雲雀野と郭公の森と

北アルプスと黒部川に育まれた片田舎
の住人の気まぐれ日記
あの「森の近況」の代替として・・・・・

ご苦労様でした。

2019-07-02 06:16:38 | 雑記
 45年間勤めて来た仕事にピリオドを打ち、
これからここ故郷をを拠点として暮らすんだ。
ということだそうで、
 「それじゃあ歓迎会というか慰労会というか・・・・・・」
つまりは各自手料理を1~2品持ち寄って
飲み会をしようという話がとんとんと決まって









一年間の空白でした。

2019-06-26 11:42:03 | 雑記
時々更新されなくなるのが、このブログの唯一の取柄ですが

さすがに一年間も放置したことはなかったかな。



これもみんなFacebookやTwitterで簡単に発信できる所為です


と、あのえらいさん達みたいに責任転嫁をして

再開のあいさつに代えたいと思います。

古民家宿泊と黒部トロッコ電車オフ

2018-05-22 14:52:49 | 雑記
 表題のオフ会を下記の概要で企画しました。

日時  6月23日~6月24日(もしくは9月か10月上旬)
参加費 12000円(宿泊費、トロッコ料金含む)
日程  1日目
      14:45まで北陸新幹線黒部宇奈月温泉駅集合
        車にて移動しながら周辺見学
      17:30 宿泊先 古民家「山本家」着
      18:00 会食
    2日目
      7:00  起床 朝食
      8:30  出発
      9:00  トロッコ電車で黒部峡谷探訪
      (パノラマ展望ツアー参加
       あるいは欅平周辺散策)

      15:54  宇奈月駅着
      17:20  黒部宇奈月温泉にて解散


  参加費(12000円)から推測できると思いますが
  質素な内容のオフ会になると思います。
  しかしながら黒部の自然は皆さんを歓迎してくれると思います。

  黒部が初めての方も、訪ねた事のある方も新しい感動があると思います。

   心からご参加をお待ちしています。
   参加表明や問い合わせは、ここへのコメントかメールにてでお願いします。


     mail : kawaranokoisi@mail.goo.ne.jp






気になる事

2018-02-26 20:15:36 | 雑記

 言の葉以外で最近気になるのが自動車の夜間走行時のヘッドライト。
警察が交通指導で、夜間のハイビーム運転を強調するようになったので
ハイビームで走行する車が多くなったようだが、
対向車があってもロービームに切り替えない車が多いのが気になる。

思うに、ハイビーム走行の指導を強調するあまり、
対向車があった場合などはロービームに切り替えなければならないことの指導が
かすんでいるのだと思う。

 ロービームで見落として事故るのも
ハイビームで対向車を眩惑させて事故るのも
悲惨なことになるから、こまめに切り替えて安全運転をしたいものだ。 



気になることは(言葉)

2018-02-24 09:36:21 | 雑記
 「間違いやすい日本語について」というお題からはちょっとずれるけど
最近気になっていることに「すいません」というのがある。
「すみません」を「すいません」と言っている時点で本当に謝罪の気持ちがあるのか
と疑いたくならなくもない。
 テレビなどではご丁寧に「すいません、云々」とテロップ文字を添付していることがある。
言葉は生き物で時代とともに変わっていくという意見に反対はしないけど気になるものは気になる。

すいません(笑)画像は本文とは無関係です。

 日本語ではないけどずーっと気になっているのが
「リベンジ」と「イナバウアー」
詳細は略するけど・・・・・・・




座右の銘

2017-01-12 09:39:24 | 雑記

夏目漱石の部屋には「則天去私」と書かれた扁額が飾ってあったそうな。
それが漱石の座右の銘であったかどうかは不明だが・・・・・・・

なんかの拍子に座右の銘はなんですか?と訊ねられることがあるが、
いつのころからか「人間万事塞翁が馬」と答えるようになった。
責任転嫁的で俺らしいといえばいえるかな(苦笑)

宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生きる
という自作の銘を座右としてきた人がいるとか

それくらいの言葉を若いころから座右として生きてきたら
俺も、違う人生になっていたんだろうが
人間万事塞翁が馬」ではなぁ~~
それも運命ということか。

そして俺だったら、格好つけて
宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生き、の後に天命に至る
と付け加えていたかな



金に縁のない男の事件w

2016-03-15 15:49:22 | 雑記
 コンビニへ買い物に入ろうとして、ポケットの小銭を鷲掴みで取り出して
拡げてみたら、500円のようだけどちょっと異質なのが混じっていた。

 一瞬外国コイン詐欺?にやられたかと思ったが
よくよく目を凝らしてみると日本国との刻印があり裏には
地方自治なんたらみたいなことも刻まれている。



 へ~こんな記念硬貨があるんだぁとひとまず安心。
家に帰ってググってみると平成20年から発行されているようだ。

 金に縁がないとこんなニュースにも疎いのだなぁと納得。

地方自治施行60周年記念硬貨については

https://www.mof.go.jp/currency/coin/commemorative_coin/47_pref_coin_program/joukyou.htm

ここに詳細が載っていますので
興味のある方はどうぞ。
1000円のカラー硬貨もあるそうです。
一読すると金との縁が濃くなるかも。

パソコンが石になる話

2016-03-14 08:33:13 | 雑記

 近所に粕塚というのがある。


その粕塚の在る場所に、昔大変繁盛した酒屋があったそうです。
ある日戸口に旅の坊さんが立って、酒粕を少し恵んでもらえないかと
頼んだそうです。
しかし酒屋の主は「お前にやる酒粕などない」と無碍に断った。
すると後日酒屋にあった酒粕は全て石になってしまった。
という伝説が伝えられています。

 夕べ東京から帰省している従弟と酒を飲みながらの雑談のなかで
粕塚のことについて話が及んだ。

 従弟は「昔から教訓を含んだいろいろな伝説や昔話が残されているが
そういう現代版の話もあってもいいのではないか」という。

 例えば、ある娘さんがお父さんの誕生日に珍しい酒をインターネットで
注文してプレゼントした。それはそれでいいのだが、
お父さんはいつも懇意にしている近所の酒屋さんでお酒を買っていたので
娘さんの気持ちはありがたいのだが酒屋さんにちょっと済まない気がした。
 我々は便利さを享受する裏側で、気づかぬままある大切なものを失ってはいないか?
そんな時、便利な機器が石になってしまうような現代版物語を・・・・・・・

考えてもいなかった発想だ。

 自宅に帰ってきて、現代版昔話現代版昔話・・・・・と、名作の一つでもひねりだしてみようかといろいろ考えていたが、飲み過ぎた酒のせいで私は石のように眠ってしまいました。


日本の定員は

2016-01-12 10:06:05 | 雑記

 従弟が東京から帰ってきているというので遊びに行ってきた。
「遊びに」と言っても双六をやったりカルタをするわけではなく。
当然酒ですね(苦笑)
     「投 影」
   もう一歩の踏み込みがないから
   深山つつじの群生にも出合えない

   臆病か 無気力か

   ウィンドゥショッピングのような生き方では
   涙や喜びのこごり のかけらも買えまい

   女や男たちにはかすり傷さえ残せず
   お前の拳を拡げれば こぼれる夢の影もない

   そこに座れ!
   酒の繰り言はやめるから
   ドロドロになるまで  お前は
   せめて盃を重ねるのだ
   今夜から毎日のように
  
 (1978.6)

 酒が飲めない者は親戚ではない
みたいな家系の男二人が、ぐびぐびと飲みながら
地元の歴史や謎についてああだろう こうだろうと・・・・・・・

酒がすすみ 話も千鳥足になってきて、
話題はあっちへ行ったりこっちへ行ったり。

少子高齢化とか経済の発展とはどうなんだとか
ムヒカ大統領のスピーチのこととか
外国観光客を誘致して支えなければならない経済ってどうなんだとか

 んでようやく表題のことになるのだが
日本の適正人口って4~5000万人だ という説が
従弟から提案(?)された。
 それはちょっと少なすぎかなと思うが、人口を増やすことしか考えていない
霞が関や永田町の連中にはそれくらい言ったほうがいいのかもしれない。

 なんだかんだで酒も飲み尽くしたので
満天の星空の下、家へ帰ってきましたとさ


流水客土(りゅうすいきゃくど)

2016-01-09 08:48:15 | 雑記
 昭和26年頃から実施された、流水客土の作業に携わった方々から
当時の話を聞き採り、記録として残そう、ということになり、年明け間もない7日に
なぜか私の実家に集まってもらって実施した。



 ことの発端は、「黒部川扇状地研究所」という団体の事務局に、昨年春から就いた同級生の広田君が、
地域の歴史を残そうという活動に熱心で、その一端として「流水客土の実情も・・・・・・・」ということになったのだ。



 流水客土というのは、
黒部川冷水温障害改良事業という県直轄で実施された事業のことで、
それまで、入善、黒部地区のの水田は黒部川扇状地の砂質層の上で作られていたので、
水はけが良すぎて保水性が悪く、加えて黒部川の冷たい水を使っているので、
収穫量は県下の平均を大きく下回っていた。

 そこで、扇頂部近くや周辺の山の赤土を崩して、用水を使い泥流水として、
扇央部や扇端部の水田に取り込んだ事業のこと。

参考(みずはくアーカイブより)

これは当時の事業に使われた放水用の排水管と同様のものです。   






 「話を聞かせてもらいたい」と声をかけたのは4~5人だったはずなのに、
10人以上の方がやってこられて、広田君もオレもびっくりしました。

恐るべし女性井戸端会議の伝播力。

情報漏えい

2015-09-10 07:13:58 | 雑記
 司法試験問題漏えいの話ではありません(苦笑)

 今年の春、不正アクセスによって年金に関する個人情報が、漏えいしたというニュースがあった。

自分には関係ない話だろうと高を括っていた。

しばらくして漏洩に対するお詫びの文書が届いたのだが、
その文面が、該当者あてなのか全員にあてたものかよくわからない内容だった。

つまりどういうお詫びをしているのかわからない、謎の文書だったということ。

そして先日、あなたの年金番号が変更になったという封書が届いたので
ようやく自分も情報が漏れた一人だったと思い知った。

名前と住所がもれていたらしい。
それくらいならすでにいろんなルートからいろんな業者に漏れまくっているだろうから
恐れるに足らずだ。
      と、 お も っ て い る 

             少し不安な今日この頃です



伝説 黒部浦島物語

2015-07-23 16:30:27 | 雑記
知っている人はどれくらいいるのだろうか。
当地にはいろいろな伝説が伝わっていて
その一つ「黒部浦島(八人浦島)物語があります。

宇奈月町史にも掲載されていますが、多くの本に掲載されていてそれぞれが
ちょっとづつ違っているところがあります。
26日にラジオで朗読されるのが、どのパターンなのかはわかりません。

著作権の関係でまずいのかもしれませんが、参考として私が最初に目にしたものを暫時掲載します。

 8月6日、転載を削除しました。

もし知りたいという方がおいででしたら、連絡くださればメールに添付して
送ります。 ということであしからず。


 愛本橋の上流の村で、老若が集まって碁会をはじめ、かわるがわる宿を立てて碁を打って楽しんでいた。

 ある日のこと、歳のころ六十歳ばかりの老人がとぼとぼやってきて
「わたしは碁が好きです。どうぞ拝見させてください」
といって腰をかけ、碁を打っているところをじっと見ていた。
 その中の一人が
「あなたが打たれるならば、私がお相手いたしましょう」というと、
 老人は
「それは、ありがたいさらばどなたとでもてあわせしましょう」
というと、その村で一番といわれている男が
「わたしがかわってうってみましょう」
といって、互い先で打ち始めた。
 老人は、村の者よりは五目ばかりも強そうに見えた。村人たちは
「あなたは上手に打たれる」
と、ほめそやしたので老人は六目勝った。
老人は「明日またまいりましょう」といって帰った。

 そして次の日も、また次の日もと毎日やってきたが、
その老人はどこの人とも知るものがいなかった。

 かくして一年は過ぎた。

 そのうちに仲間の中で
「あの老人はなんというものでどこの人だろう」
といったが誰一人知る者がいない。そこで
「今度老人が見えたら宿し給え」といって老人の家へ行ってみようではないか
「それは、おもしろかろう」
といっているところへ老人がやって来た。そうして老人に向かって
「永い間碁会においでになるが、一度あなたのお家で宿をしていただけませんか。
私達一同
うちそろってまいります」
と言うと老人はいかにもうれしそうに、にこにこしながら
「自分もいつかお宿をしようと思っていました。しからば用意してあさってむかえにまいります
といって、碁を打ってから帰っていった。

 約束の日には朝早く老人が迎えに来たので、八人のものどもが打ち連れて老人の後について歩いた。
谷へ入り大きい滝のところへ出ると、老人は
「この滝の内に人の知らない近道があります。私といっしょに滝の中へ飛び込みなさい」

といわれて、不思議に思ったが、滝の中にとびこんだ。
 ところが、その中が洞になっていてりっぱな大道がついていた。
十余町も進んだかと思うころに、広々とした野原に出た。
その野原を四-五町いくとむこうに黒い立派な門が見えて来た。
 老人は
「あれにみえるのは自分の住家です」
門をくぐると正面に大きな式台があり、そこには大勢が出迎えて
「遠方よりようこそおいで下さいました」
とあいさつした。八人の者どもは座敷に通されたが、どの部屋を見てもきれいでこの世のものとも思えなかった。
 やがて老人が出てきて
「見苦しいところへようこそおいで下さいました。まことにうれしゅうございます。おゆるりとお遊びください」
と、さまざまなごちそうをしてもてなした。
 次の日には、近辺から碁の相手が来てかわるがわる碁を打って楽しんだ。
そのあとで山海の珍味が出されて酒宴が開かれた。
八人のものどもはおもしろくて家に帰るのも忘れたよう。老人は
「私に一人の娘がいます。踊りを習わせていますが、今夜は気晴らしに躍らせますから奥の座敷へ席をお替えください。
といって案内した。一同は奥の室へ入ると、灯台がならび十四、五から十七、八歳のきれいな娘たちが並んで
三味線、胡弓、尺八を持って調子をとり、調べにあわせて踊り唄をはじめると、むこうから美しい娘がでてきて
踊りはじめた。これに従う大勢の娘たち、その踊りに八人のものどもは度肝を抜かれて天にも昇る心地であった。 踊りが次々と変わり、終わる頃には夜が明けていた。
踊りと酒宴のごちそうになった八人は、口をそろえて娘さんの踊りを褒めたたえてあいさつした。
 老人は
「さて、おたいくつでしたでしょう。ゆっくりお休みください」
といって寝床へ案内した。間もなく一人の者が目をさまし
さてさて、不思議なところへ来て、四、五日と逗留した。いざ帰ろう
というと、みんなも起きでて、老人に
「ながなが手厚いおもてなしにあずかりありがとうございます。これでお暇申し上げます」
というと老人は
「せっかくのおいで、もうニ、三日とどまりなさい」
といったが、八人の者どもは
「家内の者どもがまっていましょうから、これで失礼いたします」
といったので、老人は
「しからばおこころにおまかせしましょう。しかしなにかのごちそうにと、世に求めがたいさかなをもとめました
そのさかなを料理してさしあげましょう。その前に台所でお目にかけましょう」
といって台所へ案内した。見ると頭は人の形で丸く、目耳鼻があって、胴は鯛のようであった。」老人は
「このさかなは人魚といいます」
座敷にもどると、老人は
「ただいまご馳走を運ばせます。このさかなを食べると長生きします。ごゆっくり召し上がってください。
と、あいさつした。
 みなの者どもは、初めて見たふしぎなさかななので、食べるように見せかけながら懐紙に包んで
「このようなめずらしいさかなを一人で食べるのはおしいから、持ち帰って家のものといっしょにわけていただきます。」といい
「身にあまるおもてなし、ありがたく終生忘れません」
とお礼を述べて、屋敷をでると、大勢の人たちが門の外まで見送り、老人は
「自分は滝まで、お見送りします」
といって、八人の先に立って滝のところまで案内し
「ここから外へでなさい」
といってから、あいさつをして別れた。八人の者どもは教えられた通りにして滝から飛び出し川ぶちでくだんの紙包み
の肴を川に捨て

「さても、不思議なところへいって遊び気をのばした」
と、いそいで家に帰ると、家族の者どもはびっくりして
いままで、どこへ行っていたのですか。ちょうど三年経ちました
というと、みなが顔をあわせて驚いた。
 紙包みのさかなを捨てないで持ち帰った一人が、何心なくとりだしたのを、
十歳になる娘が土産と思って、ひとりで食べてしまった。

 のちに、八人のものどもは、老人に連れられていった滝をたずねたが、探し明かすことができなかった。

 それからは、老人は碁をうちに来なくなったが、魚を食べた娘はいつも若々しく三百歳の寿命を保った。
とのことである。



地域観光ギャラリー

2015-01-22 19:40:45 | 雑記

 3月14日に北陸新幹線が開業するということで、沿線自治体などでは上を下への大騒ぎ中。

新駅「黒部宇奈月温泉駅」も着々と開業に向けて整備が進んでいます。
その駅に隣接して「地域観光ギャラリー」という施設が造られています。



 昨日、黒部市のお偉いさんたち(市長、市会議員など)が視察に行ってきたと、
TVや新聞で報道されていたが・・・・・・

 実はわたくし、17日にお先に御免と見学してきました。
一階部分は、まだ工事の名残がありましたが・・・・・・・


  
 お偉いさん方への公開が終わるまで、写真などをネットにアップするのは控えてくれと
担当者から規制がかけられていましたが、報道関係者にも公開されたからもういいかな。







観光案内所とミニ博物館を合体させたような施設ですが
疑問符はいろいろ飛び交いそうです。





 黒部宇奈月温泉駅に降り立った観光客の皆さんに、黒部市(県東部)観光の玄関口として、
地域の見所の紹介や観光情報を提供し、利用してもらいたいとのことだが

「ジオパーク認定された影響をひきずったのか、博物館的要素が強すぎて、
観光客にとってはどうなんだろうという感じがしました。

 3月13日に正式オープンです。




「マッカーサーの告白」(備忘録として転載)

2014-12-28 11:17:58 | 雑記
「マッカーサーの告白」
1951年5月3日
アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて

(ソース)
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/82_S4.pdf

日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません。日本は自衛戦争をしたのです。

イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突き付けました。...

中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人はよくて日本人は許さなかったのです。ハルノートのことは、私もアメリカの国民も知りませんでした。


あんな物を突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を建てました。
アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。

戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。

東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。

その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。


私は反省しています。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。

「私は日本について誤解をしていました。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。

日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。

歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。

日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。その全てがアジアの海域に存在したのです。

もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。

したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が自衛の必要に迫られてのことだったのです」


アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて

1951年5月3日

ダグラス・マッカーサー

(ソース)
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/82_S4.pdf