唯物論者

唯物論の再構築

数理労働価値(第四章:生産要素表(2)不変資本導入と生産規模拡大)

2023-12-03 09:16:56 | 資本論の見直し

(6)生産要素における投下物財の追加(不変資本導入)

 上記の生産要素の一覧は、自然物を原材料にして物財を生産する想定に従っている。しかし生産物はもっぱら自然物だけではなく、市場の物財を原材料にする。つまり自然物と市場物は、生産物の有機的構成を成す。ただ内実として前者の自然物は投下労働力であり、後者の市場物は、物財生産のための投下物財である。それは原材料や道具や機械として現れる。自然物との対比で言うと、投下物財は非自然物であり、人工物である。人工物は生産物なので、自然物と同様に、もともと投下労働力を実体とする。しかし投下労働力が生きた労働力であるのに対し、投下物財は物態にある死んだ労働力である。その死んだ労働力は、ここでの生産工程の開始前に投下された労働力なので、投下物財も賦存物財として現れる。一方でこの賦存物財は、上記表が実現した余剰生産物である。それは生産工程の中で消費されるが、そのまま消滅しない。単純再生産を維持するなら、賦存物財も投下労働力も、生産工程の終わりに再び最初の姿に戻らなければいけない。ただしここでは、賦存物財に特定の物財を想定していない。そこで少なくとも物財生産量は、賦存物財量を含めた投下物財量を維持する必要がある。したがって物財生産数は、先のxでは不十分であり、賦存物財の分だけ増産する必要がある。そして実現すべき物財生産数が増大するなら、その分だけ物財生産の原材料も増量する必要がある。ここでは物財一つ当たりの生産に使う投下物財数をaとする。ただここでの投下物財数aは、上記表2で取得した純生産物である。したがってその最大値も、単純に純生産物量を物財量で按分した値r/xになる。上記表に追記する形で、一部を変えた生産要素の一覧表を示すと、次のようになる。なおここでは上記の減量した人間生活が安定した状態を想定し、その労働力の必要物財量をcではなく、cとして表現する。ただしそのcの内実の人間生活は、既に減量している。

[物財生産工程における生産要素3(不変資本導入)]


(7)生産規模拡大による純生産物の生成

 上記表では投下物財を生産要素に加えても、純生産物量の内実は(x-cL)のまま変わらない。しかしこれではそもそも投下物財を生産要素に加える必要も無い。生産者が投下物財を使用するのは、明らかにその使用が「x>cL」の拡大再生産を実現することに従う。そして投下物財がこの拡大再生産を可能にするのは、端的に言うと、そもそも投下物財が完成品であることに従う。基本的に労働力だけで物財を生産する場合、その生産物は生産工程における損失を含む投下労働力の全体である。一方で生産物の一部にあらかじめ完成品を混ぜた同じ量の生産物は、その完成品の混入比率に応じて、生産工程における投下労働と損失が減少する。極端に言うと、もし最初から完成品を100%混ぜるのなら、生産工程における投下労働と損失もゼロになる。そしてその投下労働と損失の減少は、そのまま投下労働力を原資に変えて拡大再生産を実現する。もちろんこれは投下物財が拡大再生産を可能にする単純な説明であり、生産する該当物財の完成品を投下物財に使用する必要は無い。協業が生産集団の中に熟練工の技術共有を実現するなら、これと同じ効果が生じる。さらに熟練工の代わりに自動機械を投下しても、やはり同じ効果が生じる。その効果は、梃子や歯車の使用がもたらす省力化と変わらない。ただしその効果が出るためには、先の直接的な剰余価値搾取と違い、物財生産数の増加が必要である。この点で言うと、純生産物量の増大は、先の直接的な剰余価値搾取の方が単純明快である。しかしそれは、短期に純生産物を生成するだけである。むしろそれは、労働力全体の人間生活の持続を困難にする。やはり純生産物の生成は、cLに対するxの増大を目指す必要がある。ここでは労働力全体の人間生活の持続の必要が、長期に生産工程の入出力において弁の役割を果たし、拡大再生産への一方通行を結果する。一方でここで可能になる純生産物は、単なる余剰生産物である。この余剰生産物の消費者は、端的に言うと二極に分離可能である。一方の極では労働者が余剰生産物を消費し、他方の極では不労取得者が余剰生産物を消費する。もちろんその不労取得者は、労働者ではない。労働者が余剰生産物を消費する場合、価値単位cが増大する。しかし不労取得者が余剰生産物を消費する場合、価値単位cは増大しない。ここでの余剰生産物量は剰余生産物rとして現れる。単純に言うとそれは、不労取得者の生活資材である。しかしそのように余剰生産物が消費されれば、生産と消費の総計一致が実現する。それは既に「労働力全体の必要物財量cL=物財生産数x」の総計一致を、過去のものとする。簡単に言うとその新たな総計一致は、「労働力全体の必要物財量cL+不労取得者の生活資材r=物財生産数x」である。上記表で変更の加わる生産要素を示すと、次のようになる。なお余剰生産物rを加えた物財生産物数x、つまり(x+r)を下記でxで表現している。

[物財生産工程における生産要素4(物財生産数の増大)]


(8)生産規模拡大における価値単位の増大

 上記の生産規模拡大は、不労取得者が余剰生産物を消費する一方で、労働者が余剰生産物を消費するのも可能である。この場合の拡大再生産は、労働者の必要消費量増大により、その余剰生産物を消費する。当然ながら不労取得者の取得物財量の増大速度は、この場合に減速する。そして労働者の人間生活に余裕が生まれるほどに、価値単位cが増大する。ここでも余剰生産物量は、剰余生産物として現れる。しかし労働者が余剰生産物を消費するので、それは剰余生産物として表面化しない。そして労働者が余剰生産物を消費することにより、生産と消費の総計一致が実現する。その余剰生産物量をrとし、上記表で変更の加わる生産要素を示すと、次のようになる。なおここでも余剰生産物rを加えた物財生産物数x、つまり(x+r)を下記でxで表現している。同様に一労働力あたりの余剰生産物rを加えた一労働力あたりの消費物財量c、つまり(c+r/L)を下記でcで表現している。

[物財生産工程における生産要素5(価値単位増加)]


増大した労働力の必要物財量cは、その増量値がそのまま人間生活の必要物財量だと扱われるなら、もうcではなく、ただのcである。そしてそれが正規の労働力の必要物財量cに転じると、x生産の必要物財量cLも正規のcLに転じる。一方で同じことは増大した物財数xにも該当する。物財数xは、そのまま労働力全体の必要物財量だと扱われるなら、もうxではなく、ただのxである。そしてそれが正規の物財量xに転じると、労働力全体の必要物財量xも正規のxに転じる。どのみち物財生産数と労働力の必要物財量が同じ比率で増大するなら、純生産物量はその拡大再生産によって増減しない。もし純生産物ゼロの生産工程でこの拡大再生産が始まっても、拡大再生産後の純生産物はゼロである。或る定量の純生産物を得る生産工程でこの拡大再生産が始まっても、拡大再生産後に純生産物は増減しない。むしろ物財価値は減価するので、その純生産物価値が減価する。しかし生産と消費が足並みを揃えて増大するので、総計一致は崩れない。このことは逆に、物財生産数と労働力の必要物財量が同じ比率で減少するなら、総計一致が崩れないのを示す。ただしそれがもたらすのは、以前より物資の乏しい貧相な人間生活である。そして人間の物理的な肉体は、極度の必要消費量減少に耐えられない。やはりここでも期待されるのは、縮小均衡する単純再生産ではなく、拡大均衡する単純再生産である。


(9)生産規模拡大における価値単位の減少

 上記表1に始まる単純再生産は、上記表2の剰余生産物搾取を通じて拡大再生産を通じて、上記表3のための生産工程の賦存物財を得る。それは死んだ労働力としての原材料や道具、さらには機械などの不変資本である。これらの物財は、物財生産を質と量の両方で安定させる。しかし労働者の貧困化と引き換えに手に入れる生産拡大は、労働者の生存限界を自らの限界にする。それゆえに生産要素にこの賦存物財を追加した拡大再生産は、それ以上の拡大を維持できずに単純再生産に立ち戻る。ただその一方で技術進歩は不変資本を通じて、物財生産の質と量を暫時増大させる。その増大は、一方で上記表4の不労取得者を増大させる拡大再生産、他方で上記表5の人間生活拡充を含む単純再生産を可能にする。それが実現するのは、一方における不労取得者の資本主義的利益の増大であり、他方における貧困化した労働者の人間生活の改善である。しかし労働者の人間生活は、不労取得者の致富欲の前で常に貧困を強いられる。それゆえに労働者の人間生活が改善するごとに、上記表4の人間生活の収奪と上記表5の物財生産の増大が同時に進行する。この二つの表の生産要素の合体は、次のように純生産物量の増大に拍車をかける。なお上記表4との比較で見ると、労働力全体の必要物財量が同じxであるのに、上記表4よりも純生産物量が増量する。この増量は、下記表6が上記表5における労働力全体の必要物財量xの減量を受けることに従う。つまり下記の必要物財量c±の内実は、cである。

[物財生産工程における生産要素6(労働力の必要物財量cの減少、および物財生産数の増大)]


物財の生産工程における拡大再生産の実現は、一方で不労取得者を生み育てて増大させ、他方で減少した価値単位cを増大して復旧する。これらの拡大再生産を可能にするのは、労働力の特異な能力である。それは自らの人間生活より多くの人間生活を生産する能力である。その労働力の能力は、技術進歩に伴ってさらに強固となり、拡大再生産をさらに容易にする。その富の増大は、不労取得者が奪い取った人間生活をそれなりに労働者の元に返す。しかし労働力全体の必要物財量は、相変わらず物財全体の生産数より少ない。その少なさは、一方で不労取得者の増大に従い、他方で不労取得者における富裕の増大に従う。この剰余生産物搾取は、労働者の必要物財量を一人分の人間生活のままに押し留め、さらにその一端に極度の貧困を集積させる。その歪みは貧困の一方に獣以下の悪鬼を生み、貧困の他方に歪みを正す正義の主体を生む。共産主義の想定ではその歪みを正す主体は、不労取得者の中から生まれない。彼らは不労取得で生計を立てるので、歪みを根本的に解決する主体に適さない。すなわち正義の主体は、労働者の中から生まれる。ただし今のところ、その歪みを根本的に正した成功例は無い。その失敗理由は、簡単に言えば革命主体における民主主義の不在である。民主主義は、それが目的にする公正を実現するための絶対的に必要な手段である。しかもそれは単なる手段ではない。民主主義は、それ自身が自ら目的にする公正である。したがって民主主義は、手段と目的が不可分の同一体になっている。
(2023/12/03)

続く⇒第四章(3)生産拡大における生産要素の遷移   前の記事⇒第四章(1)剰余生産物搾取による純生産物の生成

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移


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数理労働価値(第四章:生産要素表(1)剰余生産物搾取による純生産物の生成)

2023-12-03 09:04:09 | 資本論の見直し

(1)価値としての労働力

 物財生産にあたり最低限必要な資源は労働力である。労働力はそれ自体が財であるが、労働により自然物を財にする。それゆえに少なくともその労働力は、生産地から消費者に自然物を運搬することにより、その自然物を物財に変える。例えば生産者は、鉱石や魚介類を生産地から消費者の元に運搬し、それを生産物とする。この場合にその運搬労働が生産工程であり、運搬した物財が生産物である。ここでの物財生産数は、運搬した物財数に等しく、その運搬した物財の全体は、運搬労働を担った労働力の生活に等しい。それゆえに生産者からすれば、その運搬した物財全体は、運搬労働を担った労働力全体に等しい。調達困難な自然物であれば、その困難に応じて増大した労働力の全体が物財と等価になる。相変わらずその等価が示すのは、運搬した物財の全体と運搬労働を担った労働力全体の人間生活の等価である。そしてその人間生活は、人間生活に必要な全物財量に等しい。経済学で商品に追加労働を加えることで商品価値が増すことをもって、商品に対する投下労働で増加した価値を付加価値と呼ぶ。しかし拾ってきた自然物にもともと価値は無い。結局その自然物に投下した「拾ってきた」と言う労働行為が自然物に価値を付加する。そうであるなら、別に付加価値と言わずとも、価値の実体は、最初から投下労働力である。


(2)投下労働力の按分値としての物財単価

 物財は或る全体量を持ち、その全体の構成部分となる一定量を物財の単位にする。価値面において物財の全体量は、その取得のための投下労働力量を自らの価値とする。同様に物財単価も、物財一つ当たりに投下した労働力量と等価になる。上記例における物財単価も、物財一つ当たりに費やした運搬労働力と等価になる。それは物財全体を運搬した労働力全体を、物財数で按分した値である。逆に運搬後の物財価値量は、物財数に物財単価を乗じた値となる。つまりここでの価値量と物財数は、10進数と12進数の違いと同様に、単位規模が違うだけの異なる量表現にすぎない。ただしここで生産者が期待する労働価値論は、投下した労働力が支配する価値量である。そのような価値量は、生産者が無意味に費やした労働力を含む。しかしそれは投下労働価値説ではなく、支配労働価値説にすぎない。投下労働価値説における価値は、物財の再生産に必要な労働力量を言う。ただどのみちここでの説明では、投下労働価値説と支配労働価値説の相違も現れない。


(3)物財の価値単位としての消費物財量(必要物財量)

 労働力は生産した物財を別の消費財と交換し、人間生活を営む。もし労働者が直接に物財を消費するなら、物財はそのまま労働者の生活資材であり、人間生活そのものである。この人間生活の大きさは、消費物財量として現れる。それは一労働者の人間生活の大きさを表現する一つの定量として現れる。それゆえにこの消費物財量は、物財の価値単位となる。もちろん労働力が生産物財量を全て消費するなら、消費物財量は一人当たりの生産物財量と何も変わらない。すなわち “(消費物財量/労働力数)=(生産消費物財量/労働力数)” である。そうであるなら消費物財量ではなく、生産物財量が物財の価値単位であっても良い。しかし生産物財量は、消費物財量より多いことあれば、少ないこともある。しかし生産物財量と違い、消費物財量は人間生活の最低限の定量を持つ。それゆえに価値単位は生産物財量ではなく、消費物財量である。それは人間生活の最低限の定量なので、必要物財量と言っても変わらない。価値単位としての必要物財量は、物財の価値を表現する。簡単に言えばそれは物財の価格である。


(4)余剰生産物としての純生産物

 生産物量は、少なくとも労働力の人間生活に必要な資源量以上である。それが労働力の人間生活に必要な資源量よりも多いのであれば、その差分は、余剰生産物として現れる。この余剰生産物は、余剰の人間生活を可能にする。しかしこの余剰生産物の量は、そのままでは単なる物財数である。それがどれだけの余剰の人間生活を体現するか知るには、それを価値単位に換算する必要がある。もちろんその人間生活の量が表現するのは、余剰生産物全体の価値である。この余剰生産物は、生産者の人間生活に消費される必要を免れている。それは生産工程における純粋な生産物であり、純生産物として表現される。上記までに登場した生産要素を一覧表にすると、次のようになる。

[物財生産工程における生産要素1]


(5)剰余生産物搾取による純生産物の生成

 さしあたり余剰生産物としての純生産物は、物財の生産量と消費量の増減から現れる偶然の産物である。それは消費物財量cLに対する生産物財量xの相対的な増大で生まれる。しかしcLに対するxの増大、またはxに対するcLの減少が余剰生産物を可能にするなら、余剰生産物の取得者も自然発生的な純生産物の出現を待つ必要も無い。彼は生産数xを増やし、必要資源cLを削ることで余剰生産物を生み出せば良い。ところが単純再生産にある生産工程の場合、生産数を増やすための労働力は不足している。cLに対するxの増大は、やはりxの自然増に期待せざるを得ない。もちろん或る種の技術革新は、xの増大を実現する。しかしその技術革新は運まかせであり、結局xの自然増と大差が無い。またもっぱら技術革新は、或る種の資源蓄積や協業システム、あるいは道具、機械のような物財として現れる。それは生産工程に対して生産工程開始前に投下される賦存物財として現れる。それは単純再生産にある生産工程にとって、生産工程から遊離した余剰生産物である。しかし余剰生産物は、拡大再生産によって生じる。拡大再生産の始まる前に余剰生産物は現れるのは、順序が逆である。このような事情から最初の余剰生産物は、剰余生産物搾取から生じる。すなわち拡大再生産は、cLのxに対する減少から始まる。生産者にとって剰余生産物搾取は、運まかせを必要としない技術革新である。その余剰生産物は、労働者の人間生活を削り取って生まれる。それを可能にするのは、余剰生産物を意図的に発生させる致富欲である。その致富欲が前提するのは、余剰生産物を取得する搾取者の特権的地位である。上記表における純生産物の出現を、cLの減少から示すと次のようになる。なお余剰生産物rを減じた物財生産物数x、つまり(x-r)を下記でxで表現している。同様に一労働力あたりの余剰生産物rを加えた一労働力あたりの消費物財量c、つまり(c-r/L)を下記でcで表現している。

[物財生産工程における生産要素2(労働力の必要物財量cの減少)]


なお減少した労働力の必要物財量cは、その減量値がそのまま人間生活の必要物財量だと扱われるなら、もうcではなく、ただのcである。そしてそれが正規の労働力の必要物財量cに転じると、x生産の必要物財量cLも正規のcLに転じる。それはcを格上げることで、相対的にxを格下げる。内実的にその物財生産は、以前に必要だった投下物財量を必要としない。それが実現するのは、単純に言うと物財の値下げである。この一連のcの格上げにより、純生産物量(x-cL)も(x-cL)となる。つまり純生産物量は、ゼロに転じる。上記の拡大再生産は、一時期的に労働者を貧困化させただけで、純生産物を生成できなくなる。それは拡大再生産の終焉であり、単純再生産を再興させる。このときの物財の値下げは、貧困化した労働者の恵みとなる。ただ上記と同形式の拡大再生産が持続するなら、労働者の貧困化も同じく持続する。しかし支配者と違い、支配される者は搾取規模の拡大を望まず、支配者に対して安定した搾取を期待する。この支配者と被支配者の双方の思惑が、支配者による定量搾取を実現する。それが実現するのは、余剰生産物の拡大再生産ではなく、定量の余剰生産物を必要生産物に含む形の単純再生産である。ここでの定量の剰余生産物は、労働者の人間生活を維持するための必要経費の如く現れる。
(2023/12/03)

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数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
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      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
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      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
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  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
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      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
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数理労働価値(第三章:金融資本(6)金融資本における生産財転換の実数値モデル)

2023-10-09 11:20:27 | 資本論の見直し

(7)金融資本における生産財転換の実数値モデル

  上記までに記載した金融資本における生産財転換モデルは、変数記述なので判りにくい。そこで以下に実数を想定した生産財転換を以下に示す。なおここでは登場する各種値を次のように設定した。ちなみに1労働日あたりの労働力1単位の労賃に10,000円を想定している。


その他部門の預金額1,000,000円
預金利率  5%
貸出利率  8%
剰余価値率200%


金融資本における生産財転換モデルを預金利率に配慮して、生産資本における生産財転換モデルに準じて記載すると、次のようになる。

[金融資本における生産財転換モデル1] ※剰余価値率;200%、預金利率:5%


[金融資本における生産財転換モデル1での商取引]※▼:出力、△:入力


(7a)調達金利と貸出金利、卸売価格と店頭価格

 上記モデルにおける融資元本1,030,000は、金融部門の調達資金1,000,000と額面が異なる。また預金金利と貸出金利の差異が無い。そこで融資元本と調達資金を同額にし、その収支変更を貸出金利に反映させると、次のようになる。

[金融資本における生産財転換モデル2] ※剰余価値率;200%、預金利率:5%、貸出利率:8%

[金融資本における生産財転換モデル2での商取引]※▼:出力、△:入力、p1:調達利率、p2:貸出利率

(7b)資本循環起点の変更

 利子海資本としての金融資本では資本循環の起点が変わり、W-G―Wが、G-W-Gの運動となる。その生産財転換モデルは次のようになる。なお以下では、単発の資本循環で融資の返済を終える想定で、帳尻をあわせるために以下の想定をしており、不変資本を導入した消費財部門での資本蓄積は、資本循環の第二サイクルで初めて発生する。なおここでは表示を簡略化するために、剰余価値率0%にして、剰余価値搾取なしで特別剰余価値取得だけの資本循環を記載している。
 (注1)消費財部門不変資本1,000,000=資本財部門不変資本1,000,000
 (注2)資本財部門不変資本Cf=資本財部門(可変資本1,000,000+不変資本2,000,000)=消費財部門(不変資本1,000,000+可変資本2,000,000)
 (注3)消費財部門剰余資本∮gf(t-1)/t=金融部門不変資本1,000,000+貸出金利80,000

[金融資本における生産財転換モデル3] ※調達資本:1,000,000、貸出利率:8%、不変資本による生産増割合:7倍、∮gXは価値形態の∮X。

[金融資本における生産財転換モデルでの商取引3] ※▼:出力、△:入力、なお∮gXは価値形態の∮X。


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数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
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      (7)生産財転換の実数値モデル
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      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
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      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
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2023-10-09 10:37:36 | 資本論の見直し

(6b3)価格競争における平均利潤の実現

 上記例における価格構成は、価格が同一でも、(C+V)と(C+V+M)の間で相互転換する。どのみち剰余生産財が売れる見込みが立たないと、剰余価値Mは価格構成の中に入り込めない。その場合に(C+V+M)は期待値に留まる。しかし剰余生産財が常に売れても、価格競争は価格構成から剰余価値を剥ぎ取り、生産財単価を減少させる。上記例で言えば、生産財単価は最低1万円に半減する。このときの価格および価格構成は、次のようになる。どちらにしても(C+V+M)は期待値のままに終わる。

 生産財1(販売10,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円
 生産財2(販売10,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円


生産部門が価格競争の末に最終的に実現するのは、可変資本に労賃を支払い、不変資本に代金を支払うだけの単純再生産の資本循環である。しかしそれでは資本主義的利益は生まれず、部門支配者の生活が成り立たない。部門支配者の生活を維持させようとすれば、生産部門は生産財をさらにもう一つ生産し、3個販売したい。このときに部門生活者は労働者に対する絶対的または相対的な剰余価値増大に突き進む。ところがそのようにして追加生産財を生産しても、それが売れる保証は無い。やはり生産部門にとって理想的なのは、同じ生産数でより高く生産財を売ることである。それゆえに生産部門間の価格競争は、価格構成から全ての剰余価値を剥ぎ取るまで、生産財単価を減少させない。そこで生産物の価格構成は、例えば次の二通りの解決に進む。

 [差額略取型]

 生産財1(販売15,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円平均利潤 5,000円
 生産財2(販売15,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円平均利潤 5,000円


 [剰余生産型]

 生産財1(販売15,000円)原材料 5,000円労賃 10,000円
 生産財2(販売15,000円)原材料 5,000円平均利潤 10,000円


上記の二通りの解決は、個別の価格構成の見た目が違うだけで、全体の価格構成は同じである。個別の価格構成の違いは、差額略取型の価格構成が生産財一つ当たりの期待の差額略取に依拠し、剰余生産型の価格構成が等価交換に依拠することに従う。しかし差額略取型で労賃5千円+平均利潤5千円で現れる部分は、どちらも労働者の労働力が転じたものである。ただ労賃部分は労働者の必要労働部分であり、平均利潤部分は労働者の剰余労働部分である。同様に剰余生産型における労賃部分はもちろん、平均利潤部分も労働者の労働力が転じたものである。やはり労賃部分は労働者の必要労働部分であり、平均利潤部分は労働者の剰余労働部分である。したがって名目的な差異を除外すると、差額略取型でも剰余生産型でも中身は変わらない。一方で上記6b1)の始まりと異なるのは、次の3点である。

・生産財単価が2万円から1万5千円に減額
・資本主義的利益の名目が平均利潤に転じ、やはり減額
・生産財2における原材料費の混入

生産財単価の減額は、生産部門間の価格競争の結果である。資本主義的利益の減額も、同じく生産部門間の価格競争が限定する。しかしその減額は、平均利潤に達するとそれ以上に減額しない。むしろ予定生産量から見直すと逆に当初の価格設定の方が、部門支配者に平均以上の贅沢を与える異常な高価である。そしてその異常な利益が、価格競争を激化させた。結局その減額の停止は、同じ生産部門間の思惑に従う。その思惑とは、部門支配者の生活を売り上げから捻出しようとする共通利害である。そしてその価格表現が資本主義的利益を平均利潤にし、その(C+V)に対する資本比率を平均利潤率にする。なお金融部門のときと同様に、ここでも資本主義的利益を限定するのは、利潤率であり、剰余価値率ではない。その変化は、寡占特別剰余価値が有する差額略取的特性に従う。それは可変資本規模ではなく、不変資本規模に応じて搾取率を限定する。加えて生産財2における原材料費の混入も、生産部門間の価格競争が限定する。ただしここでは既に生産財2の不売は、配慮されない。その不売の心配は、同じ生産部門間の思惑により不要となっている。その思惑は、生産財2の不売を既に抑止している。またそうでなければ、平均利潤も実現しない。つまり同業他社は、平均利潤に達すると生産財単価の減額を停止するだけでなく、生産財の過剰生産も停止する。それゆえに生産財2における原材料費は、平均利潤ともども回収される。


(6b4)生産部門における差額略取の実体化

 上記例が示すのは、原材料費と労賃の総額を1万5千円に維持した価格構成(C+V)と(C+V+M)の相互転換である。そしてその全体の価格構成にさしたる変化も無い。さらに上記例は、生産財の単価ベースの価格構成についても、不変資本と可変資本の比率にさしたる変化を見せていない。ここでの生産財単価も、やはり(C+V)のままである。少なくとも(C+V)の(C+V+M)への転換は、剰余生産財Mの売却を必要とし、それが無ければこの転換も起きない。考えてみれば当然のことで、剰余価値Mはもともと労働者の剰余労働である。それは必要労働と同じく、生産財の生産に必要な労働である。それは労働者の労働力であり、不労者の労働力ではない。それゆえに個々の生産財の等価交換は、常に原材料費+投下労働力になる。それが一方で原材料費+労賃、他方で剰余価値に分離するのは、剰余価値理論が両者を抽出分離したこと、さらにその抽出分離した原材料費と労賃と剰余価値を個々の生産財に固めて振り分けたことに従う。それゆえに差額略取の価値論であっても、生産財単価が生産財一つ当たりの原材料費+労賃を割り込めば、損失が出る。もともと労働価値論の等価交換の場合、生産財単価は(C+V)である。ところがマルクスの生産価格論は、生産財単価を(C+V+M)で表現する。この両者は、明らかに整合しない。またそれゆえに筆者は、差額略取の単価構成(C+V+M)を、等価交換の単価構成(C+V)の仮象の如く扱った。しかし先に示した金融部門の場合、差額略取は実体化している。当然ながらその還流する貨幣資本の単価構成も、Mを貸出金利にした(C+V+M)に実体化する。もし金融部門を模して生産部門が平均利潤率を実現するなら、やはりその還流する貨幣資本の単価構成も、Mを平均利潤にして(C+V+M)に実体化する。つまり平均利潤を実現した生産部門における生産財の価格構成も、差額略取(C+V+M)を実体化する。当然ながらその生産活動も、実体化した差額略取に転じる。金融部門における差額略取の対象は、債務者の生産部門であった。しかしここではその生産部門が差額略取を行う。その対象は、まず消費者であり、次に原材料の生産部門である。ただし生産部門は金融部門の場合と違い、自部門の労働者に対して労働環境を配慮する必要が無い。それゆえに金融部門との比較で言えば、生産部門において絶対的および相対的な剰余価値増大は、その資本主義的利益の拡大で十分に機能する。したがって生産部門は、消費者と原材料の生産部門から差額略取し、さらに自部門の労働者から剰余価値を搾取する。ただ剰余価値搾取も内実は、実現利益に比して小さい労賃による差額略取である。むしろそれは資本主義的利益を創出する根源的な差額略取であり、ほかの差額略取はその派生的幻影である。


(6b5)(C+V)と(C+V+M)の矛盾

 ヴァベルクは、等価交換において(C+V)であるべき生産財単価が、(C+V+M)で現れることに剰余価値理論の矛盾を見出す。簡単に言えば(C+V+M)の生産財単価が表現するのは、差額略取を行う不等価交換だからである。しかし剰余生産が無ければその生産財単価が(C+V)となる。そして剰余生産があればその生産財単価が(C+V+M)となるのは、上記に示した通りである。ヴァベルクが指摘した通りに、その(C+V+M)は差額略取の不等価交換を含む。ただしもともとその差額略取の対象は、生産財を購入する消費者ではない。生産財を購入する消費者は、生産部門との間で生産財を等価交換しており、生産部門にぼったくられていない。ぼったくられているのは、生産部門に剰余労働を強いられた労働者である。当然ながら(C+V+M)が表現するのは、(不変資本+必要労働+剰余労働)である。ここでの「必要労働」は、労働者の生活のために必要な労働力量である。そしてここでの「剰余労働」は、資本家の生活のために必要な労働力量である。さらにその「必要労働+剰余労働」の全体は、生産財一単位の生産に必要な労働力量である。したがって実態として剰余生産が無い状態の(C+V)と剰余生産がある状態の(C+V+M)は、同じ大きさの、生産財一単位に必要な労働力量を表現する。ただ剰余生産が無い状態の可変資本Vが、剰余生産がある状態だと必要労働V+剰余労働Mに二分されるだけである。

 [可変資本部分に限定した生産財単価における価格構成]

(C+V)と(C+V+M)の矛盾は、前者のVと後者のVを同じ大きさだと理解することから生じる。しかし前者のVは、労働者の生活のために必要な労働力量であると同時に、生産財1単位の生産に必要な労働力量でもある。それに対して後者のVは、前者のVを剰余生産物で薄めた按分値である。したがって前者が物財1単位の生産に必要な労働力の最大値であるのに対し、後者はその最小値として現れる。ただしそれは前者の最大値と同じ価値を装い、それにより資本家利益を最大にする最小値である。それゆえにその物財交換は、等価交換を装う差額略取に転じる。それが差額略取たり得るのは、前提に等価交換があるからである。この点に無理解なヴァベルクは、この(C+V)と(C+V+M)の矛盾を捉えて剰余価値理論に異を唱え、資本論第三巻の生産価格論をその矛盾の解決と捉えることにも反対した。そしてヴァベルクの不満の通りに生産価格論は、(C+V)と(C+V+M)の矛盾を解消する内容ではなかった。しかもG-W-G’における差額略取の実体化は、(C+V+M)を本式の差額略取に転じる。このときに資本主義的利益も直接的な剰余価値搾取だけでなく、他部門の生産者や消費者からの差額略取を源泉に含むことになる。当然ながらそれはそれで、ヴァベルクの指摘に或る程度の正当性を与える。ところが全く同じ理屈でそれは、マルクスの生産価格論が持つ価格論としての正当性を示す。結果的にマルクスの生産価格論は、ヴァベルクが期待する価格論を実現しており、ヴァベルクがそれに対して不満を言う必要も無かったことになる。


(6b6)対外化した剰余価値搾取

 生産財の市場単価は、生産財1単位の生産に必要な労働力量Vmaxにおいて、不変資本部分Cと可変資本部分Vmaxの合算値(C+Vmax)である。ここに剰余価値Mを上乗せした(C+Vmax+M)は、その高値により価格競争に敗れて市場から追放される。一方で生産財の剰余生産は、可変資本部分Vmaxを按分し、その可変資本のために必要な労働力量をより小さな労働力量Vminに置き換える。この小さくなった可変資本部分Vminに平均利潤Mを上乗せした(C+Vmin+M)は、先の(C+Vmax)と同じ値段で市場取引される。ここでの(Vmin+M)はVmaxと同値であり、内面的な価格構成だけが異なる。

 C+Vmax=C+Vmin+M
 ∴ Vmax=  Vmin+M

この(C+Vmin+M)におけるMは、(C+Vmax+M)におけるMと同様に可変資本部分Vの上乗せである。やはり価格競争は(C+Vmin+M)を市場から追放し、市場価格を(C+Vmin)に置き換えそうに見える。しかしここでの剰余価値Mは、寡占特別剰余価値としての平均利潤である。それゆえにその価格競争は、(C+Vmin+M)から剰余価値Mを剥ぎ取るまで進まない。価格競争が先の(C+Vmax+M)における剰余価値Mを剥ぎ取るのは、Vmaxが生産財1単位の生産に必要な労働力量であることに従う。もしそこに任意の剰余価値Mを上乗せできるなら、誰でもが該当生産財の生産活動に参入できる。しかし価格競争はその新規参入者の生産財単価に対し、(C+Vmax+M)ではなく(C+Vmax)を強いる。もし新規参入者が頑張って自らの生産財単価の価格構成を(C+Vmin+M)に転換できるなら、新規参入者も剰余価値Mを取得できる。しかしそのために新規参入者は、剰余生産が実現するまでの間(C+Vmax)で生産活動を持続しなければいけない。そして剰余生産が実現した暁に、その生産の価格構成は(C+Vmin+M)となり、新規参入者は剰余価値Mを取得する。しかしこの剰余価値Mの取得までに要する苦労が、新規参入者を小資本家に甘んじさせ、彼に再び該当生産財の生産活動からの撤退を強いる。もともと生産財の寡占において、その生産工程に必要な不変資本部分は、無産者に取得困難な物財であった。そしてその取得困難が無産者に対して、該当生産財の生産活動への新規参入を断念させる障壁となっていた。ここでの(C+Vmin+M)を実現するまでの生産拡大の努力義務は、ようやく必要不変資本を取得した新規参入者にとって第二の障壁である。ここでもやはり剰余価値Mの取得までに要する苦労が、無産者における該当生産財の生産活動への新規参入意欲を挫く。この二重の障壁は、生産部門における寡占を外部の新規参入者から守る。価値面から言うとそれが守るのは、価格構成(C+Vmin+M)である。その価格構成におけるCとVminは、それぞれMの擁護者である。とりわけVminが実現するのは、生産部門における差額略取の実体化である。ただしここでの差額略取は、対外的な差額略取を内包する等価交換である。それと言うのも、その生産財単価は、(C+Vmax)だからである。それは価値通りの生産財交換を実現しており、正確に言えば差額略取ではない。その隠蔽された差額略取は、もともとの労働者に対して行っていた剰余価値搾取を、労働者以外に向きを変えたものである。

(2023/10/09) 続く⇒第三章(6)金融資本における生産財転換の実数値モデル   前の記事⇒第三章(4)価格構成における剰余価値の変動

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移


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数理労働価値(第三章:金融資本(4)価格構成における剰余価値の変動)

2023-10-09 10:37:25 | 資本論の見直し

(6a)生産部門における寡占形成

 金融部門の資本主義的利益を構成するのは、基本的に金融部門による貨幣資本の独占を背景にした特別剰余価値である。その独占を実現するのは、個別の生産部門にとって用意不能な貨幣資本の大きさに従う。また生産部門はその貨幣資本を、さらに上位の金融部門からも調達できない。もちろん金融部門の債務者が金融部門に融資を受けるのは、減税目的の赤字粉飾をするためかもしれない。いずれにせよ債務者にとって金融部門は、避けようの無い貨幣資本の調達手段である。ただし金融部門による貨幣資本の独占は、生産部門に対する独占に留まる。その独占の威力は、同業金融部門に対して有効ではない。しかし金融部門間の競争で競合する両者が目指すのは、互いに特別剰余価値の確保である。それは互いの貨幣資本独占の維持において暗黙に一致する。しかもどちらの金融部門においても、一般的な剰余価値搾取が困難である。それゆえに金融部門は、同業金融部門との競争を抑止する暗黙の利潤率を擁立し、それに即した貸出利率を設定する。一方で生産部門の資本主義的利益を構成するのは、一般的剰余価値である。基本的にそれは、生産部門による生産手段の独占を背景にする。その独占を実現するのは、労働者にとって用意不能な生産手段の大きさに従う。労働者にとって生産部門は、避けようの無い生産手段それ自体として現れる。ただし生産部門による生産手段の独占は、労働者に対する独占に留まり、同業生産部門に対して有効ではない。そして生産部門同士が競争するなら、互いの搾取剰余価値が減少する。それがたどり着くのは、生産部門における剰余価値の消滅である。それゆえに生産部門も、金融部門と同様に、同業生産部門の競争を抑止する暗黙の利潤率を擁立し、それに即した剰余価値率を設定する。そしてその剰余価値が、部門支配者のための資本主義的利益を充当する。この剰余価値率の先行決定は、生産物の価格構成に現れる。それは価格の内訳を、生産コストと利益として分離する。そこでの労賃は、労働者から見れば利益である。しかしそれは、生産部門から見れば既に利益ではなく、生産コストである。


(6b)寡占特別剰余価値の特異性

 独占を形成した後の剰余生産物は、生産財の過剰生産に付随して現れる剰余ではなく、予定された剰余である。しかし結果剰余を予定剰余にするには、予定剰余に対応して生産財の予定生産量を減らす必要がある。そこで生産部門は、既存の生産実績に従って逆に必要可変資本を減少させる。それゆえにその生産財転換モデルは、前章の可変資本減資モデルに準じる。ここでの資本主義的利益は、あらかじめ剰余価値を価格面で確保することにより得られる。しかし剰余価値率が販売実績に応じて決まるのでなく、生産時点で計画的に決められると、その剰余価値はあまり剰余らしくない。本来の一般的剰余価値は、剰余生産物である、それゆえに価格構成の中に、剰余価値の居場所は無い。したがってその生産財単価は、あくまでも不変資本と可変資本の合算値(C+V)である。この価格構成における剰余価値の不在は、生産物取引を差額略取の無い等価交換にする。これに対して予定された剰余価値は、生産物の価格構成に、あらかじめ居場所を確立している。その生産財単価は、不変資本と可変資本および特別剰余価値の合算値(C+V+M)である。さしあたり寡占特別剰余価値は、やはり特別剰余価値である。そしてそれが特別剰余価値であるなら、その生産財単価も、(C+V+M)から競争を通じて、(C+V)に復帰すべきである。しかも予定剰余は、その可変資本に対する必要分の残余である。その剰余価値としての姿は、一般的剰余価値と変わらない。その生産財単価が(C+V)でなく、(C+V+M)であるのは、あらかじめ高目に吹っ掛けただけの名目価格であり、長期的に言うと実価格とならないように見える。この寡占特別剰余価値についてさらに確認すると、次のようになる。


(6b1)特別剰余価値と一般的剰余価値の相反する一体性

 まず本来の特別剰余価値は、同業他社の生産コストとの比較で、その技術優位に従い現れる差分利益である。生産部門の手元に残る資本主義的利益は、あらかじめ優位技術が価格に滑り込ませた特別剰余価値である。それゆえにその生産財単価は、不変資本と可変資本および特別剰余価値の合算値(C+V+M)である。この価格構成は、等価交換における価格(C+V)と異なる。当然ながらこの価格構成が表現するのは、差額略取である。その差分利益は、同業他社の生産コストとの比較で生まれる。ところが寡占特別剰余価値は、同業他社との寡占で生じる特別剰余価値である。それは同業他社の生産コストとの比較で言えば、差分利益ではない。そもそも生産コストが競合部門間で同じなら、同業他社に対して差分利益が生じない。しかし寡占は価格に特別剰余価値を上乗せすることで、その差分利益を実現する。生産部門にこの差分利益を可能にさせるのは、生産財または生産工程または販売過程に対する独占ないし寡占である。ここでの生産部門は消費者に対し、元の生産物価値に特別剰余価値の上乗せを強要する。それは、生産物取得のための余計な労働力の上乗せの強要である。しかしもし寡占が無ければこの強要は無効であり、同業他社の競合が生産財単価を(C+V+M)を(C+V)に減じる。このときに消費者も、生産物取得のために余計な労働力の上乗せることも無い。この差分利益でありながら差分利益ではない差分利益は、寡占特別剰余価値を特別剰余価値と異なるものにする。しかしそれが特別剰余価値ではないのであれば、それは一般的剰余価値である。しかしその生産物における(C+V+M)の価格構成から言えば、この剰余価値はやはり特別剰余価値である。寡占特別剰余価値の特異性は、この特別剰余価値と一般的剰余価値の相反する一体性にある。


(6b2)価格構成における剰余価値の変動

 寡占下における生産財単価は、一方で(C+V+M)を予定し、他方で(C+V)への減価圧力に晒される。その価格構成のギャップは、ヴァベルクが捉えた剰余価値理論の矛盾と同じものである。その価格構成は、一方で(C+V)に始まって(C+V+M)に至り、他方で(C+V+M)に始まって(C+V)に結果する。一見するとそれは、価格変化であり、価格構成の変化である。しかし価格構成の変化は、価格の変化ではない。価格が同一でも、価格構成は変動する。その例証に以下で労賃1万円、原材料1万円の商品を2個作るときの価格構成を考える。この場合に1個だけ2万円で売れると、剰余価値は生じない。

 生産財1(販売20,000円)原材料 10,000円労賃 10,000円
 生産財2(不売0円)→資本主義的利益ゼロ 


この生産財が1個だけ売れた時の価格構成は(C+V)であり、剰余価値Mが現れようも無い。しかし2個売れると、剰余価値が生じる。ただしその価格構成は(C+V)のままである。

 生産財1(販売20,000円)原材料 10,000円労賃 10,000円
 生産財2(販売20,000円)資本主義的利益 20,000円


ところがこの価格構成を各生産財で平準化すると、次のように(C+V+M)となり、剰余価値Mが価格構成に入り込む。

 生産財1(販売20,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円資本主義的利益 10,000円
 生産財2(販売20,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円資本主義的利益 10,000円


しかし逆にこの状態で生産財が1個しか売れなければ、原材料と労賃について必要な売り上げが不足する。

 生産財1(販売20,000円)原材料 5,000円労賃 5,000円資本主義的利益 10,000円
 生産財2(不売0円)→原材料5,000+労賃5,000 の損失


生産部門が最低でも単純再生産を目指すなら、生産部門はここでの損失に、資本主義的利益1万円を充当する。そしてそのように充当すると、その価格構成の内実は最初の(C+V)に復帰する。

 生産財1(販売20,000円)原材料 10,000円労賃 10,000円
 生産財2(不売0円)→資本主義的利益ゼロ 


(2023/10/09) 続く⇒第三章(5)(C+V)と(C+V+M)   前の記事⇒第三章(3)労働力商品の資源化

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      (4)分業と階級分離
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      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
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      (7)剰余価値
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