南満州鉄道>調査課>永尾龍造
年をとったら、暇で暇でたまらないだろうと思っておりました。と申しますのは、若い時からものすごい、ものぐさでしたので暇で暇で、毎日に何の感動も変化もなく、日々が流れておりました。
最近になり年も年で、押し詰まってまいりましたが、なんとこれが忙しい事、忙しい忙しいの毎日で我ながら唖然としている状態です。これって小器晩成WWW。それでも義務はないのですが、ささやかに残したいことがありまして、それが「近現代史の細かなことがらを遺しておきたいなあ」なんて、とんでもないことを考えております。
差出人は買弁でありました青島の中村順之助から大連の満鉄調査課の永尾龍造への葉書でございます。切手も剥がれ、日付も分からずのダメ物ですが、両氏の御名前を遺しておきたいのでございます。彼はタレントぞろいの満鉄の調査課で「支那民俗誌」という大きな仕事をされた方で、上海の東亜同文書院の卒業生でありました。絵葉書は青島の司令官官舎の図柄でございます。
絵葉書だけでも数万枚ありそうです、東亜の地名で分類をするのに数年を要しました、頭が回るのは後、何年でございましょう。にんにんにんにんと変な声も聞こえてくるような不気味な毎日でございます。