささえ続けた町でした。
昭和8年、震災復興の区画整理の際に町名変更が実施され、塗師町の一部、千代田町の一部、西今川町、西福田町の一部、南乗物町の五ヶ町を一つとした「鍛冶町一丁目」が生まれました。
町会の該当区域は、鍛冶町一丁目全域となっています。