犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

長崎

2015年08月09日 | おせわがかり日誌
これは8月6日の広島。



この日の朝、ある場所を訪れた。平和記念式典が行われている平和記念公園と原爆資料館。
その様子を自らの短文投稿サイト、ツイッターにつぶやいた。そこにはファンからのお礼のメッセージが次々に書き込まれていった。

なぜ、そこへ向かったのか。

「6年日本にいるけど、この日に広島にいるのは初めて。一度、行くべきだと思った。
(原爆投下は)母国と今いる国が関わっている。複雑な気持ち。
悲しい現実であると同時に歴史の一部。色んなことが頭をよぎった」

と言葉を選びながら説明した。




マートンはまじめな青年だ。

ヒーローインタビューで必ず「イエス様に平安がある」と結ぶ。

可能な限り日曜日には教会に通う、信仰心に篤い男である。

家族を大切にしていて、お子さんも4人いる。

おまけに日本でも屈指の人気チームのスター選手だ。

さんざん叩かれた打率だって今のところチームトップに返り咲いている。

そういう人がいま、広島にいって、祈りをささげてくれることには、大きな意味があると思う。

国と国とでは利害関係があってうまくいかないことも、個人のレベルでは、つながる。

どんな国でもほんとうは、平和を祈る人たちのほうが、多いのではなかろうか。



難民支援に熱心な大スターが、

「戦争を終わらせるためには原爆投下は必要だった」

とインタビューで語っていたのを聞いて興醒めだった。

国の代表として動くこともあるので、仕方なかったのかもしれない。

でもなあ。その一言でふだんの人道支援活動がなんだか空疎なものに見えた。



こどもはたくさんいても、言葉の通じない動物と暮らしたこてないのかもね。

悪に対する正義を貫く、という、嘘っぽさがヒラヒラして見えるのだった。

正義や大義を振りかざす、あの国のやり方も好きではないし。

人が人に絶対してはいけないこと。

そのひとつが70年前に広島と長崎で起こったことだ。

イラクやシリア、アフリカでも別のかたちで起こっているけれど。




いったん戦争になってしまえば、犬や猫を大事にする余裕なんて消えてなくなる。

生きるので精一杯になってしまうから。

平和のありがたさって、平和なときにはわからないのかな。










自分の大事な犬や猫が、



楽しそうにしているのを眺めたり、



健やかな寝息をたてていたり、

おいしそうに食べたりするのを静かに見守り、



やがて安らかな眠りにつくときには、

そばについていてあげたい。



そういう小さな平和を失いたくない。





ほんとにね。人間はバカだね。





3月11日のマートン。

ありがとう。