2012年に先住犬ゴン太くんをなくされて、
つい先ごろ、保護犬の子犬健太くんを育て始めた、
ampm_ggさんのインスタを見守っている。
なぜならいま健太君は絶賛「ひきこもり中」なのだ。
おうちにやってきて数日、不安で不安で仕方ないらしい。
わたし自身は生後うん週間とかいう子犬からは飼ったことがない。
いや正確にいうと義実家での子犬養育にかかわらせてもらったことがある。
ただ義実家のこたちはお店から来た子たちで、陽気で人懐こかった。
ひきこもるどころか「わおぱきゃ~~~!」満面笑顔のオープンな子たちだった。
オレコもうちに来たときは生後8か月くらい。
ミグノンからうちにやってきて、おいていかれ、
友森さんが帰った後、玄関のドアに近づいて行って、
く~~ん、と泣いたきり、それきり。
あとはすぐに慣れてくれた。
おじいわんはうちにきた時点で、
ロマンスグレーを優に超えた年代だった。
子犬時代ははるか昔のことで話にならない。
オレコも、といったけど、その理由は、
中学生のときに実家にやってきた犬が1歳過ぎだった。
母犬にべったりの雄犬で、母親の姿が見えないと泣くので、
飼い主さんが困って、うちにやってきたのだった。
しかし彼も最初こそ元気がなかったけれど、
やがてめきめきいたずら坊主に変貌していった。
最初はひょろひょろだったのだがすぐにムキムキ(シェパードと秋田犬が入ってるらしかった)になり、
きつくなったので皮の首輪を大きいのに変えたのだが、
元の首輪をはずし、新しい首輪を獲りに行っている間に、
あれれ?元のが行方不明になり、探したけれど見つからず、
数日後、庭を掃除していたら、首輪についていた金具が、
「ちゃりーん」とひとりごちて、きらきら光っていた。
つまり、あいつ、皮の部分は食べちゃったのだ。
まあ、牛だろうからねえ・・・。
それと、こんなこともあった。
父が縁側で夕焼けを楽しもうと、お休みの夕方、
枝豆とビールを盆に載せ、プシュ!とくとくとく、
とやり出したら、なんだこの枝豆、塩足りないなあ!ちょっとお母さん!
なんていいながら、台所に塩をとりにいっている間に、ビールも枝豆もなくなっていた。
ビールは缶をひっくり返して、中身を全部飲んじゃったようだった。
そして犯人はすでに逃亡したあとだった。
犬って大体そんなもんかしらと思っていたけれど、
子犬の、それもうんと小さいころの子というのは、
本当に大変なんだろうな、と想像している。
健太という名前が、
夫が子供の頃に飼っていた初めての犬と同じ名で、
その子は1999年大みそかの一日前まで生きていたのだけれど、
17歳で(18歳直前だった)世を去った。
同じ名前なので、妙に心にひっかかり、気にして見守っている。
先代のゴン太くんの写真もたくさんあって、
どれもとてもかわいらしく、エピソードに泣いたり笑ったり。
そう、はじめは、ゴン太君の老犬時代の画像に、おじいわんみたいだ!と、
こころ惹かれて、フォローしたのだったっけ。
大好きだったお父さんが亡くなり、弔問客が訪れると、
御骨との間に割り込んで座り込み決して退かなかった、
そして納骨の10日後「ゴンタは父についていってしまった」、
の画像では、もう、電車の中だったけれど、ぼろぼろなみだが零れ落ちていた。
そうして、ゴン太くんの老犬姿が、一番はじめに暮らした犬(ビール好きの)と、
どことなく似ており、そのゴン太くんにどことなく似た健太君がやってきて、
また益々、目が離せないでいるのだった。
日薬と言って、時間が問題を解決してくれるそうだけど、
子犬のこころに届く日薬はないものかねえ。
お母さんやきょうだいと離れてさびしいのはわかるけれど、
安心して大丈夫なんだよ、というのを、教えてあげたいねえ。
ここは君がう~んと年をとって死ぬまで、ずーっとずっと、
大事に大事にまもってくれる、きみのおうちなんだよ、って。