連絡船2 2013年02月05日 18時59分45秒 | 観光 初代連絡船玉藻丸 本船は明治43(1910)年~大正12(1923)年まで。 「白い船体に電灯付き」という、当時としては画期的な船として人気があった。 姉妹船の「児嶋丸」と航路の草創期を担った。 当時の宇野駅桟橋全景 山陽丸 大正12(1923)年~昭和23(1948)年まで就航。 船内にステンドグラス、大理石、チーク材等の豪華設備を採用した。姉妹船の「南海丸」とともに快速船として就航していた。 南海丸