〈学校で起こるいじめをなくそうと、公益社団法人「子どもの発達科学研究所」(大阪市北区)が、いじめの起きやすい“学校風土”か否かを調査して科学的に分析し、対策に役立てる「学校安全調査」を開発し、注目を集めている。学校風土を決めるのは、集団の多数を占める傍観者。同研究所は「傍観者を正しい行動に導くことでいじめは予防できる」と訴えている〉
いじめ関連で何かコトが起きると、
「命の大切さを教えよう」とか、
「心の闇を解明しなきゃ」とか、
涼しい表情で「評論」をする人が多いんだけれども、
この記事は、
それなりの「策」を語っていて好感が持てたので、
ご紹介。
元ネタは、
今、学校で本当にいじめが起きているのだろうか?
クラスや学校の雰囲気はどうなっているのだろうか?
どのようにしたら、いじめを防げるのだろうか?
ということを出発点にしている、
「子どもの発達科学研究所」だそうで、
〈「加害者と被害者を見つけるのは難しく、大多数の傍観者の行動を変える方が確実。当事者以外の子供の行動が変わることで学校風土が変わり、いじめを予防できる」〉
〈80%以上のいじめには子供の傍観者がいる〉
〈傍観者が「やめた方がいい」などと言って止めようとした場合、数秒以内に57%のいじめが止まった〉
と言うあたりは、そうなんだろうと思います。
で、義理はないんですが、これもご紹介。
「子どもの発達科学研究所」
(→http://kodomolove.org/)
ついでに、多少宣伝めくのですが、何も貰ってません。
学校安全調査のご案内(3分版)
調査実施をすると・・・
(子どもの発達科学研究所:学校安全調査いじめの状況を可視化する
→http://stopijime.kodomolove.org/lp/)
時々「本人がいじめと感じたら、それはいじめだ」とか、
そういう(気持ち悪い)言葉で自分の「優しさ」をアピールする人もいますが、
なんでもかんでも「いじめ」だとしてしまうと、
却って焦点がぼやけてしまって、
予防も抑制も解決も遠のくだけのような気がします。
そこで、ひとまず、
(1)力の不均衡(片方が圧倒的に強い。もしくは多勢)
(2)繰り返される行動
(3)意図的なネガティブな行動
(4)不公平な影響(片方が一方的に追い詰められる)
という定義をしてから考えるのは、
なるほど科学的ではあります。
「いじる」「からかう」のとは違うわけですから。
とは言え、
傍観者を脱するのは勇気が要ります。
その勇気を与えるのは、
やっぱり大人です。
〈加害者が「遊びだ」「それぐらいやっていい」と考えている場合は行為をやめさせるだけではなく、考え方の誤りを理解させるアプローチが必要〉
〈被害者には「いじめられたのは、あなたのせいではない」とまず伝え、自己肯定感の低下を食い止める〉
と言うのもその通りで、
やっぱり大人の役割です。
かのアインシュタインも、
「世界が危険なのは悪人のせいでなく、傍観者のせいだ」
と言ったそうですが、
傍観者に勇気を!
加害者、被害者には愛(←無関心の反対)を!
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
*冒頭画像および引用文は、
Web産経ニュース:“見て見ぬふり”しない「学校風土」つくれ 求められる「いじめ」防ぐ教育 より
(→http://www.sankei.com/life/news/160210/lif1602100010-n1.html)
(産経新聞2/11大阪6版)
(産経新聞2/11大阪6版)
いじめ関連で何かコトが起きると、
「命の大切さを教えよう」とか、
「心の闇を解明しなきゃ」とか、
涼しい表情で「評論」をする人が多いんだけれども、
この記事は、
それなりの「策」を語っていて好感が持てたので、
ご紹介。
元ネタは、
今、学校で本当にいじめが起きているのだろうか?
クラスや学校の雰囲気はどうなっているのだろうか?
どのようにしたら、いじめを防げるのだろうか?
ということを出発点にしている、
「子どもの発達科学研究所」だそうで、
〈「加害者と被害者を見つけるのは難しく、大多数の傍観者の行動を変える方が確実。当事者以外の子供の行動が変わることで学校風土が変わり、いじめを予防できる」〉
〈80%以上のいじめには子供の傍観者がいる〉
〈傍観者が「やめた方がいい」などと言って止めようとした場合、数秒以内に57%のいじめが止まった〉
と言うあたりは、そうなんだろうと思います。
で、義理はないんですが、これもご紹介。
「子どもの発達科学研究所」
(→http://kodomolove.org/)
ついでに、多少宣伝めくのですが、何も貰ってません。
学校安全調査のご案内(3分版)
調査実施をすると・・・
(子どもの発達科学研究所:学校安全調査いじめの状況を可視化する
→http://stopijime.kodomolove.org/lp/)
時々「本人がいじめと感じたら、それはいじめだ」とか、
そういう(気持ち悪い)言葉で自分の「優しさ」をアピールする人もいますが、
なんでもかんでも「いじめ」だとしてしまうと、
却って焦点がぼやけてしまって、
予防も抑制も解決も遠のくだけのような気がします。
そこで、ひとまず、
(1)力の不均衡(片方が圧倒的に強い。もしくは多勢)
(2)繰り返される行動
(3)意図的なネガティブな行動
(4)不公平な影響(片方が一方的に追い詰められる)
という定義をしてから考えるのは、
なるほど科学的ではあります。
「いじる」「からかう」のとは違うわけですから。
とは言え、
傍観者を脱するのは勇気が要ります。
その勇気を与えるのは、
やっぱり大人です。
〈加害者が「遊びだ」「それぐらいやっていい」と考えている場合は行為をやめさせるだけではなく、考え方の誤りを理解させるアプローチが必要〉
〈被害者には「いじめられたのは、あなたのせいではない」とまず伝え、自己肯定感の低下を食い止める〉
と言うのもその通りで、
やっぱり大人の役割です。
かのアインシュタインも、
「世界が危険なのは悪人のせいでなく、傍観者のせいだ」
と言ったそうですが、
傍観者に勇気を!
加害者、被害者には愛(←無関心の反対)を!
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
*冒頭画像および引用文は、
Web産経ニュース:“見て見ぬふり”しない「学校風土」つくれ 求められる「いじめ」防ぐ教育 より
(→http://www.sankei.com/life/news/160210/lif1602100010-n1.html)
(産経新聞2/11大阪6版)
(産経新聞2/11大阪6版)
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