青色鉄道模型運転会

一宮市青色申告会ホールで開催されている、鉄道模型運転会公式ブログです。Xアカウントは@railaoiro138a

高岡大仏を見る

2015-08-15 21:00:00 | 日記
皆様、こんばんは。
事務局です。

15日の一宮市内は、昨日に引き続き、晴れの天気、暑い気温も継続しています。

今日は「終戦記念日」でした。

正午に、黙祷のサイレンが鳴った地域もあるようです。

今日は、富山県高岡市中心部に鎮座しています、「高岡大仏」のお話を書いていきます。

写真は、逆光のため、高岡大仏を、後方から撮影したものです。

皆様、「日本三大仏」といいますと、

(1)東大寺・奈良の大仏
(2)高徳院・鎌倉大仏
(3-1)大佛寺・高岡大仏
(3-2)正法寺・岐阜大仏

と考えられる方は多いと思います。

調べてみましたところ、専門家の間では、「三大仏」という言い方はしないそうです。

正しくは「二大仏」なんだそうです。

理由は、大仏の歴史や格を総合して比較すると、高岡大仏や岐阜大仏は、二大仏より、格下になってしまうからだそうです。

寂しいお話から入りましたが、ここからは、高岡大仏の規模や歴史などを見ていきましょう。

高岡大仏は、大佛寺に鎮座します、「銅製阿弥陀如来坐像」です。

全体の高さは15m85cm。
坐像の高さは7m43cm。
顔の大きさは2m27cm。
指の太さは64cm。
光背の内径3m64cm。
総重量13,125kg。

1221年、二上山の山麓に、源義勝によって、約5mの木造大仏が建立される。

1609年、前田利家によって現在の地周辺に移転されるも、のちに焼失。

1745年、坂下町の極楽寺第15代住職・等誉上人の尽力によって、金色の木造大仏が再建される。

1821年、再建された大仏が焼失。

1841年、大仏が再建される。

1900年、高岡大火により、大仏も焼失する。

1907年、燃えない大仏の再建を望む声が高まり、松木宗左衛門が発願して再建が始まる。

1932年、原形師・中野双山などの、高岡銅器の職人の協力によって、銅製大仏がほぼ完成する。

1933年、大仏が完成して、開眼供養祭が執り行われる。

1958年、銅製大仏に光背が増設される。

1980年、補修がおこなわれ、約11m後退して、現在の場所に移動する。

1981年、高岡市指定有形文化財に指定される(4月15日)。

2007年、再補修がおこなわれる。

歴史を見てみますと、大仏は何度も焼失しています。

1221年に建立された際、木製ではなく、金属製の大仏でしたら、歴史や格も十分ありましたでしょうから、奈良の大仏や鎌倉大仏と、同列に扱われていたかもしれません。

大仏の台座下には、無料(6時から18時まで)で入ることができます。

台座下には、阿弥陀三尊と諸仏が安置されており、お参りすることができます。

回廊壁面には、高岡の御神木と崇められたという、杉の巨木「七本杉」の伐採材をキャンパスに用いた仏画に加えて、1900(明治30)年の大火で焼失を免れた、大仏の「ご尊顔」が安置されています。

高岡大仏には、あいの風鉄道・JR高岡駅から、徒歩で行くことができます。

高岡市民の皆様は、大仏を大切にしています。

道に迷ったら、市民の皆様に質問すれば、無事に大仏にたどりつけると思います。

なお、若者にとって、高岡大仏は、「あみたん娘」に代表するような、可愛い存在になっています。

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