三度、難民支援について。
産経新聞オピニオン面で連載中の、
桑原聡「鈍機翁のため息」が、結構好きです。
その357「間奏Ⅰ」と358「間奏Ⅱ」で、
’09年制作の映画『君を想って海をゆく』が紹介されていました。
(9/29日付け大阪6版)
(Web版:クルド人難民の青年の物語
→http://www.sankei.com/column/news/150928/clm1509280006-n1.html)
(9/30日付け大阪6版)
(Web版:隣人を愛せるか
→www.sankei.com/column/news/150929/clm1509290007-n1.html)
そんなワケで、
こりゃ観なきゃなるまい、
とばかりにレンタル(ちなみに、取り寄せ)。
まずは予告編を。
映画『君を想って海をゆく』予告編
〈ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするクルド難民の少年と水泳コーチとの人種を超えた交流を描き、難民について鋭く問題提起する感動の人間ドラマ。『パリ空港の人々』『灯台守の恋』のフィリップ・リオレ監督が綿密なリサーチを基に物語を編み出し、フランスでは政治を巻き込んだ論争にもなった。主演には、『すべて彼女のために』などのヴァンサン・ランドン。さまざまな苦難に遭いながらも夢を抱く少年の姿から、世界中で厳しい状況にある難民問題を痛感させられる〉
(動画解説:シネマトゥデイ)
〈2008年2月、17歳のイラク国籍のクルド難民ビラル(フィラ・エヴェルディ)は、恋人ミナが住むロンドンを目指し、フランス最北端の都市カレにやってくる。イギリス渡航を望む多くの難民が、カレの港で住居を持たずに暮らしていた。ビラルは偶然再会した同郷の友人とともに密航を図るが、失敗する。イラクが戦争により荒廃しているため送還を免れたビラルは、英仏海峡を泳いで渡る決心をする。かつては高名な水泳選手だったフランス人シモン(ヴァンサン・ランドン)は、今は市民プールで子供や老人に指導している。妻マリオン(オドレイ・ダナ)とは別居しており、離婚調停中だ。ビラルはシモンにレッスン料を払い、クロールの指導を仰ぐ。シモンはビラルの目的を知ると、真冬の海を10時間も泳ぐことはできないと忠告する。しかし、ビラルは練習を続ける。シモンは、難民支援のボランティアをするマリオンの心を取り戻すために、ビラルの手助けをしているに過ぎなかった。そんなシモンの家に招かれたビラルは、イギリスでマンチェスター・ユナイテッドに入団したいという夢を語る。翌日、隣人の通報により、シモンは警察に呼び出される。警官代理官(オリヴィエ・ラブルダン)は、シモンの行為は不法入国者に手を貸すことであり、犯罪であると警告する。しかし、シモンはビラルの指導を続け、いつしか2人の間に父子のような感情が芽生える。そしてついに、ビラルの出発の日がやってくる〉
(MovieWalker:君を想って海をゆく→http://movie.walkerplus.com/mv47172/)
・・・桑原さんも、
〈熱心に難民の支援活動に携わる妻と別居状態のコーチは、この青年を助けてやれば妻との関係が修復できるかもしれないという打算もあって、クロールの指導を始める…〉
と解説してますが、
私には、そういう風には見えなかったなあ。
ま、それはともかく、
「感動の人間ドラマ」と言うのは若干憚られるにしても、
「難民について鋭く問題提起する」ことは確かな映画でした。
警官代理官とコーチの会話です。
彼らに手を貸すのは犯罪だ 行き先は?
車に乗せたから犯罪か?
イギリスへ渡るため500人の不法入国者が港に集まる この地域から彼らを排除するのが私の仕事だ
難民が増えたのは俺のせいじゃない
不法入国者を減らすには 彼らへの援助も取り締まる必要がある
別居中の妻を前に、呟くコーチ。
彼が海を渡るのは恋人のためだ
4000キロ歩き 今度は海峡を泳いで渡る
俺は目の前の君すら手放すのに
・・・切ない、というか、
私には、ひたすら哀しくなる映画でした。
それぞれの人が、それぞれの立ち位置で、
真面目に生きているだけなのに。
2015年の今、
「難民」の数は、文字通りケタ違いに増えています。
純粋に同情を示す。
ささやかであっても寄付をする。
暗躍する「難民ビジネス」を糾弾する。
持続不可能な「難民・移民歓迎政策」を批判する。
どれも間違ってはいないと思う。
けれど、
「支援」は何処まで?
「援助」は何時まで?
知らず知らず、私たちは、
自らの都合で(!)人に関わって、
その生を狂わせて(!)いるんじゃないのか?
ツラツラと、そんなことを想ったりしました。
〈現在進行形の難民問題について考えようとするとき、ささやかかもしれないが、何かしらの気付きを与えてくれる作品だと思うから。ちなみにこの作品の原題は「WELCOME(ようこそ)」。これほど痛烈な皮肉はないだろう〉
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
難民に関する自分の過去記事
#090 「写真一枚」の衝撃→http://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/44d2d2abdc08829ba3b7ac136745235a
#094 「難民救済」の善と偽善→http://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/f7b0aaaf5006dcc4a4f71d0ea52b4b3d
映画について、目についた他人のブログ。
ただ文句が言いたくて→http://www.tadamonkugaiitakute.com/69.html
放っておいてもイイのだけれど、
世の中には、ホント色んな人がいるなあと思ったので・・・
産経新聞オピニオン面で連載中の、
桑原聡「鈍機翁のため息」が、結構好きです。
その357「間奏Ⅰ」と358「間奏Ⅱ」で、
’09年制作の映画『君を想って海をゆく』が紹介されていました。
(9/29日付け大阪6版)
(Web版:クルド人難民の青年の物語
→http://www.sankei.com/column/news/150928/clm1509280006-n1.html)
(9/30日付け大阪6版)
(Web版:隣人を愛せるか
→www.sankei.com/column/news/150929/clm1509290007-n1.html)
そんなワケで、
こりゃ観なきゃなるまい、
とばかりにレンタル(ちなみに、取り寄せ)。
まずは予告編を。
映画『君を想って海をゆく』予告編
〈ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするクルド難民の少年と水泳コーチとの人種を超えた交流を描き、難民について鋭く問題提起する感動の人間ドラマ。『パリ空港の人々』『灯台守の恋』のフィリップ・リオレ監督が綿密なリサーチを基に物語を編み出し、フランスでは政治を巻き込んだ論争にもなった。主演には、『すべて彼女のために』などのヴァンサン・ランドン。さまざまな苦難に遭いながらも夢を抱く少年の姿から、世界中で厳しい状況にある難民問題を痛感させられる〉
(動画解説:シネマトゥデイ)
〈2008年2月、17歳のイラク国籍のクルド難民ビラル(フィラ・エヴェルディ)は、恋人ミナが住むロンドンを目指し、フランス最北端の都市カレにやってくる。イギリス渡航を望む多くの難民が、カレの港で住居を持たずに暮らしていた。ビラルは偶然再会した同郷の友人とともに密航を図るが、失敗する。イラクが戦争により荒廃しているため送還を免れたビラルは、英仏海峡を泳いで渡る決心をする。かつては高名な水泳選手だったフランス人シモン(ヴァンサン・ランドン)は、今は市民プールで子供や老人に指導している。妻マリオン(オドレイ・ダナ)とは別居しており、離婚調停中だ。ビラルはシモンにレッスン料を払い、クロールの指導を仰ぐ。シモンはビラルの目的を知ると、真冬の海を10時間も泳ぐことはできないと忠告する。しかし、ビラルは練習を続ける。シモンは、難民支援のボランティアをするマリオンの心を取り戻すために、ビラルの手助けをしているに過ぎなかった。そんなシモンの家に招かれたビラルは、イギリスでマンチェスター・ユナイテッドに入団したいという夢を語る。翌日、隣人の通報により、シモンは警察に呼び出される。警官代理官(オリヴィエ・ラブルダン)は、シモンの行為は不法入国者に手を貸すことであり、犯罪であると警告する。しかし、シモンはビラルの指導を続け、いつしか2人の間に父子のような感情が芽生える。そしてついに、ビラルの出発の日がやってくる〉
(MovieWalker:君を想って海をゆく→http://movie.walkerplus.com/mv47172/)
・・・桑原さんも、
〈熱心に難民の支援活動に携わる妻と別居状態のコーチは、この青年を助けてやれば妻との関係が修復できるかもしれないという打算もあって、クロールの指導を始める…〉
と解説してますが、
私には、そういう風には見えなかったなあ。
ま、それはともかく、
「感動の人間ドラマ」と言うのは若干憚られるにしても、
「難民について鋭く問題提起する」ことは確かな映画でした。
警官代理官とコーチの会話です。
彼らに手を貸すのは犯罪だ 行き先は?
車に乗せたから犯罪か?
イギリスへ渡るため500人の不法入国者が港に集まる この地域から彼らを排除するのが私の仕事だ
難民が増えたのは俺のせいじゃない
不法入国者を減らすには 彼らへの援助も取り締まる必要がある
別居中の妻を前に、呟くコーチ。
彼が海を渡るのは恋人のためだ
4000キロ歩き 今度は海峡を泳いで渡る
俺は目の前の君すら手放すのに
・・・切ない、というか、
私には、ひたすら哀しくなる映画でした。
それぞれの人が、それぞれの立ち位置で、
真面目に生きているだけなのに。
2015年の今、
「難民」の数は、文字通りケタ違いに増えています。
純粋に同情を示す。
ささやかであっても寄付をする。
暗躍する「難民ビジネス」を糾弾する。
持続不可能な「難民・移民歓迎政策」を批判する。
どれも間違ってはいないと思う。
けれど、
「支援」は何処まで?
「援助」は何時まで?
知らず知らず、私たちは、
自らの都合で(!)人に関わって、
その生を狂わせて(!)いるんじゃないのか?
ツラツラと、そんなことを想ったりしました。
〈現在進行形の難民問題について考えようとするとき、ささやかかもしれないが、何かしらの気付きを与えてくれる作品だと思うから。ちなみにこの作品の原題は「WELCOME(ようこそ)」。これほど痛烈な皮肉はないだろう〉
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
難民に関する自分の過去記事
#090 「写真一枚」の衝撃→http://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/44d2d2abdc08829ba3b7ac136745235a
#094 「難民救済」の善と偽善→http://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/f7b0aaaf5006dcc4a4f71d0ea52b4b3d
映画について、目についた他人のブログ。
ただ文句が言いたくて→http://www.tadamonkugaiitakute.com/69.html
放っておいてもイイのだけれど、
世の中には、ホント色んな人がいるなあと思ったので・・・
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