1982年(昭和57年)、父の知人の骨董屋の縁で、1965年式のフォルクスワーゲンのオーナーになった。通称ビートルとよばれ、個性的なスタイルに惹きつけられた。ビートルの中でも、ダブルバンパー仕様で、ライトカバーも付いたビンテージモデルだ。
今は亡き母が、父とこの車で買い物に出かけたことがあったが、熟年カップルにお似合いの車だった。ただ、電装系が6ボルトで、雨天や、夜間の走行には、不安があった。走行中にアクセルペダルが根元から折れてしまい、右手でスロットルコードを引っ張りながらアクロバティックな運転をしながら、家に帰りついたことがあった。
クラシックカーは部品の入手も困難で、走れる状態を維持するだけでも大変だとわかり、1年ほどで、手放した。熊本5せ6209ナンバーのビートルは、今でもどこかを走っているだろうか。
今は亡き母が、父とこの車で買い物に出かけたことがあったが、熟年カップルにお似合いの車だった。ただ、電装系が6ボルトで、雨天や、夜間の走行には、不安があった。走行中にアクセルペダルが根元から折れてしまい、右手でスロットルコードを引っ張りながらアクロバティックな運転をしながら、家に帰りついたことがあった。
クラシックカーは部品の入手も困難で、走れる状態を維持するだけでも大変だとわかり、1年ほどで、手放した。熊本5せ6209ナンバーのビートルは、今でもどこかを走っているだろうか。