2月18日(木)
震度6強の地震の片付けが一段落した(?)今朝は、寒いと思ったら雪です
爆弾低気圧で今日いっぱい荒れるとか・・・
10年前のあの時の、地震後のつらい日々を思い出しました
雪が降ったり雨が降ったりの寒い日よりも
食い物が無かったことの方が衝撃でしたね
スーパーばかりか、日頃、見向きもしない小さな店まで空っぽだなんて・・・
よくあるTVの戦後間もない、子供の頃の風景のようにみえましたよ
そんで死の灰が混ざった雨の中で、ガソリン欲しさの大行列・・・並びました
その当時は、死の灰が降りかかっているなんて、知らなかったんですよ
数日たって屋根の瓦を直した次の日に
突然に原発が危ないから避難準備指示、避難指示が出て民族大移動勃発
車の大渋滞と隣の家族も前の家族も、突然居なくなって音信不通
淋しかったない、組内の人が居なくなってしまうのは・・・
子供や親族から、まだ頑張るのか!と何度も云われたけど
おらぉここで頑張るぞ~と、強がり云ってました
一人じゃなかったんです
従弟のO君とその隣の2年前に亡くなったA君の三人で
何処のスタンドにガソリンが届くとか、パンが届いたとか毎日情報収集
TVが原発爆発の実況放送をした時は、真剣に危ないかも?と思いました
ロシアの原発事故が頭の中を走ったものです
そして1ケ月も経った頃、叔父夫婦が戻ってきました
後でわかったことですが、叔父夫婦が避難した所よりも
自宅の方が放射能値が少なかったのです
これ笑えない本当の話で、似たような話があっちからもこっちからもありました
だって誰も教えてくんないから、遠くへ行けばいいと思ってたからない
でも、今回の地震はそんな事は一切なくて、お茶のみ話です
いやぁ ゆんべの地震はひどかったない、TV押さえて震えてたぞい
と云いながら、隣の永ちゃんがお茶に誘ってくれました
石灯篭が倒れたので、石屋の○○さんに持って行ってもらったとこだわい と云うので
んぢゃごっちょう(ごちそう)になっか と、炬燵に入り込むと云う次第
「震度6強と云ってもあん時とは違うぞい、屋根の瓦がなんともねぇもの」
「やっぱり!おらげも仏様の位牌が一つ横になっただけで飛び出さなかったぞい」
と話が続く・・・
「原発がない 何とも無かったことだない」
「ほだぞい」
原発事故が無ければ・・・と、ぶつぶつ言いながら家に帰ると
なんと原子炉を囲っているコンクリートの丸い蓋に
とんでもない高濃度の放射能があることが分かったんだと!!!
・・・これTV報道です・・・
あ~ぁ 溜息 !
地震で崩れたりしたら 又放射能が飛び散って降ってくんの?
なんとかしてくれ 血圧上がりそう
いろいろあるけれども
今回の震度6強の地震は、意外と穏やかな わが町に やれやれです
・・・従弟が来たのでコーヒータイム・・・
静かに春を待つ下大越の風景
遠くの山は大滝根山
夕暮れ時の西の空
三合田から見た田村富士
昨年暮れ開店したツルハ 向かいの山は高柴山
雪景色
DJI-MINI 2 高度約10m
桜が咲くまでにmini 2に操れるように練習しなくちゃ・・・
天気の回復を只管(ひたすら)願っております
・・・・・・・・・
追伸 : 2021.2.19 独り言一部追加