鍛冶町は、慶長【けいちょう】8年(1603)の市街地造成【ぞうせい】の際につくられた町屋【まちや】です。ちなみに「鍛冶【かじ】」という名は、町が生まれた当初、江戸幕府お抱えの鍛冶方棟梁【かじかたとうりょう】だった高井 伊織【たかい いおり】が、この地を幕府より拝領して屋敷を構えたことに由来するとされます。多くの鍛冶師【かじし】、鋳物師【いもじし】、釜師【かまし】などが集まって築城用金物【かなもの】をはじめとして、建築用金具、鐘【かね】、鍋、釜などを製造する一大工業地帯となっていました。
鍛冶町【かじちょう】は、江戸時代の武士や庶民にとって必要不可欠な金属製品を提供し、日常生活をささえ続けた町でした。
昭和8年、震災復興の区画整理の際に町名変更が実施され、南乗物町【みなみのりものちょう】等の五つの町を一つとした「鍛冶町一丁目【かじちょう1ちょうめ】」が生まれました。
町会の該当区域は、鍛冶町一丁目全域となっています。
当町会の神輿は神田明神の氏子町会の中で、数少ないの入母屋造り【いりもやづくり】の神輿の一つです。総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。秋葉原電気街での神輿振りは必見です。