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唯物論の再構築

数理労働価値(第三章:金融資本(5)(C+V)と(C+V+M))

2023-10-09 10:37:36 | 資本論の見直し

(6b3)価格競争における平均利潤の実現

 上記例における価格構成は、価格が同一でも、(C+V)と(C+V+M)の間で相互転換する。どのみち剰余生産財が売れる見込みが立たないと、剰余価値Mは価格構成の中に入り込めない。その場合に(C+V+M)は期待値に留まる。しかし剰余生産財が常に売れても、価格競争は価格構成から剰余価値を剥ぎ取り、生産財単価を減少させる。上記例で言えば、生産財単価は最低1万円に半減する。このときの価格および価格構成は、次のようになる。どちらにしても(C+V+M)は期待値のままに終わる。

 生産財1(販売10,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円
 生産財2(販売10,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円


生産部門が価格競争の末に最終的に実現するのは、可変資本に労賃を支払い、不変資本に代金を支払うだけの単純再生産の資本循環である。しかしそれでは資本主義的利益は生まれず、部門支配者の生活が成り立たない。部門支配者の生活を維持させようとすれば、生産部門は生産財をさらにもう一つ生産し、3個販売したい。このときに部門生活者は労働者に対する絶対的または相対的な剰余価値増大に突き進む。ところがそのようにして追加生産財を生産しても、それが売れる保証は無い。やはり生産部門にとって理想的なのは、同じ生産数でより高く生産財を売ることである。それゆえに生産部門間の価格競争は、価格構成から全ての剰余価値を剥ぎ取るまで、生産財単価を減少させない。そこで生産物の価格構成は、例えば次の二通りの解決に進む。

 [差額略取型]

 生産財1(販売15,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円平均利潤 5,000円
 生産財2(販売15,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円平均利潤 5,000円


 [剰余生産型]

 生産財1(販売15,000円)原材料 5,000円労賃 10,000円
 生産財2(販売15,000円)原材料 5,000円平均利潤 10,000円


上記の二通りの解決は、個別の価格構成の見た目が違うだけで、全体の価格構成は同じである。個別の価格構成の違いは、差額略取型の価格構成が生産財一つ当たりの期待の差額略取に依拠し、剰余生産型の価格構成が等価交換に依拠することに従う。しかし差額略取型で労賃5千円+平均利潤5千円で現れる部分は、どちらも労働者の労働力が転じたものである。ただ労賃部分は労働者の必要労働部分であり、平均利潤部分は労働者の剰余労働部分である。同様に剰余生産型における労賃部分はもちろん、平均利潤部分も労働者の労働力が転じたものである。やはり労賃部分は労働者の必要労働部分であり、平均利潤部分は労働者の剰余労働部分である。したがって名目的な差異を除外すると、差額略取型でも剰余生産型でも中身は変わらない。一方で上記6b1)の始まりと異なるのは、次の3点である。

・生産財単価が2万円から1万5千円に減額
・資本主義的利益の名目が平均利潤に転じ、やはり減額
・生産財2における原材料費の混入

生産財単価の減額は、生産部門間の価格競争の結果である。資本主義的利益の減額も、同じく生産部門間の価格競争が限定する。しかしその減額は、平均利潤に達するとそれ以上に減額しない。むしろ予定生産量から見直すと逆に当初の価格設定の方が、部門支配者に平均以上の贅沢を与える異常な高価である。そしてその異常な利益が、価格競争を激化させた。結局その減額の停止は、同じ生産部門間の思惑に従う。その思惑とは、部門支配者の生活を売り上げから捻出しようとする共通利害である。そしてその価格表現が資本主義的利益を平均利潤にし、その(C+V)に対する資本比率を平均利潤率にする。なお金融部門のときと同様に、ここでも資本主義的利益を限定するのは、利潤率であり、剰余価値率ではない。その変化は、寡占特別剰余価値が有する差額略取的特性に従う。それは可変資本規模ではなく、不変資本規模に応じて搾取率を限定する。加えて生産財2における原材料費の混入も、生産部門間の価格競争が限定する。ただしここでは既に生産財2の不売は、配慮されない。その不売の心配は、同じ生産部門間の思惑により不要となっている。その思惑は、生産財2の不売を既に抑止している。またそうでなければ、平均利潤も実現しない。つまり同業他社は、平均利潤に達すると生産財単価の減額を停止するだけでなく、生産財の過剰生産も停止する。それゆえに生産財2における原材料費は、平均利潤ともども回収される。


(6b4)生産部門における差額略取の実体化

 上記例が示すのは、原材料費と労賃の総額を1万5千円に維持した価格構成(C+V)と(C+V+M)の相互転換である。そしてその全体の価格構成にさしたる変化も無い。さらに上記例は、生産財の単価ベースの価格構成についても、不変資本と可変資本の比率にさしたる変化を見せていない。ここでの生産財単価も、やはり(C+V)のままである。少なくとも(C+V)の(C+V+M)への転換は、剰余生産財Mの売却を必要とし、それが無ければこの転換も起きない。考えてみれば当然のことで、剰余価値Mはもともと労働者の剰余労働である。それは必要労働と同じく、生産財の生産に必要な労働である。それは労働者の労働力であり、不労者の労働力ではない。それゆえに個々の生産財の等価交換は、常に原材料費+投下労働力になる。それが一方で原材料費+労賃、他方で剰余価値に分離するのは、剰余価値理論が両者を抽出分離したこと、さらにその抽出分離した原材料費と労賃と剰余価値を個々の生産財に固めて振り分けたことに従う。それゆえに差額略取の価値論であっても、生産財単価が生産財一つ当たりの原材料費+労賃を割り込めば、損失が出る。もともと労働価値論の等価交換の場合、生産財単価は(C+V)である。ところがマルクスの生産価格論は、生産財単価を(C+V+M)で表現する。この両者は、明らかに整合しない。またそれゆえに筆者は、差額略取の単価構成(C+V+M)を、等価交換の単価構成(C+V)の仮象の如く扱った。しかし先に示した金融部門の場合、差額略取は実体化している。当然ながらその還流する貨幣資本の単価構成も、Mを貸出金利にした(C+V+M)に実体化する。もし金融部門を模して生産部門が平均利潤率を実現するなら、やはりその還流する貨幣資本の単価構成も、Mを平均利潤にして(C+V+M)に実体化する。つまり平均利潤を実現した生産部門における生産財の価格構成も、差額略取(C+V+M)を実体化する。当然ながらその生産活動も、実体化した差額略取に転じる。金融部門における差額略取の対象は、債務者の生産部門であった。しかしここではその生産部門が差額略取を行う。その対象は、まず消費者であり、次に原材料の生産部門である。ただし生産部門は金融部門の場合と違い、自部門の労働者に対して労働環境を配慮する必要が無い。それゆえに金融部門との比較で言えば、生産部門において絶対的および相対的な剰余価値増大は、その資本主義的利益の拡大で十分に機能する。したがって生産部門は、消費者と原材料の生産部門から差額略取し、さらに自部門の労働者から剰余価値を搾取する。ただ剰余価値搾取も内実は、実現利益に比して小さい労賃による差額略取である。むしろそれは資本主義的利益を創出する根源的な差額略取であり、ほかの差額略取はその派生的幻影である。


(6b5)(C+V)と(C+V+M)の矛盾

 ヴァベルクは、等価交換において(C+V)であるべき生産財単価が、(C+V+M)で現れることに剰余価値理論の矛盾を見出す。簡単に言えば(C+V+M)の生産財単価が表現するのは、差額略取を行う不等価交換だからである。しかし剰余生産が無ければその生産財単価が(C+V)となる。そして剰余生産があればその生産財単価が(C+V+M)となるのは、上記に示した通りである。ヴァベルクが指摘した通りに、その(C+V+M)は差額略取の不等価交換を含む。ただしもともとその差額略取の対象は、生産財を購入する消費者ではない。生産財を購入する消費者は、生産部門との間で生産財を等価交換しており、生産部門にぼったくられていない。ぼったくられているのは、生産部門に剰余労働を強いられた労働者である。当然ながら(C+V+M)が表現するのは、(不変資本+必要労働+剰余労働)である。ここでの「必要労働」は、労働者の生活のために必要な労働力量である。そしてここでの「剰余労働」は、資本家の生活のために必要な労働力量である。さらにその「必要労働+剰余労働」の全体は、生産財一単位の生産に必要な労働力量である。したがって実態として剰余生産が無い状態の(C+V)と剰余生産がある状態の(C+V+M)は、同じ大きさの、生産財一単位に必要な労働力量を表現する。ただ剰余生産が無い状態の可変資本Vが、剰余生産がある状態だと必要労働V+剰余労働Mに二分されるだけである。

 [可変資本部分に限定した生産財単価における価格構成]

(C+V)と(C+V+M)の矛盾は、前者のVと後者のVを同じ大きさだと理解することから生じる。しかし前者のVは、労働者の生活のために必要な労働力量であると同時に、生産財1単位の生産に必要な労働力量でもある。それに対して後者のVは、前者のVを剰余生産物で薄めた按分値である。したがって前者が物財1単位の生産に必要な労働力の最大値であるのに対し、後者はその最小値として現れる。ただしそれは前者の最大値と同じ価値を装い、それにより資本家利益を最大にする最小値である。それゆえにその物財交換は、等価交換を装う差額略取に転じる。それが差額略取たり得るのは、前提に等価交換があるからである。この点に無理解なヴァベルクは、この(C+V)と(C+V+M)の矛盾を捉えて剰余価値理論に異を唱え、資本論第三巻の生産価格論をその矛盾の解決と捉えることにも反対した。そしてヴァベルクの不満の通りに生産価格論は、(C+V)と(C+V+M)の矛盾を解消する内容ではなかった。しかもG-W-G’における差額略取の実体化は、(C+V+M)を本式の差額略取に転じる。このときに資本主義的利益も直接的な剰余価値搾取だけでなく、他部門の生産者や消費者からの差額略取を源泉に含むことになる。当然ながらそれはそれで、ヴァベルクの指摘に或る程度の正当性を与える。ところが全く同じ理屈でそれは、マルクスの生産価格論が持つ価格論としての正当性を示す。結果的にマルクスの生産価格論は、ヴァベルクが期待する価格論を実現しており、ヴァベルクがそれに対して不満を言う必要も無かったことになる。


(6b6)対外化した剰余価値搾取

 生産財の市場単価は、生産財1単位の生産に必要な労働力量Vmaxにおいて、不変資本部分Cと可変資本部分Vmaxの合算値(C+Vmax)である。ここに剰余価値Mを上乗せした(C+Vmax+M)は、その高値により価格競争に敗れて市場から追放される。一方で生産財の剰余生産は、可変資本部分Vmaxを按分し、その可変資本のために必要な労働力量をより小さな労働力量Vminに置き換える。この小さくなった可変資本部分Vminに平均利潤Mを上乗せした(C+Vmin+M)は、先の(C+Vmax)と同じ値段で市場取引される。ここでの(Vmin+M)はVmaxと同値であり、内面的な価格構成だけが異なる。

 C+Vmax=C+Vmin+M
 ∴ Vmax=  Vmin+M

この(C+Vmin+M)におけるMは、(C+Vmax+M)におけるMと同様に可変資本部分Vの上乗せである。やはり価格競争は(C+Vmin+M)を市場から追放し、市場価格を(C+Vmin)に置き換えそうに見える。しかしここでの剰余価値Mは、寡占特別剰余価値としての平均利潤である。それゆえにその価格競争は、(C+Vmin+M)から剰余価値Mを剥ぎ取るまで進まない。価格競争が先の(C+Vmax+M)における剰余価値Mを剥ぎ取るのは、Vmaxが生産財1単位の生産に必要な労働力量であることに従う。もしそこに任意の剰余価値Mを上乗せできるなら、誰でもが該当生産財の生産活動に参入できる。しかし価格競争はその新規参入者の生産財単価に対し、(C+Vmax+M)ではなく(C+Vmax)を強いる。もし新規参入者が頑張って自らの生産財単価の価格構成を(C+Vmin+M)に転換できるなら、新規参入者も剰余価値Mを取得できる。しかしそのために新規参入者は、剰余生産が実現するまでの間(C+Vmax)で生産活動を持続しなければいけない。そして剰余生産が実現した暁に、その生産の価格構成は(C+Vmin+M)となり、新規参入者は剰余価値Mを取得する。しかしこの剰余価値Mの取得までに要する苦労が、新規参入者を小資本家に甘んじさせ、彼に再び該当生産財の生産活動からの撤退を強いる。もともと生産財の寡占において、その生産工程に必要な不変資本部分は、無産者に取得困難な物財であった。そしてその取得困難が無産者に対して、該当生産財の生産活動への新規参入を断念させる障壁となっていた。ここでの(C+Vmin+M)を実現するまでの生産拡大の努力義務は、ようやく必要不変資本を取得した新規参入者にとって第二の障壁である。ここでもやはり剰余価値Mの取得までに要する苦労が、無産者における該当生産財の生産活動への新規参入意欲を挫く。この二重の障壁は、生産部門における寡占を外部の新規参入者から守る。価値面から言うとそれが守るのは、価格構成(C+Vmin+M)である。その価格構成におけるCとVminは、それぞれMの擁護者である。とりわけVminが実現するのは、生産部門における差額略取の実体化である。ただしここでの差額略取は、対外的な差額略取を内包する等価交換である。それと言うのも、その生産財単価は、(C+Vmax)だからである。それは価値通りの生産財交換を実現しており、正確に言えば差額略取ではない。その隠蔽された差額略取は、もともとの労働者に対して行っていた剰余価値搾取を、労働者以外に向きを変えたものである。

(2023/10/09) 続く⇒第三章(6)金融資本における生産財転換の実数値モデル   前の記事⇒第三章(4)価格構成における剰余価値の変動

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移
      (4)二部門間の生産要素表
      (5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取


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数理労働価値(第三章:金融資本(4)価格構成における剰余価値の変動)

2023-10-09 10:37:25 | 資本論の見直し

(6a)生産部門における寡占形成

 金融部門の資本主義的利益を構成するのは、基本的に金融部門による貨幣資本の独占を背景にした特別剰余価値である。その独占を実現するのは、個別の生産部門にとって用意不能な貨幣資本の大きさに従う。また生産部門はその貨幣資本を、さらに上位の金融部門からも調達できない。もちろん金融部門の債務者が金融部門に融資を受けるのは、減税目的の赤字粉飾をするためかもしれない。いずれにせよ債務者にとって金融部門は、避けようの無い貨幣資本の調達手段である。ただし金融部門による貨幣資本の独占は、生産部門に対する独占に留まる。その独占の威力は、同業金融部門に対して有効ではない。しかし金融部門間の競争で競合する両者が目指すのは、互いに特別剰余価値の確保である。それは互いの貨幣資本独占の維持において暗黙に一致する。しかもどちらの金融部門においても、一般的な剰余価値搾取が困難である。それゆえに金融部門は、同業金融部門との競争を抑止する暗黙の利潤率を擁立し、それに即した貸出利率を設定する。一方で生産部門の資本主義的利益を構成するのは、一般的剰余価値である。基本的にそれは、生産部門による生産手段の独占を背景にする。その独占を実現するのは、労働者にとって用意不能な生産手段の大きさに従う。労働者にとって生産部門は、避けようの無い生産手段それ自体として現れる。ただし生産部門による生産手段の独占は、労働者に対する独占に留まり、同業生産部門に対して有効ではない。そして生産部門同士が競争するなら、互いの搾取剰余価値が減少する。それがたどり着くのは、生産部門における剰余価値の消滅である。それゆえに生産部門も、金融部門と同様に、同業生産部門の競争を抑止する暗黙の利潤率を擁立し、それに即した剰余価値率を設定する。そしてその剰余価値が、部門支配者のための資本主義的利益を充当する。この剰余価値率の先行決定は、生産物の価格構成に現れる。それは価格の内訳を、生産コストと利益として分離する。そこでの労賃は、労働者から見れば利益である。しかしそれは、生産部門から見れば既に利益ではなく、生産コストである。


(6b)寡占特別剰余価値の特異性

 独占を形成した後の剰余生産物は、生産財の過剰生産に付随して現れる剰余ではなく、予定された剰余である。しかし結果剰余を予定剰余にするには、予定剰余に対応して生産財の予定生産量を減らす必要がある。そこで生産部門は、既存の生産実績に従って逆に必要可変資本を減少させる。それゆえにその生産財転換モデルは、前章の可変資本減資モデルに準じる。ここでの資本主義的利益は、あらかじめ剰余価値を価格面で確保することにより得られる。しかし剰余価値率が販売実績に応じて決まるのでなく、生産時点で計画的に決められると、その剰余価値はあまり剰余らしくない。本来の一般的剰余価値は、剰余生産物である、それゆえに価格構成の中に、剰余価値の居場所は無い。したがってその生産財単価は、あくまでも不変資本と可変資本の合算値(C+V)である。この価格構成における剰余価値の不在は、生産物取引を差額略取の無い等価交換にする。これに対して予定された剰余価値は、生産物の価格構成に、あらかじめ居場所を確立している。その生産財単価は、不変資本と可変資本および特別剰余価値の合算値(C+V+M)である。さしあたり寡占特別剰余価値は、やはり特別剰余価値である。そしてそれが特別剰余価値であるなら、その生産財単価も、(C+V+M)から競争を通じて、(C+V)に復帰すべきである。しかも予定剰余は、その可変資本に対する必要分の残余である。その剰余価値としての姿は、一般的剰余価値と変わらない。その生産財単価が(C+V)でなく、(C+V+M)であるのは、あらかじめ高目に吹っ掛けただけの名目価格であり、長期的に言うと実価格とならないように見える。この寡占特別剰余価値についてさらに確認すると、次のようになる。


(6b1)特別剰余価値と一般的剰余価値の相反する一体性

 まず本来の特別剰余価値は、同業他社の生産コストとの比較で、その技術優位に従い現れる差分利益である。生産部門の手元に残る資本主義的利益は、あらかじめ優位技術が価格に滑り込ませた特別剰余価値である。それゆえにその生産財単価は、不変資本と可変資本および特別剰余価値の合算値(C+V+M)である。この価格構成は、等価交換における価格(C+V)と異なる。当然ながらこの価格構成が表現するのは、差額略取である。その差分利益は、同業他社の生産コストとの比較で生まれる。ところが寡占特別剰余価値は、同業他社との寡占で生じる特別剰余価値である。それは同業他社の生産コストとの比較で言えば、差分利益ではない。そもそも生産コストが競合部門間で同じなら、同業他社に対して差分利益が生じない。しかし寡占は価格に特別剰余価値を上乗せすることで、その差分利益を実現する。生産部門にこの差分利益を可能にさせるのは、生産財または生産工程または販売過程に対する独占ないし寡占である。ここでの生産部門は消費者に対し、元の生産物価値に特別剰余価値の上乗せを強要する。それは、生産物取得のための余計な労働力の上乗せの強要である。しかしもし寡占が無ければこの強要は無効であり、同業他社の競合が生産財単価を(C+V+M)を(C+V)に減じる。このときに消費者も、生産物取得のために余計な労働力の上乗せることも無い。この差分利益でありながら差分利益ではない差分利益は、寡占特別剰余価値を特別剰余価値と異なるものにする。しかしそれが特別剰余価値ではないのであれば、それは一般的剰余価値である。しかしその生産物における(C+V+M)の価格構成から言えば、この剰余価値はやはり特別剰余価値である。寡占特別剰余価値の特異性は、この特別剰余価値と一般的剰余価値の相反する一体性にある。


(6b2)価格構成における剰余価値の変動

 寡占下における生産財単価は、一方で(C+V+M)を予定し、他方で(C+V)への減価圧力に晒される。その価格構成のギャップは、ヴァベルクが捉えた剰余価値理論の矛盾と同じものである。その価格構成は、一方で(C+V)に始まって(C+V+M)に至り、他方で(C+V+M)に始まって(C+V)に結果する。一見するとそれは、価格変化であり、価格構成の変化である。しかし価格構成の変化は、価格の変化ではない。価格が同一でも、価格構成は変動する。その例証に以下で労賃1万円、原材料1万円の商品を2個作るときの価格構成を考える。この場合に1個だけ2万円で売れると、剰余価値は生じない。

 生産財1(販売20,000円)原材料 10,000円労賃 10,000円
 生産財2(不売0円)→資本主義的利益ゼロ 


この生産財が1個だけ売れた時の価格構成は(C+V)であり、剰余価値Mが現れようも無い。しかし2個売れると、剰余価値が生じる。ただしその価格構成は(C+V)のままである。

 生産財1(販売20,000円)原材料 10,000円労賃 10,000円
 生産財2(販売20,000円)資本主義的利益 20,000円


ところがこの価格構成を各生産財で平準化すると、次のように(C+V+M)となり、剰余価値Mが価格構成に入り込む。

 生産財1(販売20,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円資本主義的利益 10,000円
 生産財2(販売20,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円資本主義的利益 10,000円


しかし逆にこの状態で生産財が1個しか売れなければ、原材料と労賃について必要な売り上げが不足する。

 生産財1(販売20,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円資本主義的利益 10,000円
 生産財2(不売0円)→原材料5,000+労賃5,000 の損失


生産部門が最低でも単純再生産を目指すなら、生産部門はここでの損失に、資本主義的利益1万円を充当する。そしてそのように充当すると、その価格構成の内実は最初の(C+V)に復帰する。

 生産財1(販売20,000円)原材料 10,000円労賃 10,000円
 生産財2(不売0円)→資本主義的利益ゼロ 


(2023/10/09) 続く⇒第三章(5)(C+V)と(C+V+M)   前の記事⇒第三章(3)労働力商品の資源化

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移
      (4)二部門間の生産要素表
      (5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取


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数理労働価値(第三章:金融資本(3)労働力商品の資源化)

2023-10-09 09:28:30 | 資本論の見直し

(4b)労働力商品の資源化

 貸出利率において実体化した差額略取は、部門収益の主要な利益源泉から労働力を除外する。もちろん金融部門においても部門労働力からの剰余価値搾取は可能である。しかしさしあたりそれは、金融部門における主要の利益源泉ではない。金融部門において労働力は、各種消費財や資本財と同じ一つの経済資源として現れる。それはその有する技能に応じて、購入価格や維持費に個別に差異を生じる一つの物財である。そしてそのように労働力を捉える限り、労働力は他の消費財や資本財とさほど差異を持たない。当然ながらそのような物財は、剰余価値を生まない。これまで生産部門収支において確認してきたのは、その資本主義的利益が剰余価値搾取から生じることであった。そこでの剰余価値は、生産過程において可変資本から派生した。すなわち生産資本の資本主義的利益は、生産財の剰余生産から生まれる。しかしその剰余生産を可能にしたのは、労働力の有する技能に対応しない労賃体系である。もし部門支配者が労働力にその有する技能に対応する労賃を与える場合、その分だけ生産財の剰余生産も減じ、剰余価値も減じる。しかも先の(2d)で述べたように、金融部門は自部門の労働力に高賃金と労働環境を提供する必要を持つ。金融部門が取得する剰余価値は、もっと小さなものになる。加えて言うと部門業務に要する各種の不変資本経費が、それを一段と小さくする。さらに労働力がその剰余生産に即した労賃を得るなら、剰余生産は消失し、剰余価値も生じなくなる。この剰余価値の消失は、労働力を物財と同様の経済資源に扱ったことの当然の帰結である。ところがこのときに該当部門において資本主義的利益も生じなくなる。またそれゆえに金融部門は、その資本主義的利益を他部門から取得する。そこでの資本主義的利益は、交換過程において不変資本から派生する。具体的に言うとその資本主義的利益は、融資元金に付随する利子として生まれる。この場合に金融部門の利益は、端的に言うと自部門の可変資本から搾取した利益ではない。ところがこの剰余価値消滅の一方で、金融部門における資本主義的利益は、金融部門の融資業務から生じる。そして融資業務は、一つの労働である。先の想定のように金融部門が労働者に技能に対応する労賃を与えるなら、金融部門において資本主義的利益が生じない。しかし金融部門において資本主義的利益は生じている。このことは金融部門が労働者に技能に対応する労賃を与えていないことを示す。そしてそうであるならやはり金融部門は、剰余価値を搾取していることになる。ここには一方で剰余価値搾取の終焉が宣言され、他方で剰余価値搾取の持続が確認される。とは言えここでの確認可能な剰余価値搾取は、次の点で旧来の剰余価値搾取と異なる。

・他の生産部門に比べて優遇された高賃金と労働環境
・労働力の有する技能に対応した労賃体系の偽装
・不変資本所有に対応した労賃体系
・剰余労働の相対的増大に即した剰余価値搾取


(4b1)金融部門における労賃体系

 金融部門にとって部門労働力の労賃は、該当労働力の市場価格である。そしてその市場価格は、金融部門にとって該当労働力の実評価額である。しかし労賃が労働力の実評価額であるなら、それは労働力の実現利益と相応しなければいけない。金融部門における物財は貨幣資本であり、それ自体は生産物ではないし、最終的に部門に還流する。したがって金融部門の部門利益は、全て融資業務の労働力から生じる。ところが金融部門が労働力に対し実現利益を引き渡すと、金融部門における剰余価値は生じないし、資本主義的利益も生じない。そして資本主義的利益が消失すれば、金融部門の部門支配者の生活収入も消失する。一方で金融部門の部門支配者は、人並み以上に裕福に生活している。したがって金融部門は、労働力に対し実現利益を引き渡していない。つまりその部門労働力の労賃は、労働力の実評価額ではなく、実現利益でもなく、それより小さい額面である。やはり労働力は剰余価値を生産し、それを搾取して部門支配者の生活が成立する。したがって労働力の評価額も、一方で市場価格と称して金融部門が小さく設定するが、その実績はその評価額より大きい。そしてそのように金融部門が労働力の実評価額を恣意設定できるのであれば、逆に部門支配者の実評価額も恣意設定が可能となる。それゆえに金融部門における労賃体系では、一方で部門支配を高収益労働に扱い、他方で末端業務を低収益労働に扱う。部門支配者の高収益労働の内容は、端的に言えば部門不変資本の所有事実それ自体である。そして金融部門の場合にその部門不変資本は、端的に言えば貨幣資本である。すなわち金融部門支配者の高収益労働とは、貨幣資本の所有者であることに尽きる。そしてその所有者である立場において、彼は労せずに労賃の名目で資本主義的利益を得る。一方で金融部門の部門利益を生んだのは、金融部門の融資業務である。金融部門は部門支配者の利益を、その部門利益から捻出する。それゆえにその労賃全体は、その実現利益より常に小さい。部門支配者の利益は、その減額分に対応する。そしてその減額分を、融資業務に関わる労働力全体が痛み分けをする。その痛み分けは、融資業務における末端者ほど負担が大きく、逆に部門の統括者に近づくほど負担が小さい。それどころか部門は末端者の労賃を減額し、統括者の労賃を積み増しする。他方で金融部門の部門利益は、あらかじめ貸出利率により限定されている。それゆえにその労賃体系の全体も、その限定利益の分配体系となる。その労賃体系の内実は、労働力の有する技能に対応したものと言うより、不変資本所有への関与規模に対応する。あるいは金融部門が部門支配者の資本主義的利益を、あらかじめ部門利益から控除する。とは言えそれでも金融部門の末端労働者は、やはり他の生産部門の労働者より優遇された労賃と労働環境を得る。それゆえにその剰余価値搾取は、旧来の剰余価値搾取に比して緩和されている。そしてその労賃が最低限の人間生活を保障するなら、その労働者における自らの処遇に対する不満は、他部門の労働者ほどに深刻ではない。この緩和された労使関係は、旧来の生産部門における労使対立を変質させる。その緩和された労使対立は、金融部門労働者の労賃を平均賃金より高く設定し、残りの全利益を部門支配者の収益にする。金融部門内における所得格差は一層激しいものとなるが、平均より高い労賃が労使対立を抑止する。その変質の根拠は、金融部門の収益が基本的に、他部門から取得した利益であることに従う。


(4b2)技能対応労賃における剰余労働の相対的増大

 特別な技能を有する労働力が、物財生産を個人経営している場合、その労働力が有する特別な技能は、彼の生産財の量または質を増大させる。そこでの生産財の量的増大は、生産財の実単価を安くする。しかしその物財の市場単価が元のままなので、その量的増大分だけ彼の収入が増える。これに対して生産財の質的増大は、生産財の実単価を変えない。しかしその高品質の生産財は、もともと市場単価が高い。それゆえにやはりその質的増大分だけ彼の収入が増える。そしてそれらの増収は、彼により多くの生活資材をもたらす。ところが彼が資本主義経営における雇われた労働者であるなら、それらの増収を手にするのは彼でなく、該当部門の部門支配者である。このとき部門支配者が実現するのは、剰余労働の相対的増大である。そしてその増大した剰余価値は、特別剰余価値である。上記の労賃体系は、この相対的増大させた剰余価値搾取の分配体系である。剰余労働の相対的増大において、部門支配者は労働時間の絶対的延長ではなく、同じ労働時間における生産財の量または質の増大を目指す。それが実現するのは、部門業務の重労働化である。現代の資本主義経営では、労働時間の延長には残業手当が支給され、重労働にもそれに見合う労賃の特別手当が支給される。しかし黎明期の資本主義経営では、労働時間の絶対的延長でも重労働化でも、労賃は据え置かれた。このときの労賃は最低限必要な生活資源に等しく、労働時間が延長されても、重労働であっても、労賃に差異が無かった。しかしその奴隷に等しい労働環境を、労使の力関係の変化が一掃した。そのように考えるなら、上記における技能に対応した労賃体系は、この労働環境の改善の一環を成すように見える。ところが部門利益が貸出利率に限定される場合、金融部門は融資貨幣量および部門利益を既に固定している。したがってそこでの生産財の量質増大は、部門利益を増大させない。その代わりに部門経営が実現するのは、その物財生産に要した労働者の移動か、その労賃の減少である。部門利益は、その労賃減少分だけ増大する。そして部門支配者は、それに対応して有能な労働力の労賃を増大させる。もちろんこの有能な労働力とそうでない労働力の間の限定利益の再分配は、有能な労働力が実現するだけでなく、有用な不変資本によっても実現できる。そのときは有用な不変資本を導入した部門支配者が、有能な労働力として現れる。そして限定利益の再分配も、その部門支配者に集中する。その物財生産に要した労働者は移動されるか労賃が減少し、その一方で部門支配者は有能な経営者として賞賛される。これらの技術進歩は生産財を安価にし、消費者と有能な労働者、および部門支配者の生活を向上させる。一方でそれは、部門支配者以外の労働者の生活を不安定にする。ただし特別剰余価値の宿命に従い、部門経営におけるその増収効果は一時的である。しかしそれがもたらした所得格差の拡大は、世代をまたがる形で、進歩の日陰に貧困と恐怖の暴力支配を醸成する。


(4c)貸出利率と剰余価値率

 上記における金融部門の利子収入、および労働力商品の資源化は、部門収支における剰余価値率の役割を減退させ、貸出利率にその役割を委ねる。その役割交代を限定するのは、以下の事情に従う。
  ・寡占と貸出利率が限定する利子収入
  ・技能対応労賃における剰余価値の隠蔽
  ・利潤全体における剰余価値の占有率減少


(4c1)寡占と貸出利率が限定する利子収入

 資本主義的利益の主要な源泉が剰余価値搾取にある場合、その利益を限定するのは剰余価値率である。この剰余価値搾取において不変資本規模は、端的に言えば資本主義的利益の大きさに関わらない。しかし金融部門における利益源泉は利子であり、それを限定するのは貸出利率である。それは、貸出貨幣資本の規模に応じて利潤の大きさを規定する。ここでの資本主義的利益は、その利潤から捻出される。それゆえにその不変資本規模は、むしろ資本主義的利益の大きさを限定する。もちろん金融部門も元は生産部門の一つなので、労働力規模に応じて融資業務が増大するなら、その融資業務の増大に応じて取得剰余価値を増大できる。しかし融資業務は、生産ラインの増大で規模拡大できる物財生産と異なる。また融資自体の役割は、物財生産の補助であり手段である。それは目的としての物財を生産せず、むしろそれを略取する。それゆえに融資業務だけが増大しても、部門全体の富は増大しない。そのように増大する場合があっても、もっぱら増大した富は、金融部門と融資先の部門支配者にだけ蓄積する。ただし部門全体において融資業務だけ増大するのもあり得ない。それゆえに金融部門の利益は、貨幣資本の寡占と貸出利率に応じて限定される。


(4c2)技能対応労賃における剰余価値の隠蔽

 上述した通り、金融部門における労賃体系は、剰余価値搾取を隠蔽して技能対応を謳う。すなわちその労賃体系は労働者に対し、労働に応じた労賃を与えたと宣言する。言うなればその宣言は、剰余価値搾取の消滅宣言である。しかし技能対応の労賃体系は、内実的に不変資本関与規模に応じた労賃体系であり、端的に言うと貨幣資本所有に応じた労賃体系である。そして技能対応を謳う労賃体系が実は技能対応でなければ、少なくともその不整合において剰余価値搾取が残る。さらにその労賃体系が、労働者に最低限の人間生活を保障しなければ、そしてそこに十分な部門利益が存在するなら、やはり剰余価値が搾取されている。ただしもともと技能対応労賃は、労働者に最低限の人間生活を保障していない。それゆえに部門支配者から見て、剰余価値はせいぜい労働力の市場価格と実現利益の差異に留まる。しかもその実現利益は、金融部門の資源全体を背景にして実現する。すなわち貨幣資本と部門資産を背景にして、労働力は技能を発揮する。また労働力の技能が、短期に利益を実現できると限らない。これらの事情は、なおのこと労働力の市場価格と実現利益の差異を無くす。そしてその差異がない以上、剰余価値も消滅する。しかし労働者に最低限の人間生活を保障しない労賃は、その雇用者の富裕生活を不可解にする。ただし剰余価値の有無に関わらず、そもそも金融部門における剰余価値は、貸出金利と手数料の部門収益の中に埋没する。その技能に対応する労賃を、部門支配者はもちろん、労働者も知らないし、誰も答えられない。またそうであるからこそ労賃の額面は、最低限の人間生活を保障する値を必要とする。しかし実現するのは、底辺労働者よりましな人間生活に留まる。ここでの技能対応の労賃体系は、その埋没した利益を創出したのは貨幣資本であり、労働力ではないと労働者に説明する。そしてその技能対応の労賃体系は、労働力の市場価格と同義である。したがってそれは、労賃を労働力の需給関係により決定する。しかしその内実は、部門支配者の言い値である。


(4c3)利潤全体における剰余価値の占有率減少

 労働力の価値は、その肉体維持のための必要財の総体として限定される。労働価値論において物財の価値は、この労働力の価値を基準単位にする。しかし労働力は、それより大きな物財量を生産する。その余剰生産部分に対応した物財が剰余生産物である。そして余剰生産部分に対応した労働が、剰余労働である。資本主義的利益は、この剰余生産物や剰余労働として現れる。それ以外の生産物や労働は、労働力の肉体維持に消費されて消滅する。それゆえに拡大再生産する生産部門において、剰余価値生産は労働力の最重要の効能を成す。ところが金融部門における利潤の主要な源泉は、他部門から収奪した利益である。ここで金融部門が自部門から搾取する剰余価値は、その利潤全体において比重が小さい。それゆえに労働力の剰余価値生産は、金融部門の資本主義的利益にとって副次的な効能に留まる。またそのことが、金融部門労働者の恵まれた労働環境を可能にする。ただし余計に労賃を支払う必要も無いので、金融部門の労賃もほどほど良い水準に留まる。そしてそのことが労働力を、原材料や備品や機械と同じ不変資本にする。労賃はその購入費であり、その肉体は融資業務で償却される物財である。そしてこの労働力の扱いの変化が、労賃に対し物財と同様の質に応じた労賃を得させる。つまり生み出す剰余価値が大きい労働力は、それに対応して自らの労賃を高くできる。やはりここでも剰余価値生産の副次効能化が、剰余価値搾取を緩和させる。この資本主義的利益の剰余価値の呪縛からの解放は、金融部門利益を貸出利率に限定させる。結局ここで実現する金融資本の資本循環は、先に示した剰余価値率を捨象した[金融資本における生産財転換モデル3]と同じものになる。そこでの利潤の大きさは、可変資本規模と剰余価値率によって限定されず、貨幣資本規模すなわち不変資本規模と貸出利率により限定される。


(5)利子収入と平均利潤

 先に示した[金融資本における生産財転換モデル3]における貸出金利の内訳は、金融部門における労賃と寡占が生み出す特別剰余価値である。しかし剰余価値は可変資本からも同様に得られる。さらに金融部門は、預金者などから調達した貨幣資本のための調達金利を支払う。したがって貸出金利の内訳は、さらにその前に示した[金融資本における生産財転換モデル2]の貸出金利の内訳を内包する。結果的にその全体は次のようになる。金融部門の融資先は、これらの全体を貸出金利として元本に上乗せし、金融部門に返済する。なお下段に登場する“寡占特別剰余価値”は、同業金融部門の全体が貨幣資本の独占を背景に、貸出利率の高値安定させて得た独占利益を指す。

  貸出金利の内訳 …調達金利     → 調達元への上納部分
           可変資本維持費用 → 労賃
           可変資本剰余価値 → 不労者所得1
           寡占特別剰余価値 → 不労者所得2

上記の貸出金利は金融部門の収入であり、この収入を上記の四つの要素が構成する。この四つの要素の中で調達金利と可変資本維持費用は、金融部門において基本的に避けられない出費である。金融部門はこの二つを必要な資源出費とみなして除外すると、残りの二つが部門利益として現れる。金融部門はこの二つを合算し、統括労働従事者および部門支配者に対し、労賃加算部分ないし配当金の名目で分配する。なお実際には金融部門における必要出費に、備品や機械などの不変資本維持費や融資リスク対応費用などが加わるし、収入にもそれに準じた手数料が加わる。しかしここではそれらの明細にまで立ち入らない。また上記4c3)に述べた通り、金融部門における可変資本剰余価値は、部門利益において占有率が低い。また金融部門の腹積もりも、技能対応労賃により可変資本剰余価値を全て労賃支出している。それゆえに上記の内訳から可変資本剰余価値を除外するのも不可能ではない。しかしそれは金融部門における固有の事情である。そしてこの固有の事情は、生産部門では有効ではない。生産部門において可変資本剰余価値が消失すると、その部門支配者は差額略取だけで資本主義的利益を得なければならない。それが連携するのは、部門全体が差額略取だけで生活する不思議かつ幻惑の観念論である。それゆえにここでも、上記の内訳から可変資本剰余価値を除外しない。話を戻すと、金融部門における資本主義的利益は、可変資本剰余価値と寡占特別剰余価値で構成される。その大きさを限定するのは、融資に要する調達金利と労賃を度外視すると、融資貨幣資本の規模である。つまりここで資本主義的利益の大きさを限定するのは、可変資本に対する剰余価値率ではなく、不変資本に対する利潤率である。そしてこの利潤率も、上記4a)で示した理由により、平均利潤率が限定する。したがって平均利潤を構成するのも、可変資本剰余価値と寡占特別剰余価値である。


(6)生産価格論

 金融部門がG-W-G’の貨幣資本の運動において利益の発生を貸出利率で捉えるようになると、その中で労働力商品も利益を実現するための一つの物財に転じる。そしてその資本一般の運動は、入力資本と出力資本の差額略取の運動として現れるようになる。ちなみに金融部門の差額略取は、安い物を高く売りつける差額略取ではなく、少ない貨幣を多い貨幣で買い取らせる差額略取である。この金融部門における差額略取の価値論は、金融部門に留まらずに生産部門一般における部門の収支理解に転じる。その理解は、少ない労働力を多い労働力で交換させる差額略取である。そのために生産部門は資本循環の起点を変更し、自らを金融部門と同じG-W-G’の運動に変える。すなわち生産部門の財取引も、金融部門と同様に、少ない貨幣を多い貨幣で買い取らせる差額略取となる。それゆえにそこでの生産部門が抱える生産工程は、あたかも資本蓄積を実現するための詐欺的手順に転じる。もちろんこの収支理解の方法は、特段目新しいものではない。それは貨幣経済が浸透する早い時期に、既に商業資本において実現している。そして家計収支の理解をする際に、各家庭でも実現している。とくに労働報酬を貨幣で受け取る労働者は、家計収支の理解をする際に自らこの収支理解を実現している。しかしこの差額略取の利益説明は、相互利益となる物財交換を説明できない。差額略取の理解では、物財交換において差額略取を受ける相手は、常に損をする。その場合に彼は、相手から物財と異なる価値資源をさらに受け取らない限り、物財交換をする必要を持たない。そしてその異なる価値資源に労働力が現れる。つまり一方が物財を与えるだけの物財交換でも、必ず他方が労働力を返す。むしろ労働力の交換があるなら、取引一般において物財は不要である。それゆえに物財交換の一般的説明も、貨幣の差額略取ではなく、労働力の等価交換に転じた。すなわち物財自体に価値は無く、労働力こそが価値の実体である。物財交換は常に相互の等量の労働力の等価交換であり、それゆえに相互利益となっている。この時点で差額略取の価値論は、過去のものとなったはずであった。ところが金融部門における差額略取の価値論の復活は、生産部門においても復活し、経済活動一般を説明する価値論として復活する。そしてさらにそれをマルクスは労働価値論に再生させた。それが生産価格論である。しかし生産価格論が表現するのは、つまるところ差額略取の価値論である。それゆえに生産価格論は、そもそもそれが生じたところの労働価値論と矛盾する。とは言え生産価格論は、さしあたり可変資本と不変資本、およびそこから発生する利益の部門収支を理解する上で有効である。その有効性は、金融部門における寡占特別剰余価値と同様に、生産部門における剰余価値が、生産財取引の結果でのみ実現することに従う。(2023/10/09)

続く⇒第三章(4)価格構成における剰余価値の変動   前の記事⇒第三章(2)差額略取の実体化

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移
      (4)二部門間の生産要素表
      (5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取


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数理労働価値(第三章:金融資本(2)差額略取の実体化)

2023-10-09 09:28:30 | 資本論の見直し

(2b)資本循環起点の変更

 上記で示した金融部門は、資本財部門の変種、または商業部門の変種に留まる。すなわちそれは貨幣資本を生産財として取引し、資金提供者に元本と利子を返す特異な生産部門にすぎない。しかしそれは、不変資本導入における原資不足を解消し、それにより枯渇した無産者の剰余労働を再生する。加えて金融部門は、それ自身が拡大再生産する生産部門から現れたのに関わらず、生産部門の拡大再生産に先行して現れる。そこでの資本循環の起点は可変資本ではなく不変資本であり、その原資を成す貨幣資本である。前章(5c)以後の生産財展開モデルは、悠長に原資を貯めて不変資本を導入していた資本循環であった。しかし不変資本規模が大きいほどに生産部門は、その原資蓄積に時間を要する。金融資本による融資はその時間節約を省略し、同業他社との競争で不変資本導入部門を優位に立たせる。その期待される資本循環が体現するのは、貨幣資本を媒介にして自己復帰する商品資本のW-G―Wの運動ではなく、生産資本を媒介にして自己復帰する貨幣資本のG-W-Gの運動である。そしてその逆転において金融資本は、自立した貨幣資本を体現する。ここでの逆転の根拠は、金融資本が利子生み資本であることに従う。商人資本を含め生産資本の場合、資本循環の開始に見えるのは、Wの見込み増分である。もしかしたらそのWの見込み増分も曖昧である。しかし金融資本の場合、資本循環の開始にGの見込み増分は、既に見えている。その既視が貨幣資本を自立させる。そしてその貨幣資本の自立が、一方で資本一般の運動を単なる利子生み運動に変え、他方で物財取引一般の利益を差額略取の結果の如く表現する。その差額略取は、より少ない貨幣をより多い貨幣で買い取らせる。それは双方の利益であったはずの資本の運動と物財取引を、資本主義的利潤獲得の剰余価値収奪の運動に変える。その剰余価値は、自部門の可変資本からの得る一般的剰余価値、および同業他社と他部門の可変資本から得る特別剰余価値で構成される。なお以下では、単発の資本循環で融資の返済を終える想定で、帳尻をあわせるために以下の想定をしている。したがって不変資本を導入した消費財部門での資本蓄積は、資本循環の第二サイクルで初めて発生する。ただしここでは表示を簡略化するために、剰余価値率0%にして、剰余価値搾取なしで特別剰余価値取得だけの資本循環を記載した。なお下記モデルにおける注記の説明は、以下のとおりである。
 (注1)消費財部門不変資本∮g=資本財部門不変資本∮w
 (注2)資本財部門不変資本Cf=資本財部門(可変資本∮w+不変資本∮fW)=消費財部門不変資本∮g+可変資本∮fW)
 (注3)消費財部門剰余資本∮gf(t-1)/t=金融部門不変資本∮g+貸出金利p2∮g

[金融資本における生産財転換モデル3] ※∮g:調達資本、p2:貸出利率、t:不変資本による生産増割合、∮gXは価値形態の∮X。

[金融資本における生産財転換モデルでの商取引3] ※▼:出力、△:入力、なお∮gXは価値形態の∮X。

(3)債務関係における部門の支配隷属関係、および寡占形成の要請

 前章において展開した資本財部門の生産財モデルは、前章(2b)~(2e)で先行して考察した商業部門の生産財展開モデルを、資本財部門の事情に応じて改変したものである。その資本財部門の事情は、各部門間における物財の等価交換の必要に従う。そしてこの等価交換の必要は、対等な各部門間の支配従属関係の欠落に従っていた。当然のことながらこの等価交換の必要は、商業部門にも及ぶ。さもなければ商業部門の利益は、買い叩き購入とぼったくり販売の差額利益で構成される。そして商業部門の利益はそのような詐欺収益ではなく、商取引に関わる必要労働に対応する。一方で債権債務関係は、債権者の債務者に対する優位を前提にする。またそうでなければ債権者は債務者に融資しない。それゆえに資本財部門における各部門間の対等な関係は、金融部門では貨幣資本の貸借関係においてその一部が既に崩れている。またそれだから金融部門への債権者は、債務者の金融部門から預金金利を得る。ここでの債権者の債務者に対する優位は、そのまま金融部門を生産部門に対して優位に立てる。そうであるならこの優位は、恣意的に貸出金利を調達金利より高率にできそうに見える。実際にここでの資本財部門における差額利益の抑止は、効力を喪失している。ところがそのような高率に従う比較的高収益は、金融資本による貨幣資本の寡占に従う特別剰余価値である。そしてもっぱら特別剰余価値は、競合他社との競争により消滅の運命を辿る。すなわち債務関係の優劣による調達金利と貸出金利の金利差は、生じたとしても消滅する。結果的に貸出金利の利率は、貸出先の担保価値を含めた信用リスクに応じて、調達金利を高率にするだけに留まる。つまりここでの貸出金利の差分は、金融部門の付加価値に対応するだけになる。同様のことは預金金利にも該当し、金融部門が抱えるリスクを無視するなら、その金利が表現するのは、預金者が金融部門に預金するための労力だけである。それゆえに上記に示した貸出利率は、貨幣資本の物財の等価交換の必要に従うものだった。しかしそれでも金融資本は、より高率な貸出利率を通じて高収益を目指すし、また目指さざるを得ない。それはこの章の冒頭(1a)で示した貧者からの収奪の困難に従う。そしてその困難は、資本主義が金融資本の登場を要請する根拠になっていた。ところがその困難は、生産資本だけでなく、金融資本にも共通する資本一般が抱える矛盾である。あるいはむしろその困難を引き受ける立場にいる金融資本の方に、その困難が集積する。それゆえに金融資本はその困難を、等価交換から外れた利子要素として貸出利率に加える。そしてその特別利益の根拠として金融資本は、同業他社との競争抑止を必要とする。金融資本における貸出利率の高率は、寡占の形成と同義である。


(4)金融部門における搾取剰余価値の実体化、および差額略取の実体化

 生産資本におけるW-G-Wの資本循環は、金融資本によってG-W-Gの資本循環に転換する。ただしこのG-W-Gは、終端のGに利子が加算されるので、実際にはG-W-G’である。もちろんW-G-Wの場合でも剰余価値搾取が入れば、それは部門支配者にとってW-G-W’である。しかしその加算部分は同業他社との競争の中で、常に消失の危機に晒される。その消失可能性は、加算部分が特別剰余価値なら当然なものであるが、一般的剰余価値であっても変わらない。その剰余価値の消失可能性も、この章の冒頭(1a)で示した貧者からの収奪の困難に従う。剰余価値搾取の絶対的・相対的増大方法は、平均労働条件に比した長時間労働と重労働である。ところが同業他社で極限的な長時間の重労働が蔓延すれば、その長時間の重労働は平均労働になる。この場合に剰余価値搾取の絶対的・相対的増大方法は無効化する。そこでは特別剰余価値と同様に、一般的剰余価値も消失し、資本主義的利益は該当部門から消失する。ただしその資本主義的利益の消失は、該当部門を存続不能にしない。資本主義的利益の消失は、該当部門から不労所得を消失させただけである。したがってこのときの該当部門では、部門支配者を含めて構成員全員が労働者になっている。そこでの全生産財は、構成員全員の生活と等価交換されており、該当部門は不労利益取得の無駄を失くした形で存続する。他方で金融部門では、労働者の労働規範を維持する必要からも、剰余価値は減少する。金融業務の労働内容は、貨幣資本取引に特化した専門業務である。それゆえにもし金融部門で長時間の重労働が蔓延すると、そこでの労働者における背任行為のリスクも他部門以上に高い。当然ながらこのリスクに対する金融部門の基本的対応は、長時間の重労働の抑止であり、労働条件に対応する労賃水準の引き上げである。しかし当然ながらそれは、剰余価値搾取の絶対的・相対的増大方法と真逆に作用する。すなわち金融部門における剰余価値は、他部門で長時間の重労働が蔓延するほどに、絶対的および相対的に減少を要請される。それは金融部門の部門支配者の利益を減少させ、金融部門における利益獲得方法を、一般的剰余価値から特別剰余価値の側にシフトさせる。すなわち金融資本は、利子内容の比重を融資業務に対応した必要労働ではなく、貨幣資本の寡占を通じた利子収入の側に移す。またそれがG-W-G’にW-G-W’と異なる特異性を与える。その資本主義的利益は、利益の源泉を剰余価値搾取に持ちながら、剰余価値搾取から遊離する。端的に言えば生産部門が剰余価値を搾取し、金融部門はそれを差額略取する。この収奪の役割分担において利子は、差額略取による利益の実体を成す。利子は自らを差額略取の果実と知っているが、その差額略取の起源を知らない。その無知が金融部門に与えるのは、他者からの収奪で全ての人間生活が成立する不思議かつ幻惑の世界観である。その幻惑の世界観は、あたかも対極に現れる農本主義世界観の同根異夢である。そこでの幻惑の世界観は、農民などの第一生産部門労働者を価値の生産者にみなし、労働者を含めたそれ以外の部門従事者を収奪者に扱う。


(4a)平均利潤率

 もともと金融部門の部門収入は、利子収入に依存する。そしてその利子収入は、本来なら第一に部門構成員の生活維持費用である。一方で金融部門における部門支配者は、不労利益取得者である。金融部門は部門構成員の生活維持費用と別に、不労利益取得者の生活維持費用を捻出しなければいけない。既存の生産部門の場合だと、生産部門は余剰生産を行い、その剰余価値搾取から不労利益取得者の生活維持費用を捻出する。同様のことを金融部門が行おうとすると、金融部門は余剰融資を行い、その剰余価値搾取から不労利益取得者の生活維持費用を捻出する。しかし金融部門の余剰融資は、同業他社の競争を激化させて利子収入の伸びを鈍化させる。しかも上述した通りに金融部門における剰余価値搾取は、本来的に困難を抱えている。それゆえに金融部門は、自部門の不労利益取得者の生活維持費用を捻出するために、一般的剰余価値ではなく特別剰余価値に頼らざるを得ない。つまり金融部門は、特別剰余価値を確保するために寡占を必要とする。ここでその寡占利益の規模を限定するのは、金融部門における不労利益取得者の生活維持費用である。したがってもし複数の金融部門で、その抱える不労利益取得者の生活規模に差異があれば、不労利益取得者の生活規模の大きい金融部門の貸出利率は高くなり、不労利益取得者の生活規模の小さい金融部門の貸出利率は小さくなる。もちろんその貸出利率を限定するのは、不労利益取得者の生活規模だけではなく、各金融部門の資本規模や市中金利の状態なども関わってくる。金融部門が許容する不労利益取得者の生活規模は、当然ながらその金融部門の資本規模に比例する。もちろん市中金利の利率が低ければ、資本規模の小さい金融部門でも大口融資が可能となり、不労利益取得者の生活規模も大きくできる。しかしとりあえずそのような細かい限定要素を省いて言えば、金融部門の貸出利率を限定するのは、第一に部門構成員の生活維持費用であり、第二に金融部門が捻出すべき不労利益取得者の生活規模である。そしてこの二つの生活を維持する貸出利率を、金融部門の寡占が決定する。この貸出利率の実現にあたり金融部門は、部門構成員と不労利益取得者の両方に対し、それぞれ平均賃金と平均利潤への妥協を要求する。その総体は、一方で該当金融部門の存続にあたり可能と判断された利子収入の上限であり、他方で該当金融部門の存続にあたり必要と判断された利子収入の下限である。その平均より高い貸出利率は、同業他社との競争にリスクを抱え、逆に平均より低い貸出利率は、自ら抱える不労利益取得者の生活を危機に晒す。金融部門における平均利潤率は、資本規模に対応して現れるこのような利子収入の比率を指す。
(2023/10/09)

続く⇒第三章(3)労働力商品の資源化   前の記事⇒第三章(1)金融資本と利子

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移
      (4)二部門間の生産要素表
      (5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取


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数理労働価値(第三章:金融資本(1)金融資本と利子)

2023-10-09 09:28:01 | 資本論の見直し

(1)金融資本と利子

  前章(5)が示したのは、余剰生産物が部門内で剰余価値として分離する過程である。そこでの必要労働と剰余労働の区別は、第一に剰余労働力からの必要生産物の分離であり、第二に必要労働力からの剰余生産物の分離であった。しかし剰余労働が必要労働に転じることで、剰余労働力は剰余生産物と必要生産物の両方を取得する。その積極的表現が部門の拡大再生産であり、消極的表現が剰余価値搾取である。したがって余剰生産物が無ければ搾取しようにもできず、搾取が無ければ拡大再生産も無い。一方で前章(5)の拡大再生産モデルは、次の難点を内包していた。
・余剰生産物を持たない必要労働力からの剰余価値搾取
・拡大再生産における蓄積前の蓄積資本需要
・不変資本生産と拡大再生産に充当する資本価値構成の不整合


(1a)貧者からの収奪

 前章(4a)でも指摘したことだが、等価交換の資本循環が一旦確立すると、雇用者による労働者からの搾取は困難を抱える。もともと資本主義社会において労働者は、最低限の人間生活を営む労働力商品である。雇用者がこの労働者からさらに搾取をする場合、例えば労働者に追加労働を課して、追加労働以前と同じ賃金を支払うことにより搾取する。しかし労働者がそのような極貧の人間であるなら、おそらく既に彼の労働可能時間も枯渇している。当然ながら雇用者も、そのような労働者に追加労働を課して搾取できない。このときに雇用者が採用する方策の一つは、一部賃金の借財化である。その雇用者は労働者に最低限に満たない賃金を渡す一方で、労働者に不足分の生活費を貸し付ける。もっぱらその貸付の名目は、雇用者の善意に基づく賃金の先払いである。しかしその労働者の借財は雪だるま式に膨張し、労働者を奴隷化する。そして負債の支払いに耐え切れなくなった労働者は、生きた姿か死んだ姿かを問わず、或る日を境に負債を親族に残して、雇用者の元から逐電する。なおここでの雇用者と貸付者は、同一人物でも別人でも内実的に変わらない。ただ別人である方が、雇用者を労働者の不幸の全体俯瞰から解放する。そして雇用者は事実直視から遊離するほどに、自らの良心を痛めずに済む。マルクスが示す資本の本源的蓄積、および産業予備軍において雇用者が行使するのは、もっぱらこの最低限の生活を営む貧者への貸付を伴う搾取である。その雇用者は、労働者に最低限の生活を与え、自らは豊かな吸血生活を楽しむ。しかしそのような資本主義経営は、富める雇用者と貧しい労働者の二極構造を隠せない。加えてこの剝き出しの資本主義の姿をした搾取要領は、資源枯渇するまで魚を一網打尽に捕らえる。そのあからさまな搾取経営は、前近代的であるとともに持続困難である。それは貧者の側に階級的怒りのマグマを蓄積させ、流血の階級対立を引き起こす。もちろんその階級対立は、資本主義を短命に終わらせる可能性さえ持つ。そこで雇用者による搾取は、分業と協業、機械の導入を通じた生産工程の省力化を目指す。そしてその省力化を媒介にして、雇用者は労働者に追加労働を課して搾取する。それゆえにこの拡大再生産の難点は、省力化を実現するための蓄積資本が不足すると言う第二の難点に転じる。ただしこの第一の難点は、上記で示したように、既に資本循環における利子生み資本を胚胎している。


(1b)拡大再生産の原資不在

 前章(4)において筆者は、まず拡大再生産の原資を準備するものとして剰余価値搾取を示した。このことは前章(5b)における不変資本による拡大再生産の資本循環モデルでも変わらない。またマルクスにおける拡大再生産のための原資想定も、同様のはずである。しかしこれらの資本循環モデルには、それが確立した資本循環が等価交換であるほどに、上記(1a)の難点がつきまとう。そしてその難点は、そのまま次の難点と入れ替わる。それは拡大再生産に先行して必要な原資の不在である。またこの難点のゆえに前章(6)に示した資本財部門も、資本循環の始まりに拡大再生産の原資を持たず、代金支払いに先行して不変資本を取得し、その代金支払いを遅延させる。しかしこの不変資本代金の後払いは、マルクスが示した無産資本家による労賃ぼったくりの不変資本版である。無産資本家による労賃ぼったくりの場合、資本家は労働者にまず働かせ、その果実を収穫後に後付けで労賃を捻出する。この場合に資本家は無資本で事業を開始し、利益を得る。資本家は事業に失敗すれば労賃を払わない。また事業に成功しても労賃を払わないかもしれない。さしあたりこのぼったくり資本循環において原資は不要である。それと言うのも遊休可変資本は、それ自体が既に資本だからである。資本主義黎明期の封建支配からの無産者追放に対し、マルクスが「資本の本源的蓄積」と命名したのも、このことに由来する。したがってこの拡大再生産の原資は、実際には不在ではない。それは資本家が空約束で入手した労働力や不変資本として存在する。とは言えいくら悪徳資本家でも、不変資本の取引相手に対して代金未払いを続けられないし、同様に労働者相手に労賃未払いを続けられない。それゆえに原資に不足した資本家は、消費財や資本財を取得する同じ要領で原資を調達する。それが表現するのは、資本循環における貨幣資本の要請であり、利子生み資本の必要である。その資本は、貸し付ける貨幣の代金を、貸付額と利子の合計として受け取る。そこでの貸付貨幣は、利子生み資本にとって原材料であり、貸与して還流する不変資本である。そして利子は利子生み資本にとって、原材料の貸付に要した付加価値であり、貸付労働を担う可変資本の代価である。したがってその財取引の全体は、不変資本と可変資本を一体にした生産財、すなわち原材料と付加労働力を一体にした生産財とそれに対応する人間生活の交換として現れる。それは、財一般の取引と基本的に変わらない。


(1c)拡大再生産に充当する不変資本の価値規模

 拡大再生産のための不変資本は、資本循環の始まりに必要である。そして資本家はその原資を、利子生み資本から調達する。ここでの調達原資は、それ自身が不変資本である。それゆえに不変資本の調達原資の取引は、不変資本取引と同様に、生産財の資本循環に先行する。さらに言えばそれは、不変資本取引にも先行する。その先行する不変資本取引は、前章(5c)において不変資本に対するみなし代金が充当した。ただし筆者はそこでの不変資本のみなし代金を、単純に不変資本に充当可能な蓄積資本の価値量として示した。すなわち筆者は、そこでの不変資本のみなし代金と不変資本生産のための必要価値量を同一視している。しかし不変資本に充当可能な価値量は、不変資本の生産に必要な価値量ではない。あるいは不変資本が果たす仕事の価値量は、不変資本の生産に必要な価値量ではない。言うなれば前者が表現するのは支配労働価値であり、後者は投下労働価値であり、両者の価値量は異なる。そして価格競争を通じて落ち着くべき価値量は、前者ではなく後者である。不変資本が果たす仕事の価値量は、不変資本の導入に伴い減少し、不変資本の生産に必要な価値量に落ち着く。それは新規技術の不変資本が登場するまで大きな労働力を体現していたが、今では以前より小さい労働力を体現する。それゆえに前章(5c)において筆者が扱った不変資本のみなし代金の価値量には、不整合がある。不変資本の生産に必要な価値量が、不変資本購入用に準備した価値量より少ないなら、不変資本購入者の手元に残金が残る。そうでなく不変資本の生産に必要な価値量が、不変資本購入用に準備した価値量を超えるなら、不変資本の購入者は、購入を断念するか、代金を分割払いするかの選択を迫られる。しかし不変資本購入者にとってその購入断念は、同業他社との価格競争の敗北に等しい。それゆえに彼において、不変資本購入を断念するような選択余地は無い。したがってまた彼に不変資本の原資調達を断念する選択余地も無い。そうであるなら資本家は、不変資本の価値規模が巨大で、その支払いが複数回に渡るとしても、その不変資本の取得を断念しない。資本家における貨幣資本の必要は、単に資本循環の始まりにおける不変資本の原資不在に留まらず、不変資本の価値規模によっても要請される。


(2)金融資本における生産財転換モデル

 貨幣は価値の普遍性および不変性を体現する必要があり、その素材にもっぱら鉱物が使われ、最終的に金が選ばれた。それは原材料として言えば消費財かもしれないが、基本的に価値の交換・蓄積手段として資本財である。それは価値基準となるために定型・定量に製錬・加工され、自らの単位生産労働力を体現した価値単位となる。金融資本も最初は消費財部門の一部を成す鉱山業だったかもしれないし、質権を設定して中古品を取引する商業だったかもしれない。いずれにしてもそれは、生産工程を得た資本財部門として分離し、むしろ商業部門の特異な一角へと自らを純化する。それは物財の移動・蓄積サービスでありながら、貨幣の決済・貯蓄サービスだけを請け負い、あるいは物財の転売・貸出サービスでありながら、貨幣の為替・貸付サービスだけを請け負う。金融資本においては貸借貨幣が物財であり、利子・手数料がその貸借サービスの代価である。したがって利子・手数料で増幅した返還貨幣は、原材料と付加価値の合計代価である。それは生産者における卸売価格と変わらず、商業における店頭価格と変わらない。それゆえにその資本循環は、前章(4a)の生産財転換モデルに準じて次のようになる。

[金融資本における生産財転換モデル1] ※m:剰余価値率、p:預金利率


上記資本循環が前章(4a)の生産財転換モデルと異なるのは、まず財一般が全て財代金と同じ貨幣で現れることであり、次にその他部門と金融部門の間に預金金利が現れることである。しかしそれだと金融部門に返される財代金は、預金金利の分だけ余計に目減りする。もちろん金融部門は、この目減りを剰余価値で受け止めずに、自部門の労働者に負担させることもできる。しかしいずれにしても預金金利による財代金の目減りは、金融部門全体の利益を他の生産部門より劣ったものにする。それゆえに預金金利は、金融部門と生産部門の間にも現れなければいけない。少なくとも金融部門は生産部門への貸与元本に対し、預金金利を上乗せする必要がある。ただし預金金利と貸出金利が同じだと、金融部門は資金調達と貸出にかかる労働力をまかなえない。それゆえに金融部門は、該当労賃を預金金利に上乗せて、貸出金利とする。加えてここでの金融部門における資本主義的利益は、自部門動労者からの剰余価値搾取により生じる。それゆえに金融部門は貸出金利に、該当労賃に対応する搾取剰余価値をさらに上乗せる。このことを整理すると、貸出金利を構成するのは、次の三つとなる。
 ・調達金利(ここでは預金金利)
 ・労賃
 ・剰余価値(すなわち労賃×剰余価値率)

[金融資本における生産財転換モデル1での商取引]※▼:出力、△:入力、m:剰余価値率、p:預金利率


(2a)調達金利と貸出金利、卸売価格と店頭価格

 上記の生産財転換モデルの場合、その他部門から金融部門への預金、および金融部門から生産部門への資金提供に異なる利率が使用される。そこでは前者が調達金利、後者が貸出金利として区別される。ただしその内実的な利率は、金融労働の手数料部分を外すと同じである。これは上記の生産財転換モデルが、資本財部門の生産財転換モデルを模したことに従う。ただ実際の調達金利と貸出金利に利率に差異があり、その差異は貨幣資本の貸付相手がそれぞれ金融部門と生産部門として異なることに従う。また金融部門の資金調達先は、自社保有の預金だけでなく、市中金利で得られる他の金融部門の資金も加わる。そして貸出先の担保価値を含めた信用リスクに応じて、金融部門も貸出金利を引き上げる。調達金利と貸出金利の利率の差異は、結局それらの調達業務と貸出業務の業務内容に応じた必要労働力量の差異に対応する。同様に預金金利と貸出金利、および市中金利の利率の差異も、その業務上の必要労働力量の差異に対応する。その差異は元売り各社における卸売価格、および販売店舗における店頭価格の差異と変わらない。それらの価格差異も、物財の供給過程における必要労働力量の差異に収束する。その理解の必要は、やはり物財取引における等価交換の原理的必要に従う。一方で上記モデルにおいて金融部門が生産部門に貸与する元本は、∮sではなく、(∮s+∮g(1+m))である。当然ながら貸出金利を設定する場合、金融部門はそれを∮sではなく、(∮s+∮g(1+m))に対して取得する。この場合の貸出金利の利率は(p∮s+∮g(1+m))/(∮s+∮g(1+m))となる。しかし調達金利と貸出金利を比較する場合、そのように金融部門間と生産部門取引で元本規模を変えると、上記の信用リスクに対応した調達金利と貸出金利の利率差異を考察するのが困難になる。やはり金融部門間と生産部門取引で元本規模を等しくし、単純に貸出金利をp2として上記の資本循環を考察すべきである。つまり融資額は∮sであって欲しく、(∮s+∮g(1+m))では困る。この場合に為すべきなのは、金融部門が行う調達業務と貸出業務を信用リスクに対応した必要経費として扱い、消去することである。もちろんその経費は本当に消失するのでもなく、どこかの誰かが着服するのでもなく、実際に必要リスクに対して支払われる。すなわち金融部門2の必要リスク経費は、少なくとも貸出金利と調達金利の差分として、生産部門から還流しなければいけない。そのように必要リスク経費と貸出利率を考慮すると、上記モデルは次のような資本循環に書き直される。ちなみに必要リスク経費∮g(1+m)は、融資額∮sの規模に相関しない。それは新規技術がもたらす特別剰余価値と同様に、金融部門を経由しない資金調達コストとの差額として現れる。またそうでなければ、生産部門は、金融部門を経由せずに自前で資金調達を行う。単純にそれは、金融部門における資金運用と管理業務のコストである。さしあたりここではそれを、リスク経費と同一視する。

[金融資本における生産財転換モデル2] ※m:剰余価値率、p1:調達利率、p2:貸出利率


[金融資本における生産財転換モデル2での商取引]※▼:出力、△:入力、p1:調達利率、p2:貸出利率


上記モデルにおいて金融部門2の可変資本∮g2は、調達業務と貸出業務を行う労働力量である。そして金融資本2が生産部門に貸与する元本の貸出金利と調達金利の差分は、この労働力量に対応する。それゆえに以下の数値関係が成立している。
 (p2-p1)∮g1=∮g2(1+m) …貸出金利と調達金利の差分=金融部門2の可変資本

当然ながら金融部門2における労賃∮g2も、(p2-p1)∮g1に等しく、金融部門2における剰余価値m∮g2も、m(p2-p1)∮g1に等しい。
この逆算から貸出金利の利率p2は、次のように表される。見て判るように右辺式の第二項が、貸出により調達利率に上乗せする差分利率である。
 p2=p1+∮g2(1+m)/∮g1  …貸出利率
(2023/10/09)

続く⇒第三章(2)差額略取の実体化   前の記事⇒第二章(8)生産財転換の実数値モデル2

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移
      (4)二部門間の生産要素表
      (5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取


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