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倭国王帥升のことだと思いますが、ご存じのとおり後漢書の原本が散逸していますので、原本を引いた文献から倭面土国王帥升が正しいようなのです。しかし、魏志倭人伝の記事から、倭国の中で王が居たのは伊都国男王だけですので、白鳥庫吉は面は回の俗字の囬の誤写と考えて、倭の囬土(ウィト)国王が正しいとしています。
師姓は「風俗通義」によれば周代以前から宮廷祭祀の楽師に与えた官位だそうですので、50年前に後漢光武帝から金印を賜った奴国の宮廷楽師だったと分かります。
つまり、奴国の楽師師升らが反乱を起こして倭国を奪い、王都を伊都国に遷したということが分かります。その物証は延光四年(125年)と記された黄銅製の室見川銘板です。内容が祭祀にこだわったものですので師升王が作らせた日本最古の金石文だと分かりました(詳細は「【わかった!】室見川銘板のなぞ(^_-)-☆」参照)。
そして、師升らの反乱で殺された奴国王が「古事記」から分かりました。
宋史王年代紀18代王素戔嗚尊が高天原神話の乱暴者の神スサノヲでした。八百万の神々がスサノヲを捕らえて拷問し、財産を奪ったことが書かれていました(注)。
師升は奴国王に成りすますために金印を手に入れようとスサノヲを拷問したのですが、いち早くスサノヲの部下のアズミ族が持って逃げ、途中で志賀島によって土の中に埋めたのです。それが江戸時代の百姓によってたまたま掘り出されたということです。
師升らは代わりに160名もの生口を献上して王に認められたわけです。
この史実は日本書紀の編纂者も分かっていたことが仲哀天皇四年に博多の奴国を儺縣としていることから判明しました。スサノヲの史実は平安時代にも知られており、疫病神の元締めとされ祇園御霊会や熊野信仰になっていることから分かります。
(注)「於是八百萬神共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦切鬚及手足爪令拔而、神夜良比夜良比岐(その後、八百万の神々一同は相談して、須佐之男にたくさんの贖罪の品物を科した。また、髭と手足の爪とを切って祓えを科し、高天原から追放してしまった。)」(「古事記」上巻、訳は 「古事記・現代語訳「上巻」天照大御神と須佐之男命」より引用)
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伊都国が鬼払いの発祥地か?(^_-)-☆
【驚き!】徐福が日本史を変えた!(@_@)
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)
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