2月24日当日、沖縄県の有権者数 1,153,591人のうち「普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋め立てについて」の賛否を問われ、明確に「反対」の意思表示をした県民は 434,273人だったそうです。すなわち 37.65%になりますね。
それ以上のことは、正直言ってワタクシには判りません。
ですが、学者、評論家、報道関係者の皆さんは「沖縄県民」の意思を汲み取って何事かを語ることが、政治家は、そこから何事かを為していくことが仕事なわけで、それぞれの立場で好き勝手な見方・読み方を披露なさっています。当の沖縄県民からしたら、それぞれ当たってもいるでしょうし間違ってもいるのでしょう。あるいは、ほとんどが何処かズレてると感じているかもしれません。
ちなみに、選択肢:投票数;得票率(対有権者全体の比率)の順で、他の数字も合わせて示すと以下のとおりです。
賛成:114,933;18.99%(9.96%)
反対:434,273;71.74%(37.65%)
どちらでもない:52,682;8.70%(4.57%)
とは言うもののですね、実は沖縄県民の皆さんにしても、本当のところ、そんな簡単に答えられる話ではないんじゃないかとも思います。世の中には総論賛成各論反対に陥ることは多々あるし、人々が社会的には革新を求めても生活上は保守を希求することだって間間あり得ます。
加えて「そもそも論」になってしまいますが、(都道府)県民投票に付すべきは(都道府)県内で完結できる問題でなければ意味がないでしょう。国が絡んでいることに賛否を問うてみて、そこで「反対」が多数を占めても、それでは単に代替案のない「それはイヤ」という感情表現でしかないわけで、国としても、その「意思を的確に反映」して「はい分かりました、ヤメます」と言えるものでもないことくらい、初めから分かりそうなもんです。
県民投票を仕掛けた人達だって、そこのところは重々承知の上でのことでしょうから、この際、何と言うか「つまり数字を残したかったのですね」とだけ受け止めることでお赦し願いたいと思います。
ましてこの件は、「普天間飛行場の代替施設」>「名護市辺野古に計画している米軍基地建設」>「埋め立て」の順に話を詰めてきたもので、この最後の部分に関してだけ県が「それはイヤ」と言ってしまうと、そして、それを国が聞き入れてしまうと、現状(もしくは今後数年から十数年にわたって)、初手である普天間飛行場の代替施設を建設して移転するという計画自体が滞るわけでして。まさかとは思いますが、本音のところではそれもアリだと考えている、とかではありませんよね?
ともかく、本来複雑な問題に関して単純に賛否(と、やや無責任に響く「どちらとでもない」)を問うという、色々と疑問符の付く県民投票で、しかも終わってみれば、ほぼ事前の想定内に収まる結果だったこともあって、世間の反応は案外静かだった気がします。
この一般的な関心の低さも、沖縄の人(とは限らないけれども)にしてみれば不満でしょうし、ワタクシ的には「良いのか、それで」感があったりするわけですが、いずれにせよ今回の県民投票に「答えられない(賛成できないけれど反対もしない)」とか「反反対(反対することに反対)」とかいう選択肢があれば、投票率という点では、またもうちょっと、違った結果になったのかなと思ったりしてます。
そうそう、
例えばこういう国の計画に関する都道府県民投票とか、あるいは都道府県の案件に対する市町村住民投票とかにヤケに熱心で、二言目には「民意を問え」って叫ぶ人達って、憲法改正を発議して国民投票に付すことについては何故に猛烈反対したりするんでしょうか。それとも、両者が同じ人達に見えるのはワタクシだけなんでしょうか?
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
理論的に考えれば、埋め立てに反対するということは、すなわち普天間飛行場の代替施設建設が滞るということになるはずなんだけれども、そこが遠景へと後退してしまうような問い方だなと思います。
沖縄県では、普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対し、県民の意思を的確に反映させることを目的として、 県民投票を実施します。
*沖縄県:2.24県民投票
→https://kenmin.okinawa/
まあまあ、普通のチラシでしょうか。
*沖縄県:県民投票チラシ
→https://kenmin.okinawa/assets/download/A4_chirashi_kaisei_3.pdf
こちらのリーフレットは、うーん、端から「国と県とが互いに譲らず争っている」の図になってしまっているような・・・
*沖縄県:県民投票リーフレット
→https://kenmin.okinawa/assets/download/B4_leaflet.pdf
巷の断片的な沖縄情報に飽き足らず読んでみました。沖縄県民の「息遣い」は確かに伝わってきたのだけれども・・・個々の「リアル」を知ろうとすれば、その分、沖縄全体の「意思」は判らなくなっていくんだよなあと思いました。
報道が過熱するほど見えなくなる沖縄のリアル 迫る県民投票を前にこの島を生きる人々の息遣いを聞く
*ニューズウィーク日本版:特集 沖縄ラプソディ
→https://www.newsweekjapan.jp/magazine/231870.php
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