北の隠れ家

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夢のまた夢 ・ 十四部

2016年04月30日 09時25分47秒 | 夢のまた夢
☆平成時代☆


      

【 家族初登山 旭岳・黒岳 】





翌月の平成三年三月にゃ、俊輔も小学校を無事卒業することが出来、四月には自宅から、徒歩十五分の「六合中学校」へ入学したのでごぜぇますだ。

この年の八月夏休み、家族での「初登山」をしたのでごぜぇます。
山は「大雪山連峰の旭岳」二千二百九十メートルでごぜぇましただ。ロープウェイで「姿見の池駅」を出発したのが丁度、十二時でございましたなぁ。
天気はあいにくと曇り空模様で、時折、霧が出るような天気具合でごぜぇました。最初は元気が良かったアッシでしたが、次第に、フーフー青息吐息の状態で頂上目指してがんばる羽目になったのでごぜぇますだ(笑)。

山頂に立ったのが二時五十五分でしたなぁ。晴れていれば、眼下に大雪連峰が見事に見れたのでしょうが、残念ながら、一面霧で全くそのパノラマを目にすることが出来なかったのでごぜぇましただ(笑)。
下りは、霧の中を下って参ぇりやしたが、五里夢中というのはあんな状態のことをいうのでしょうなぁ。わずか二、三メートル先が見えないんですからなぁ。天気に恵まれなかったのがとても悔やまれました家族初登山でございましたぁ。




次の週にはなんと今度は「大雪連峰の黒岳」に今度は、カミサンと二人で登山したのでごぜぇますだ。一千九百八十四メートルの山でごぜぇますだ。先週は登山開始がちょっと遅かったので、今回は少し早めの十時四十分に七合目から登り始めましたんで。
黒岳も七合目まではロープウェイで来ることが出来るんでごぜぇますだ。ジーパンに以前、陽子ちゃんから送って頂いた、勤めている保育園の名前が入ったぺアーのTシャツ姿で二人で登ったのでごぜぇますだ。

旭岳は、どちらかというとなだらかな山道でごぜぇましたが、黒岳はてぇと、そりゃ結構な坂道でして、ときには急な勾配の登山道でございましたなぁ。 山頂に立ったのが丁度、十二時十分でごぜぇまして、多く登山客がすでにおにぎり等を食べていやしたなぁ。

天気も素晴らしい真っ青な青空で、真夏だというのに所々に残雪が見られる大パノラマ風景でごぜぇましただ。夫婦で登山したのは、なんと長い夫婦生活でこの二回だけでごぜぇましただ。今、思えば行っておいて良かったと想っておりますでごぜぇます。


【 章人君来宅 】

明くる年、平成四年四月に次男坊の祐輔が、兄についで「六合中学校」へ入学したのでごぜぇますだ。
この年の二月には、東京の陽子ちゃんの一人息子の章人くんが大学受験合格の記念に旭川へ単身、スキーに来られた年でもごぜぇましたなぁ。ええっ?ちと合格には早い時期じゃねぇかって?へぇ、彼は成績優秀で「推薦入学」出来たんでさぁ。
そういう訳で、アッシん家で三泊されて行きなすったんでごぜぇますだ。「カムイリンクス」「サンバレー」「富良野 北の峰」スキー場へと毎日ご案内させていただいたんでごぜぇます。




アッシは勿論、休暇を取りやしたが、息子達も「富良野」へ行った時は特別、学校をさぼらせましたんで、へぇ。どう仕様もねぇ親父でございましたなぁ(笑)。
章人くんの日頃のおこないが良かったのでしょうね、連日好天に恵まれやしましたですなぁ。章人くんは、幼いときから、母親の陽子ちゃんから内地のスキー場へ連れていってもらっていたせいか、とても上手でごぜぇましたなぁ。

四日目に帰京の道についたときは、長男坊が「寂しくなるなぁ~」とポツリ、帰路の車の中でつぶやいていたのを覚えておりやす。彼にしても、兄貴みたいな感覚を章人くんを感じ始めていたのかも知れませんなぁ。  


【 ばぁちゃんの「還暦祝い」 】

この年、平成四年九月十九日は、カミサンの母親の「還暦」のお祝いを「旭岳 こまくさ荘」で盛大に行われ屋したんでごぜぇますだ。
カラオケで皆、多いに楽しみましたんで。翌日、旭岳ロープウェイで「姿見の池」まで上ったんでごぜぇますが、山はもう雪、雪、雪で真っ白、真冬並みでございました。まだ、九月だってぇのに。みんな、震えあがってやしたでやんすよ(笑)。




十二月には、妹の亭主の薦めで「ワープロ機器」を購入し、初めてキーボードと縁が出来た頃でごぜぇましたなぁ。
無論、現在のようなブラインドタッチじゃなく、「人指し指一本打法」でごぜぇましたんで(笑)。今、想うと、この時のワープロに接した経験が、後年のパソコンを扱うようになった時に、とてもスムーズにキーボードに接することが出来たんでないかと想っておりやす。

翌年、平成五年の春、それまでの空部屋状態だった一階の部屋を二十万円を掛けて、アッシの書斎部屋兼寝室に改造したんでごぜぇますだ。
歳をとって来ているのを肌身に感じたのかも知れませんなぁ(笑)。二階に上がるのがおっくうになってきていたんでさぁ。  


【 大阪の母 三回忌法要 】

この年は先年亡くなっていた実母の三回忌法要の年でごぜぇましただ。
六月十五日、山梨の身延山でおこなわれたんで。前日、深川の隣町「妹背牛町」に住む二つ違いの秀子姉と、妹の康子と三人で、浜松から急行「富士川六号」で静岡へ、そこで「身延」へと向かったのでごぜぇましただ。




身延へは二時十七分に到着いたしやした。日蓮宗の総本山であるだけに素晴らしく大きな由緒ある所でやしたなぁ。
この時も良い天気に恵まれまれ、その日は奈良から来てくださった母の弟の叔父と二人で、「信玄の隠し湯」で有名な温泉へ一泊いたしやした。秀子姉と康子は浜松へと帰りましたなぁ。翌日は叔父とも別れ、東京へ向かったアッシでごぜぇました。


【 一人旅 】

東京では、陽子ちゃんの所へお邪魔させていただいたんでごぜぇますだ。




この際だからということで「日光東照宮」、翌日は「鎌倉」へと一人旅をしたんでございやす。学生時代には全然関心がなかった二ヶ所でやしたが、とても素晴らしいところでごぜぇましただ。どちらも遠来の観光客でにぎわっておりましたなぁ。




日光の「陽明門」「眠り猫」「鳴き竜」など、また鎌倉の、文永の役、弘安の役の「元寇」の折りに戦死した敵、味方の兵士の菩提を弔うために、北条時宗が建立した「円覚寺」、そして彼の父親の墓所である「明月院」、このお寺は別名「あじさい寺」とも云われるように院内は紫陽花の花で包まれておりましたなぁ。




「建長寺」は丁度、普請中でごぜぇました。鎌倉の海が一望に見渡せる高台に建てられていた「長谷寺」、有名な「鶴岡八幡宮」そして美男で有名な「鎌倉の大仏」等々とて素晴らしい気さくな一人旅でごぜぇやした。

上京する度に内心想うのでございますが、今回で最後の上京になるやもと想うのでごぜぇますアッシでやんした(笑)。ですから、いろんな所へ行っておこうと想うアッシなんで。




【 夏の甲子園 】

この年の夏の「甲子園」は旭川にとって忘れる事の出来ない貴重な夏でございましたなぁ。
全国高校野球北北海道大会が、七月二十五日「旭川スタルヒン球場」で「旭大高」と「稚内大谷高校」の決勝戦がおこなわれたのでごぜぇますだ。
これで勝ったほうが「夏の甲子園」へのキップを手に入れることが出来るのでごぜぇましただ。
試合は、延長十回「二対一」で地元「旭大高」が優勝したのでごぜぇます。「夏の甲子園」八月十一日、いよいよ旭大高の緒戦が始りやした。相手は強豪「福井商業」でございましたなぁ。




この緒戦でなんと五対一で予想を裏切って相手を破ったのでごぜぇますだ。八月十六日、第二戦は、地元兵庫県代表「育英高校」に残念ながら十一対三で惜しくも惜敗したんでごぜぇます。
この年の北北海道代表校「旭大高」の甲子園の夏でごぜぇやしたなぁ。普段はそれほど郷土愛を感じない市民も、この時ばかりは郷土愛一色になるのは、本当に不思議な事でございますなぁ。

平成四年一月十七日から、一念発起して「年間百冊読書」の目標を掲げたアッシでごぜぇやした。が、十一月十七日の山本周五郎「おさん」での七四冊目で記録は幕を閉じたのを覚えておりやす。
しかし後年、六十歳のおり、この記録は大幅に増進いたし、百七七冊を一年間で読破いたしやしたのを覚えておりやす(笑)。。

つづく