ショーペンハウアーの哲学は、その直観主義、情念の復権、死と向き合う達観思想、宗教的実存への撞着など、ヘーゲル以後に登場した現象学、ならびに実存主義の多くの諸特徴を兼ね備えている。また彼の哲学における選民思想の傾向、および意思発現の生命哲学的要素は、ニーチェへと直に継承されている。面白いことにショーペンハウアーとニーチェは、ともに芸術への傾倒が強く、軽い文筆表現を持ち味にしているだけでなく、哲学を通じて何を目指したのか不明なところまで一緒である。ただしショーペンハウアーの文章表現は、ニーチェほど尊大な記述要領ではない。むしろ他の哲学者との比較で見ると、ショーペンハウアーの文章は、読者を意識した判りやすい立派な記述要領をしている。また両者は、意思の否定と肯定の反対方向を目指した点で差異を持つ。しかしこの両者は、フッサールのように科学の哲学的基礎づけを目論んだわけでもなく、キェルケゴールのように魂の救済を希求したわけでもなく、ハイデガーのように個人意識の構造解明に自らの哲学的役割を見出すわけでもない。彼らにおけるこのような志向先の不明さについて納得できそうな説明を考えると、実は両人ともに世界に潜む謎の神秘的存在を想定し、その機嫌を取っているかのようにも見える。彼らにおけるその神秘的存在とは、人間にことさら興味を持たない荒ぶる生命の神である。この神が実体としての意思であり、個々人の意思はその派生態にみなされている。しかも両人はそのご機嫌取りを、この神から離反する一人立ちをもって説明する。したがってショーペンハウアーにおける意識についての哲学的論究は、カント以後のフィヒテ・シェリング・ヘーゲルらと同様に、誰の意識を念頭に置いているのか不明な論究であり、当時のドイツ観念論の枠内に収まった理屈に留まっている。このことが、その実存主義的先駆性にもかかわらず、哲学史においてショーペンハウアーが実存主義の始祖とみなされない最大の理由だと思われる。また内実としても彼の哲学は、カントにおける物自体と現象世界の二元構造を維持して、カント哲学が抱えていた物自体の理念的役割を増幅させただけの中身である。したがって哲学史におけるショーペンハウアーの評価が、ヘーゲルとほぼ同時代にヘーゲルに対抗したカント亜流哲学者でしかないのも、仕方無いことのように見える。
カントは世界を物自体と現象の二元構造で分離し、物自体が持つ諸属性の認識可能性を意識から剥ぎ取った。このようなカントの不可知論に対してヘーゲル以後の哲学は、そもそも最初にカントが世界を物自体と現象の二元構造で分離したことに疑問を持つようになる。ショーペンハウアーも、このようなカント批判に連動する形で、直観主義の観点からカント式の完全乖離した二元的世界像に反発している。すなわち彼は、観照において物自体と現象が未分離の姿で現れていると扱い、そのことにおいてカント式の物自体の不可知論を否定している。なぜなら彼にあっては、物自体は情念として現象可能な存在だったからである。例えば自然の景色に対して湧き上がる荘厳や感動のような情念こそが、彼にとって無媒介な直観に現れた物自体の姿である。だからこそショーペンハウアーは、対象そのものについての表現を、カント式の「物自体」から「意思」へと言い換えている。ところが一方で反対にショーペンハウアーは、カント式の物自体と現象の二元構造を、意思と表象の二元構造として維持し、同様にカント式の物自体の不可知論を、意思の不可知論として維持する。そのように彼が、一方で自ら否定した二元構造を、他方で自ら再構築するのは、現実に存在する不可知を説明するためである。すなわち、可能的には全ては知り得るはずなのに、実際には知り得ない現実が存在するからである。不可知が原理的に否定されたのであれば、不可知な事態はどこから出現するのであろうか? もともとカントは物自体と現象の二元構造において、不可知を存在と認識の断絶から発現させていた。このおかげでカントでは不可知が恒常的に現れ、対象を知り得ること自体が謎となっていた。しかし物自体と現象の二元構造が消えてしまうと、今度は恒常的に現れるのは可知の方であり、逆に対象を知り得ないことの方が謎となる。ここには、直観主義が抱える基本的な試練が待ち受けている。それは、直接知の完全性が何故ゆえに消失してしまうのかを説明しなければならないと言う試練である。現象学および実存主義は、これに対して直接知への雑念の混入、または直接知の堕落を答えて、直観主義の孤塁を守った。しかしショーペンハウアーが選択した道は、カント式の世界の二元構造への回帰であった。ただし彼は、カントが「物自体」の言葉の上で誤魔化した世界の二元構造を、その「意思」への言葉の置き換えで補正している。もともとカントの不可知論は、意識が物自体を認識できないかのごとく唯物論的装いをしていた。それに対してショーペンハウアーの不可知論は、物体が意思を認識できないとする観念論本来の姿に変わっている。ショーペンハウアーは、意識が物体化することの危機を語る現象学まで、あと少しのところまで接近している。
ショーペンハウアーは、自ら振り出しに戻した不可知論を再度克服するために、さらなる右往左往へと進む。物自体の直観的認識を可能だと考える彼は、その認識方法に芸術を選択する。もちろんこの芸術を通じた物自体の把握は、自然対象に対する情念的把握を理念認識の世界にまで拡張した姿である。ところが芸術作品が鑑賞者に物自体を連携する力を持つためには、そもそも作品を生み出した芸術家が物自体を認識していなければならない。ショーペンハウアーは、ここで再び自ら掲げた意思の不可知論と対峙せざるを得なくなる。そして彼は、神に認められた天才だけが対象の真理にあずかるとの考えに至る。新たな不可知論において真理認識の可能性を自ら再度封鎖したショーペンハウアーは、今度は神に選ばれた人間に真理認識の望みを託したわけである。ただしニーチェと違い、ショーペンハウアーは自ら天才を自称するのをはばかっている。そのために彼は、努力において誰でも天才に近づけられる、または誰でもある程度の天才の素養を持っていると述べている。しかし彼は、努力すれば誰でも天才に近づけられると述べているだけであり、努力によって誰でも天才になれるとは言っていない。また彼は、優れた評論家が優れた芸術家になれるわけではないとも言っている。このような彼の陳述を見る限り、努力によって天才になった人も、実はもともと努力する前から天才だったことに帰結するしかない。一方でフッサール、さらにハイデガーが探究したのは、無媒介な直観が本来持っていた真性を回復し、自らに襲い掛かる不可知を払拭する意識の道である。このような現象学の挑戦を可能にした条件は、現象学が意識を個人のものとして前提したことにある。もちろんこの前提には、次のような結論が直接に連結している。すなわちそれは、本来あった直接知の真理も個人の努力において回復可能だと言う結論である。逆に、天才を除き、個人の努力を不可知の払拭に対して無力に扱うショーペンハウアーの諦念は、次のことを露わにしている。すなわちショーペンハウアーにおける意識は、個人に属していないと言うことである。もちろんそれは、ショーペンハウアーが物自体を「意思」として表現したことに既に現れていることでもある。彼において意思は物自体に属しており、認識主体としての個人に現れる意識は、この意思の派生体にすぎない。すぐわかるように、個人が全体に従属するこの構図は、彼が敵視したヘーゲルと同じものである。と言うのも、ヘーゲルに至るドイツ観念論では、意識は常に個人の意識ではなく、学問や言語、または哲学そのものであり、さらには国家ないしドイツ魂こそが意識だったからである。ショーペンハウアーにおける意識は、結局このようなドイツ観念論における正体不明の意識と同じなのである。
(2015/04/30)(続く)