5月3日は「憲法記念日」です。
改憲派、護憲派、
それぞれに自分たちの輪の中で、言いたいことを言っては頷きあっています。
皆さん、色々なことを仰るわけですが、
一応憲法そのもの、読んでいるんですよね?
まあ、人のことはイイんで、
自分も改めて読んでみようかと・・・
前文だけでも。
というわけで、
日本国憲法前文です。(前文はこちら国立国会図書館ホームページ)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
名文?迷文?悪文?
少なくとも暗記して朗誦しようとは思いませんね。
では、チクチクとツッコミを入れてもう一度。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果(?)と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(?)を確保し、政府の行為によつて(だけではナイだろう)再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し(た時、日本は被占領下、主権制限を受けていたんじゃなかったっけ?)、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想(ってなんだろう・・・)を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して(なんて、誰が寝言を言ってるんでしょう。尖閣諸島にちょっかい出す国、火事場泥棒よろしく竹島を不法占拠している国、数多の日本人を拉致したままそれを交渉の道具にしている国、中立条約を無視して宣戦布告して人々を抑留し北方領土を占領したままの国、そういう国々の諸国民なんですよ)、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会(いや、だから・・・)において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する(ま、それは確かにそうなんですけど)ことを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる(のは美しいことかもしれませんが、信じるからといって各国がその責務とやらを守るとは限らない、と一応疑ってみるのも大人でしょう、フツー)。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ(のもイイですが、やっぱり現実も見据えましょう、大人として)。
ふふふ、ツッコミどころ満載ですね。
そもそも、
何故5月3日かというと、
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のイヤガラセで、
11月3日明治天皇のお誕生日に狙いを定めて発布を迫ったんだとか。
念押ししときますが、
昭和21年、日本国民は未だ戦後の混乱にあって食うや食わず、
領土は連合軍によって占領され、政府は主権を制限されていました。
それでも、
中身が良いんだから出自はどうだっていいじゃないか、
って言う人もいるわけですが、
中身、良いんですか?
まあ、それぞれで考えてみてください。
私自身は、はっきり言ってロクでもないと思っていますが。
あ、ちなみにもう一つ。
ホント言うと私は「成文憲法」不要論者です。
憲法は最高法規ってことになってますが、
慣習とか、伝統文化とか、人の倫とか、
現行憲法よりも、ずっと古くから受け継いできて、
また、伝えていかなければならないものがある、と考えていますので。
改憲派、護憲派、
それぞれに自分たちの輪の中で、言いたいことを言っては頷きあっています。
皆さん、色々なことを仰るわけですが、
一応憲法そのもの、読んでいるんですよね?
まあ、人のことはイイんで、
自分も改めて読んでみようかと・・・
前文だけでも。
というわけで、
日本国憲法前文です。(前文はこちら国立国会図書館ホームページ)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
名文?迷文?悪文?
少なくとも暗記して朗誦しようとは思いませんね。
では、チクチクとツッコミを入れてもう一度。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果(?)と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(?)を確保し、政府の行為によつて(だけではナイだろう)再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し(た時、日本は被占領下、主権制限を受けていたんじゃなかったっけ?)、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想(ってなんだろう・・・)を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して(なんて、誰が寝言を言ってるんでしょう。尖閣諸島にちょっかい出す国、火事場泥棒よろしく竹島を不法占拠している国、数多の日本人を拉致したままそれを交渉の道具にしている国、中立条約を無視して宣戦布告して人々を抑留し北方領土を占領したままの国、そういう国々の諸国民なんですよ)、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会(いや、だから・・・)において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する(ま、それは確かにそうなんですけど)ことを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる(のは美しいことかもしれませんが、信じるからといって各国がその責務とやらを守るとは限らない、と一応疑ってみるのも大人でしょう、フツー)。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ(のもイイですが、やっぱり現実も見据えましょう、大人として)。
ふふふ、ツッコミどころ満載ですね。
そもそも、
何故5月3日かというと、
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のイヤガラセで、
11月3日明治天皇のお誕生日に狙いを定めて発布を迫ったんだとか。
念押ししときますが、
昭和21年、日本国民は未だ戦後の混乱にあって食うや食わず、
領土は連合軍によって占領され、政府は主権を制限されていました。
それでも、
中身が良いんだから出自はどうだっていいじゃないか、
って言う人もいるわけですが、
中身、良いんですか?
まあ、それぞれで考えてみてください。
私自身は、はっきり言ってロクでもないと思っていますが。
あ、ちなみにもう一つ。
ホント言うと私は「成文憲法」不要論者です。
憲法は最高法規ってことになってますが、
慣習とか、伝統文化とか、人の倫とか、
現行憲法よりも、ずっと古くから受け継いできて、
また、伝えていかなければならないものがある、と考えていますので。
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