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人口の増加・資源不足(適地や水の奪い合い)・蓄積された富の略奪・思考的変化が弥生時代の戦争の原因とするのが従来の定説のようになっていますが、弥生後期の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べると、北部九州と熊本県北部の菊池川流域の集落でしか戦争の痕跡が見られません。つまり、2世紀末の倭国大乱です。
この時代に日本列島の大半は戦争していないのです。
ということは弥生時代の戦争の原因とされた説は誤りの可能性が高いと思います。
最近の新たな研究で(中田朋美等「弥生時代中期における戦争」情報考古学Vol.24No.1-2,2019)、弥生時代は紀元前9世紀から始まっていますので、従来のような紀元前5世紀から始まる説で作られた戦争の原因説は誤りのようです。時間かをかけてゆっくりと稲作が広がったので、水争いなど起こらないというのが正しいようです。詳しくは「弥生人は戦争好き?ウソですよ( `ー´)ノ」をご参照ください(;^ω^)
階級制や戦争が始まったのは弥生時代からで、縄文時代は平等なユートピア社会だったと云われてるが、例えば有名な三内丸山遺跡なんかを見ても、あれだけの大規模建築や集約農耕を行うにはそれなりのリーダーが必要なはずで、この頃から階級制の萌芽はあったと思う。 あと受傷人骨も縄文草早期の頃からも出てるし、北海道の有珠モシリ遺跡では集団戦の跡も出土してるので全く争いがなかったワケではない。 しかしまぁ弥生時代に比べて受傷人骨の発掘数は圧倒的に少ないし、この時代の他地域に比べて日本がかなり平和な社会だったのは間違いないと思う。 というか平均寿命も短いし戦争なんかしてる余裕もなかった?
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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