無事に終わっております。
24日
まず6時にシャワーを浴び、八時半の手術に向けて出発。
手術階に行くと、なんとまぁ、混雑。「すごい人ですねぇ」と言うと「朝一の手術の始まりで多いんですよー」とのこと。
この一人一人がみんな手術。(感慨)
で、手術室に入ると今まで見たことのないほどの人がいるの。さすが、大手術。
ベットに寝ていろんな器具をつけられ、手の甲に針を。
あれが前日に痛みを緩和するシールを貼っているとはいえ、痛い。
最初に刺した先生が別の先生に「代わりなさい」と言われて、その先生が差したら結構ダイナミックなのに痛くない。
麻酔をかけられた時は、そうそうこの感じ、と乳がんの手術のことを思い出しました。
で、次に目覚めた時には部屋に戻っていて、相方が「全部きれいに取れたって」と言ってるのが聞こえました。
予定7時戻りでしたが、一時間早く6時に戻ってきてました。
それから、一晩中、まんじりともしない時間を過ごしたのでした。
うとうとするけど、決して寝られない。背中は痛いわ、動けないわ、のどが張り付くほど乾いているわ、で わやくちゃです。
前日に、H先生という大御所先生が来た時に「明日の手術に不安はありませんか。寝られますか」と軽ーく聞いてきたので「寝られないと思いますけど、以前に乳がんの手術もしているので」と答えたら「そらそっかー。あ、でも、終わった後の方が寝られないよー」と予言していったのを思い出し、とても暗い気持ちになりましたわ。
確かに、いつ終わるともない半日を過ごしました。
25日
ようやく日が明け、早くー誰か来てーと心待ちにしていました。
入れ替わり立ち代わり、主治医と担当医と大御所先生が見に来てくれました。
看護師さんに支えられて、取りあえず午前中に歩いてみる。
ここで頑張らないと尿カテーテルが取れないので頑張りどころです。
途中で看護師さんが「来た道をまた戻らないといけないので、この辺で戻りましょう」と言われ、もうちょっと行けるけどそうおっしゃるならと戻り、無事に尿カテーテルを取ってもらう。
解放感があり、途端にトイレへ。ガムをかむまでもなくガスとそれに伴い大便もわずかに出ちゃう。
ふー、やれやれ。
この話をすると先生も看護師さんも「すごい」と言うんだけど、腸炎のお陰ですかね。
特に面白かったのが、大御所先生が来た時。
椅子を動かして歯磨きしようとしてたんだけど、私の姿を見て「いや、こりゃすごい。こんだけ動けるなんて。いやぁ、すごいよ」とすごいを連発してくれました。
この日は朝はヤクルト、昼は栄養保護食のジュース、夜はご飯が出ましたが あまり食べられず。
足のポンプも弾圧ソックスに。
26‐27日
食事は通常通り出るのですが、わがまま病であまり食べられず。
主治医も「無理に食べなくていいですよー。無理すると気持ち悪くなるから」のお言葉に甘えて無理しない。
点滴は繋がれたまま、朝夕に抗生剤を点滴し、ひじ辺りに血栓予防の皮下注射を打ちます。これは25日からの日課。
取りあえず歩けと言われるので、携帯を持ってアプリに歩数を記録させつつ歩きます。
28日
で、本日は、一人部屋から4人部屋に移ってまいりました。
同室の方は閉め切っている上に一歩もベットから動かれず、おしゃべりできない状態。まぁ、コロナですからね。
点滴も取れ、完全普通食になり、以前 用紙に希望欄があったので「早く帰りたいです」と書いておいたら
担当医から「顔色もいいし、月曜日に退院しましょうか。それまでに血液検査して。あ、何なら今週末でもいいですよ」と言われました。
まじですかー。
歩いているとはいえ、のろのろよろよろ歩きなんですが。
午後に血液検査は明日、そして主治医の内診がありました。
腹水なし、リンパの腫れなし、出血なしで、日曜に退院してもいいですよ、とのこと。
相方に連絡して、じゃ日曜退院しちゃおうかなーって。(迎えに来てもらわないとタクシーで帰るのも大変そう)
戻ったらこき使われそうなんですけど。(不安)
看護師さんも出来るだけ体を休めてくださいねと話してます。
どうよ、乳がんやった時みたいに若くはないわけだよ。まじで。
まぁ、半沢直樹は家で見ることにしようと決めたのでした。
明日、リンパ浮腫の話などを看護師さんがしてくれるらしいです。
左足の付け根に痛みがあって気になっていたけれど(力が入りにくくて足が上げづらい)それは主治医が
「それはリンパのせいなので、大丈夫です。治りますよ」と言ってくれたので一安心。
いろんな病気になっていろいろ学ぶ。
学ばなくて済むのならその方がいいんだけどねぇ。(笑)
24日
まず6時にシャワーを浴び、八時半の手術に向けて出発。
手術階に行くと、なんとまぁ、混雑。「すごい人ですねぇ」と言うと「朝一の手術の始まりで多いんですよー」とのこと。
この一人一人がみんな手術。(感慨)
で、手術室に入ると今まで見たことのないほどの人がいるの。さすが、大手術。
ベットに寝ていろんな器具をつけられ、手の甲に針を。
あれが前日に痛みを緩和するシールを貼っているとはいえ、痛い。
最初に刺した先生が別の先生に「代わりなさい」と言われて、その先生が差したら結構ダイナミックなのに痛くない。
麻酔をかけられた時は、そうそうこの感じ、と乳がんの手術のことを思い出しました。
で、次に目覚めた時には部屋に戻っていて、相方が「全部きれいに取れたって」と言ってるのが聞こえました。
予定7時戻りでしたが、一時間早く6時に戻ってきてました。
それから、一晩中、まんじりともしない時間を過ごしたのでした。
うとうとするけど、決して寝られない。背中は痛いわ、動けないわ、のどが張り付くほど乾いているわ、で わやくちゃです。
前日に、H先生という大御所先生が来た時に「明日の手術に不安はありませんか。寝られますか」と軽ーく聞いてきたので「寝られないと思いますけど、以前に乳がんの手術もしているので」と答えたら「そらそっかー。あ、でも、終わった後の方が寝られないよー」と予言していったのを思い出し、とても暗い気持ちになりましたわ。
確かに、いつ終わるともない半日を過ごしました。
25日
ようやく日が明け、早くー誰か来てーと心待ちにしていました。
入れ替わり立ち代わり、主治医と担当医と大御所先生が見に来てくれました。
看護師さんに支えられて、取りあえず午前中に歩いてみる。
ここで頑張らないと尿カテーテルが取れないので頑張りどころです。
途中で看護師さんが「来た道をまた戻らないといけないので、この辺で戻りましょう」と言われ、もうちょっと行けるけどそうおっしゃるならと戻り、無事に尿カテーテルを取ってもらう。
解放感があり、途端にトイレへ。ガムをかむまでもなくガスとそれに伴い大便もわずかに出ちゃう。
ふー、やれやれ。
この話をすると先生も看護師さんも「すごい」と言うんだけど、腸炎のお陰ですかね。
特に面白かったのが、大御所先生が来た時。
椅子を動かして歯磨きしようとしてたんだけど、私の姿を見て「いや、こりゃすごい。こんだけ動けるなんて。いやぁ、すごいよ」とすごいを連発してくれました。
この日は朝はヤクルト、昼は栄養保護食のジュース、夜はご飯が出ましたが あまり食べられず。
足のポンプも弾圧ソックスに。
26‐27日
食事は通常通り出るのですが、わがまま病であまり食べられず。
主治医も「無理に食べなくていいですよー。無理すると気持ち悪くなるから」のお言葉に甘えて無理しない。
点滴は繋がれたまま、朝夕に抗生剤を点滴し、ひじ辺りに血栓予防の皮下注射を打ちます。これは25日からの日課。
取りあえず歩けと言われるので、携帯を持ってアプリに歩数を記録させつつ歩きます。
28日
で、本日は、一人部屋から4人部屋に移ってまいりました。
同室の方は閉め切っている上に一歩もベットから動かれず、おしゃべりできない状態。まぁ、コロナですからね。
点滴も取れ、完全普通食になり、以前 用紙に希望欄があったので「早く帰りたいです」と書いておいたら
担当医から「顔色もいいし、月曜日に退院しましょうか。それまでに血液検査して。あ、何なら今週末でもいいですよ」と言われました。
まじですかー。
歩いているとはいえ、のろのろよろよろ歩きなんですが。
午後に血液検査は明日、そして主治医の内診がありました。
腹水なし、リンパの腫れなし、出血なしで、日曜に退院してもいいですよ、とのこと。
相方に連絡して、じゃ日曜退院しちゃおうかなーって。(迎えに来てもらわないとタクシーで帰るのも大変そう)
戻ったらこき使われそうなんですけど。(不安)
看護師さんも出来るだけ体を休めてくださいねと話してます。
どうよ、乳がんやった時みたいに若くはないわけだよ。まじで。
まぁ、半沢直樹は家で見ることにしようと決めたのでした。
明日、リンパ浮腫の話などを看護師さんがしてくれるらしいです。
左足の付け根に痛みがあって気になっていたけれど(力が入りにくくて足が上げづらい)それは主治医が
「それはリンパのせいなので、大丈夫です。治りますよ」と言ってくれたので一安心。
いろんな病気になっていろいろ学ぶ。
学ばなくて済むのならその方がいいんだけどねぇ。(笑)