先日、友人が
「ボブ・ディランのOne More Cup of Coffeeという歌が聞きたくて
Youtubeを探したけど、カバー曲しかなかった」
みたいな書き込みをしていた。結局は見つかったんだけど・・・・・・・
それに誘発されて、自分もYoutubeでディランの曲をあれこれ聴いた。
その中の一曲が表題Like a Rolling Stoneなわけで、
まるで転がる石のように と訳されていると思う。
「転がり続ける石には苔が生えない」という諺があるそうで、
今の今まで、それは肯定的な意味だと思っていた。
でも Rolling Stone には風来坊とか、職業を変えてばかりいる人という意味があり
(それがネガティブかポジティブかは見解により・・・・・・・・)
A rolling stone gathers no moss.という諺は
職業を変えてばかりいる人には金はできない という意味がある。
ということを、今日まで知らなかった恥を
さらしてみる五月の昼下がり。
さらしついでに遠い昔に書いた
「まるで峰からころがる石のように」
というのもさらしておきます。
郷愁をくすぐったペンダントが 机の
引き出しの隅に眠っている としても
稲穂色の耳飾りに心地善い 小鳥の言葉を
今日も聞いていますか
(中略)
さまようのはとどまれないからだ
だからとしても 求めるのは疲れるためなのか
沈みゆくためいけないのか
卓球もテニスも一人では楽しめないが
返らなくても叫ぶ こだまを願った俺の君の声は
自分の空洞に共鳴して豊かさの発見がある?
しかし山道を独り行く 沈黙者
が踏み落とした石が
ころがり落ちつづけるように
俺も変わり続ければ 所々に
待ちうける岩に木に激突して新しい 視界
を見つけた感動に出合うだろうか
(耳もとでさえずるうたにさそわれて
夢色の風船は
すりガラスの部屋から飛びたちますか)
滅裂のいらだちに
俺の季節は
ひまわりの高さを忘れてしまいそうだ
う~ん意味が分からん って自分で言うな
を歌っちゃってから、、
風来坊 転職せずに還暦を越えてもなお・・
現職でいるという矛盾にみちた現実を
与えられると、、
さざれ石が、巌石になって、
苔むすのは、
千代に八千代にどーか?
という疑問が払拭できないのであるが、
空洞に共鳴するが
視界はまだ暗黒の世界
すりガラスの向こうの恒星は
明日の邂逅を思い
ひまわりほどの高さで回り道をする
今を遮断するに月影は耳元で囁く
破滅は瞬時の快楽
なんのこっちゃ・・・
コメントがいただけるとは光栄です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1086977805
わざわざメール連絡にしなくても
あなたのメッセージにURLリンクしてくれれば良いのに・・・・・・・
んん それじゃあメアド収集の目的がかなわないのか