この夏に出されるであろう、
首相による「戦後70年談話」を前に、
そもそも騒動のもとになっている20年前(!)の「村山談話」を読み直してみよう、
というのが「あそぼ」の趣旨なんですが、
(「村山談話」であそぼ その1、その2、その3、その4)
いよいよ来ました。
キヨミちゃんやゴウシくんが、
まさにウンザリ、もう、どうでもいいじゃん、
と言いたくなるほどシツコク「継承」「踏襲」を迫った部分、第5段落です。
(数字、改行は引用者。全文、日本語はこちら。英語版はこちら)
①わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
②私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
③また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
①During a certain period in the not too distant past, Japan, following a mistaken national policy, advanced along the road to war, only to ensnare the Japanese people in a fateful crisis, and, through its colonial rule and aggression, caused tremendous damage and suffering to the people of many countries, particularly to those of Asian nations.
②In the hope that no such mistake be made in the future, I regard, in a spirit of humility, these irrefutable facts of history, and express here once again my feelings of deep remorse and state my heartfelt apology.
③Allow me also to express my feelings of profound mourning for all victims, both at home and abroad, of that history.
①について「国策を誤り」云々ですが、
もちろん、間違ってないわけじゃないと思うんですよ。
ただ、過ちを犯したのは「わが国」だけじゃないでしょ。
戦争は、ことに大東亜戦争については、日本「だけ」の責任ということはありません。
はっきり言いますが、この物言いは視野が狭すぎる!
そんな単純な見方「修正してやる!」と叫びたくなります。
で、その思慮浅薄の流れで、
何たることか、村山さんご本人が、
20年後、こんなに問題になるとは思わなかったと仰る②の文に続くわけです。
「痛切な反省」「心からのお詫び」
村山さんは、ホントに迷惑な「いい人」です。
「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」しているのは、
「私」=村山さん、なんです。
閣議決定されようが、どうしようが、主語は「私」=村山さんです。
というわけで、
経緯には色々言いたいことはありますが、
ともかく、
20年前に(!)首相だった村山さんという人がそのように、
regardし、expressして、stateしたんだなあと、
そういうことが、ありました、
と、
現首相、現内閣、今を生きる私達は、そうだと認めておけばいんです。
③に主語は現れませんが、Allow me の me も村山さんです!
村山談話の見直しとか、訂正、撤回が出来るなら、
そりゃスッキリしますが、
そのために要する政治的エネルギーが膨大過ぎます。
「全体として引き継ぐ」で良しとしましょうよ。
いずれにせよ、無かったことには出来ないんですから。
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議における安倍内閣総理大臣スピーチや、
米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説でもそうですが、
戦後70年の談話を、
一体誰に向かって言うのか、ということも大切で、
何なら、
個々の言葉や文に拘っている大陸や半島の国(日本国内の一定の人々)は、
ほっといてもイイんですよ。
(↓)どうやら安倍さんは、もうそのつもりのようです。
「歴史認識においては基本的な考え方を継ぐ。引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」
(産経ニュース4/20)
(↓)当然、そっちの人は怒るわけですが、
「首相は村山談話を継承すると言っているが、『すべて継承するわけではない』などとはぐらかしている」
(産経ニュース4/22)
(↓)公明党も、OKのサイン。
「まったく同じ(内容)であれば出す意味がどこにあるのかというのは、常識的にそうだ」
(産経ニュース4/23)
(↓)世論も冷静。
「植民地支配と侵略」などの文言を盛り込むことにはこだわらず、未来志向の談話を出したいとの考えを示していることについて、
60・1%が「評価する」と答えた。「評価しない」が29・8%だった。
(産経ニュース4/27)
そんなワケですから、
「いわゆる村山談話」も、
こうやって「あそぼ」の対象にしても、怒られない。
おっと、忘れるところでした。
長女(20年前、存在もしていなかった!)によるタイトル、
「過去の国策に対する謝罪と犠牲者への哀悼」
要旨、のはずが、もはや完全に感想、
「日本が他国に対し多くを行ったのは確かだが、
同時に他国からの被害も受けていることへもできれば言及してほしかった」
そう、その通り。
娘よ、
どちらか一方だけが悪くて、どちらか一方だけが傷つく、
ということはナイのだ!
・・・たぶん。
首相による「戦後70年談話」を前に、
そもそも騒動のもとになっている20年前(!)の「村山談話」を読み直してみよう、
というのが「あそぼ」の趣旨なんですが、
(「村山談話」であそぼ その1、その2、その3、その4)
いよいよ来ました。
キヨミちゃんやゴウシくんが、
まさにウンザリ、もう、どうでもいいじゃん、
と言いたくなるほどシツコク「継承」「踏襲」を迫った部分、第5段落です。
(数字、改行は引用者。全文、日本語はこちら。英語版はこちら)
①わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
②私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
③また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
①During a certain period in the not too distant past, Japan, following a mistaken national policy, advanced along the road to war, only to ensnare the Japanese people in a fateful crisis, and, through its colonial rule and aggression, caused tremendous damage and suffering to the people of many countries, particularly to those of Asian nations.
②In the hope that no such mistake be made in the future, I regard, in a spirit of humility, these irrefutable facts of history, and express here once again my feelings of deep remorse and state my heartfelt apology.
③Allow me also to express my feelings of profound mourning for all victims, both at home and abroad, of that history.
①について「国策を誤り」云々ですが、
もちろん、間違ってないわけじゃないと思うんですよ。
ただ、過ちを犯したのは「わが国」だけじゃないでしょ。
戦争は、ことに大東亜戦争については、日本「だけ」の責任ということはありません。
はっきり言いますが、この物言いは視野が狭すぎる!
そんな単純な見方「修正してやる!」と叫びたくなります。
で、その思慮浅薄の流れで、
何たることか、村山さんご本人が、
20年後、こんなに問題になるとは思わなかったと仰る②の文に続くわけです。
「痛切な反省」「心からのお詫び」
村山さんは、ホントに迷惑な「いい人」です。
「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」しているのは、
「私」=村山さん、なんです。
閣議決定されようが、どうしようが、主語は「私」=村山さんです。
というわけで、
経緯には色々言いたいことはありますが、
ともかく、
20年前に(!)首相だった村山さんという人がそのように、
regardし、expressして、stateしたんだなあと、
そういうことが、ありました、
と、
現首相、現内閣、今を生きる私達は、そうだと認めておけばいんです。
③に主語は現れませんが、Allow me の me も村山さんです!
村山談話の見直しとか、訂正、撤回が出来るなら、
そりゃスッキリしますが、
そのために要する政治的エネルギーが膨大過ぎます。
「全体として引き継ぐ」で良しとしましょうよ。
いずれにせよ、無かったことには出来ないんですから。
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議における安倍内閣総理大臣スピーチや、
米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説でもそうですが、
戦後70年の談話を、
一体誰に向かって言うのか、ということも大切で、
何なら、
個々の言葉や文に拘っている大陸や半島の国(日本国内の一定の人々)は、
ほっといてもイイんですよ。
(↓)どうやら安倍さんは、もうそのつもりのようです。
「歴史認識においては基本的な考え方を継ぐ。引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」
(産経ニュース4/20)
(↓)当然、そっちの人は怒るわけですが、
「首相は村山談話を継承すると言っているが、『すべて継承するわけではない』などとはぐらかしている」
(産経ニュース4/22)
(↓)公明党も、OKのサイン。
「まったく同じ(内容)であれば出す意味がどこにあるのかというのは、常識的にそうだ」
(産経ニュース4/23)
(↓)世論も冷静。
「植民地支配と侵略」などの文言を盛り込むことにはこだわらず、未来志向の談話を出したいとの考えを示していることについて、
60・1%が「評価する」と答えた。「評価しない」が29・8%だった。
(産経ニュース4/27)
そんなワケですから、
「いわゆる村山談話」も、
こうやって「あそぼ」の対象にしても、怒られない。
おっと、忘れるところでした。
長女(20年前、存在もしていなかった!)によるタイトル、
「過去の国策に対する謝罪と犠牲者への哀悼」
要旨、のはずが、もはや完全に感想、
「日本が他国に対し多くを行ったのは確かだが、
同時に他国からの被害も受けていることへもできれば言及してほしかった」
そう、その通り。
娘よ、
どちらか一方だけが悪くて、どちらか一方だけが傷つく、
ということはナイのだ!
・・・たぶん。
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