北の隠れ家

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夢のまた夢 ・ 八部

2016年04月24日 10時48分02秒 | 夢のまた夢

☆弘前時代☆




昭和四十二年春、大学を卒業したアッシは青森は弘前の人となっていましたんでごぜぇますだ。

育てられた老舗のお菓子屋を手伝う道に進んで行ったんでごぜぇます。本心は、社会に出ていきたかったのですが、世の「しがらみ」がそれを許さなかったのでございます。そんな時代だったのでございます。


なんだかんだで、取引先の問屋さんの紹介で青森は弘前市の或るお菓子屋さんで「修業」させて頂く事になりましたのでごぜぇますだ。
弘前は城下町でございました。アッシは、北海道育ちのため城下町にはとてもあこがれを抱いていたんで。

弘前は仮の住まいでございました。てぇいうのは、アッシは故郷の育ての親の家業を手伝うための「修行」にきていたのでごぜぇます。


修行期間は三年間、なんでも義父が、石の上にも三年なんてぇことを云いやして、へぇ。

その会社は、弘前市内になんと十二社もの支店があった躍進中の伸び盛りの会社であったんでごぜぇましただ。


「ラグノオささき」てぇ名前の会社でごぜぇました。ちょうどアッシが入社した時は二代目にバトンが渡された頃でございました。

なんでも二代目は、東京で「ビクター」てぇ音楽関係の会社に勤めていたサラリーマンだったんでございますが、親の跡を継ぐために退めてきたてぇ話で。こりゃ真偽のほどは定かじゃありませんが、なんでも上役と喧嘩をしたのがきっかけだったそうで。


その喧嘩の原因てぇのがまたふるってましてねぇ。ビクターてぇ会社のマークはご存知でございましょう、蓄音機と犬のマークでさぁ。そのマークで、犬の向きがいつも、一定なんで色々と変化をさせた方が良いと進言したことが上司と喧嘩した原因だってぇ、もっぱらの噂でごぜぇましただ。


最初に配属されたのが、本店の二階にある喫茶部でごぜぇましただ。そこで、先輩にコーヒーのいれかた、ホットケーキの焼き方なんぞを教えて戴いたんでごぜぇます。

そこを半年経験させていただきやして、その後は駅前のスーパーの中にある駅前支店に配属となりやしたんでごぜぇます。




その支店はたまたま業績が振るわず、なんとかせにゃならんと経営陣が考えていたところでやんした。そこにアッシが配属されたんでやんす。きっと、修業の身とはいえ、一応、大卒だということでテストパターンとしてほおりこまれたような感じでごぜぇましただ。


名目は支店長として配属されたのでやんすが、売り上げの少ねぇことには驚いたアッシでやんした。経費を差し引くと、トントンと云った内容でごぜぇましただ。

こりゃ、支店長として立場上、なんとか売り上げを伸ばさなきゃなりませんでしたでやんすよ。そこで、いろんな本も読み、思い立ったことをやりだしたアッシでごぜぇましただ。


まず、やったことは、ほとんど売れない商品を置かないことにしたんでやんす。売れ筋のものばかりを置くようにしたのでごぜぇますだ。

これが、思ったより当たりやして、商品の回転率が上がり始めやしたんで、へぇ。次に、考えたのが、素通りしていた客の足をなんとか、店の前で止めさせることでごぜぇましただ。


そこで、プライスカードのところに、学生時代に杵柄を取った落語のセンスを生かして、川柳的なひとことを書き添えたんでごぜぇますだ。これも以外と当たりまして、商品は買っていただかずとも、ケースの中にあるプライスカードのひとことCMを読んでいくような客が増えて云ったのでごぜぇますだ。


そこで、客との込みニューケションが取れるようになっていったのが、大きかったでやんすねぇ。或る日、そのスーバーの経営者に呼び出しを喰らい、売り上げが右肩上がりに進んでいっていることをほめられやしたんでごぜぇますだ。そこで、北の大地から修行にきている身だと云う事を初めて、知ったようでごぜぇます。


それからしばらくして、今度は本店の社長から呼び出しがあり、なんと、駅前支店の社員に大入り袋・特別ボーナスが支給されたのでごぜぇますだ。二人しかいない部下の女の子は、ここ数年、大入り袋は出ていなかったと驚いておりや下でごぜぇますだ。





一年を無我夢中で経験し二年目に入った頃でありましたかな、アッシは持ち前の性格でみんなに可愛がられ、その会社初まって以来の社内報を発行することになり、その初代編集長に抜擢されたんでごぜぇます、へぇ。

無論、この仕事は本業以外のものであったのは勿論のことで。そんな中、アッシは毎週休日に、月一度の社内報発行資料のため各支店を訪問、それが又幸いしてアッシの名前を覚えていただく結果になった一つになったんでごぜぇますだ。


原稿はなかなか集まらなかったんでやんすが、その空白を埋めるためにアッシは、ひとり下宿先で、自分で原稿記事を作らざるを得なかったのでごぜぇます。

その一つに「ヨモヤマ噺」という雑感でアッシは、会社のオリジナル商品名を使って短編ものをおもしろ、オカシク綴ったんで。

この記事が、みんなに「喝采」を浴びることになり、その後の仕事にとても活きたのでごぜぇますだ。つまり、仕事上で、ちよっとの無理が快く引き受けられるようになっていったんで。


そんなある日、アッシはフト、このお菓子はいってぇ、なにからどうやって出来上がっているのだろうという単純な疑問に突き当たったのでごぜぇますだ。それで、社長に、販売に当たる者が、そのことを知らずして販売するのはいかがかと直訴して、現場の工場へ配属してくれるようお願いしたのでごぜぇますだ。


その時は、人が間にあっていたので現場には配属可能にならなかったのでやんすが、そのうち、欠員が出来やしてアッシが白羽の矢にあたりやして、念願の現場配属になったのでごぜぇますだ。


洋菓子部に配属され、なんだかんだ一年半の現場経験の勉強をさせていただきやした。

特に、好きだったのがデコレーションケーキのデザインでごぜぇましただ。パチンコをしていながらも、パチンコ台の枠のデザインをデコレーのデザインに応用したものでごぜぇます。それほど、面白かったのでござんすなぁ。

クリスマスケーキの、薔薇の花をバタークリームでこしらえるのでごぜぇますが、これがけっこう難しいもんでやんしてマスター出来たときゃ、そりゃ嬉しかったことを覚えていやすよ。
春の桜の季節にゃ、全国から数十万という観光客がまいりまして、アッシも同僚と毎晩のように仕事帰りに、夜桜見物にまいったもんで、へぇ。あのときの酒は、美味買ったでごぜぇますだ。





そんな中、アッシは「経理」の勉強に関心を抱き、市内の夜間簿記学校に通い始めたんでごぜぇますだ。

二週間ほどしてから、その学校で筆記用具を忘れてきたのに気がついたアッシでごぜぇました。フト隣の席に座っている女性、女性と云っても十七、十八歳位の髪が肩ほどまで伸びていた若い子であったんでございますが。その彼女にアッシは声を掛けたんで、へぇ。


「すいませんが、エンピツを忘れてきました。良かったら貸していただけないでしようか」

「ええっ、かまいませんよ。どうぞお使いください」

と、一本のエンピツをアッシに。この日から二人は、いつも同じ席に座るようになり帰路も一緒に帰るようになっていったんでごぜぇます。それは自然な成り行きでございましたなぁ。


彼女の名前は、「鈴木 純子」(純子と書いて「スミコ」と読みやしただ)。歳は十八、仕事は「事務」でございました。

家は弘前から弘南電車に乗って行かねばならない「大鰐温泉」でごぜぇましただ。アッシが仕事のため学校に来れなかった日にゃ、アッシの下宿先にノートを見せにやってくるようになっておりましたなぁ。下宿のオバサンはそんな二人を温かい目で見守ってくださっておりましたんで。


彼女は、母一人子一人の身の上であったんでごぜぇますだ。気が付いたら学校が終わってからはいつも「大鰐温泉」の彼女の家まで送って行くようになっておりましたアッシでした。

終電車が十時二十分、その時間までわずかしかない時を二人は大事に育てまやしたんで、へぇ。彼女が何かの都合で学校へ来れなかった時は、かならずアッシは彼女の家まで行ったものでしたなぁ。二人の間は自然と密になっていったのも自然でございましたんで。



そして、とうとう「修行期間」も、来春に迫ってきた十二月の或る夜、いつものように彼女の家を訪れていたアッシでしたんでやんすが。その日、開口一番、彼女の母親から「娘はやれない! でも貴方が弘前にずっと住んでくれるのならば喜んで一緒にさせて上げる」と云われたんでやんすよ。

娘は泣いておりやした、ポロポロと流れる涙を拭こうともせず。。。。

彼女は、彼女なりに母親とアッシとの板挟みになり苦しんでいたのでごぜぇますなぁ。母親は、アッシの家庭の事情までを調べ上げていたんでございます。


母親としては無理からぬ事だったと想いますんで。「そんな肩身の狭い想いのするところへ娘はやれない」と。しかも、母親も自分も今更ながら海を渡って、だれも知らない地に行きたくねぇと、へぇ。

アッシは、二人の気持ちが痛いほどわかりやした。でやんすから、無理矢理、連れていけなかったんでごぜぇますだ。


そんな話をしているさなか、突然、急に彼女が雪の降る表に飛び出して行ってしまったんで。裸足のままでございますよ。アッシは夢中でおもわずあとを追い掛けました。

彼女はどんどん降ってくる牡丹雪の中、しゃがみこんで、泣きに泣いておりやした、へぇ。アッシが傍へ行くと、泣きながらムシャブリついてきやしたなぁ。そして、ただ泣くだけでやんした。。。。

「おスミ・・・おスミ・・・・来年は必ず迎えに来るから辛抱して、待っていてくれ」その言葉しか云えなかったアッシでごぜぇでやんした。雪がシンシンと降り続いていた夜の出来事でありました。

それからはってぇと、逢っていてもお互いに眼と眼を見詰め合うだけの時間が多くなっていきました。眼と眼で話をしていたんでしょうなぁ。



 そんな辛い思い出が出来ちまった弘前時代でございましたんでごぜぇますだ。ええっ?彼女とはそれからどうなったんでぇって?へぇ、結局アッシはどうしても「家庭の事情」てぇいう「義理」を破ることが出来ずに、一年後に迎えにくる約束をして、一人で三年の修行期間を終えて北の大地へと戻っていったんでごぜぇます。


彼女はアッシとの思い出がこもっている弘前に一人居るのが辛くて東京の甥が経営している小さな会社に行ってしまったのでごぜぇますだ。。。。。。

つづく