唯物論者

唯物論の再構築

ハイデガー存在と時間 解題(第2編第3章 脱自としての時間性)

2018-08-28 07:25:09 | ハイデガー存在と時間

 前章において示された先駆と決意の二つの実存からハイデガーは、この章で確定した実在を導出し、それをもって存在の意味についての結論に進む。ここでは緒論において提示された存在の意味への問いに対し、ハイデガー自らの結論を示した第2編第3章を概観する。


[第2編 第3章の概要]

 現存在が抱える責めの究極としての死は、一方で現存在の全体を規定し、他方で現存在の不完全を確定させる。したがって死の先駆は、現存在に最も自己に固有な本来の決意をもたらす。すなわち先駆的決意にある現存在は実存する。このような死の重みがもたらす実存の確実性は、ハイデガーにおいて第一原理として現れる。すなわち実在が実存を派生するのではなく、実存が実在を派生する。存在概念が抱える自家撞着は、実在と実存がいずれも存在として概念的に一般化されることに起因する。自家撞着は現存在の在り方、すなわち現存在の配慮に先んじて配慮する在り方に従っている。ハイデガーは循環論証の非難を、現存在の事物化解釈として扱う。それゆえに同じ循環は、デカルト式コギトの「我思う」にも現れる。ただしそこでの自己の実在は表象の形式としての先験性であり、事物の実在と同じである。しかもその自己は無内容な架空に過ぎない。現実の自己は、世の中とともに配慮において開示される。現存在の在り方の意味は、在り方の了解において自家撞着的に現存在の自己に与えられる。その意味とは、時間性として現れる脱自である。そして時間性とは、到来・既在・現在として現れ、時的成熟する現存在の在り方を言う。時間としての未来・過去は、この時間性としての到来・既在の頽落形態である。到来・既在・現在は次のように説明される。
・到来 …先駆する現存在の自己への投企
・既在 …自己の責めとして了解される有限性
・現在 …到来した自己の現成
自己を到来させる現存在、および到来により既在する現存在は自己を脱している。そして到来しかつ既在する現存在は、自己を脱した瞬視として現成する。このように脱自とは、死ぬまで自己再生する現存在の在り方を言う。一方でこの脱自の了解は現存在に対し、自己の対極に無限を露呈させる。それゆえに時的成熟作用としての脱自は、到来・既在・現在としての時間性であるだけでなく、さらに派生的に未来と過去を時的成熟する。



1)先駆的決意における実存の確定

 配慮に先んじて配慮する現存在の在り方は、現存在の自己に固有な不完全を責めとして露呈する。そしてその不完全の終端には現存在の死が現れる。すなわち死は一方で現存在の全体を規定し、他方で現存在の不完全を確定させる。死は現存在が抱える責めの究極として現れる。この自己固有の究極の責めを了解するのが、死の先駆である。それゆえに自らの責めを了解した自己固有の在り方、すなわち決意も、死の先駆に対して究極の最も自己に固有な決意として現れる。したがって先駆的決意が、死における現存在の全体、および不完全を確定する。ただしここでの責めを了解する自己固有の在り方、すなわち決意を規定したのは、死の先駆である。それゆえにハイデガーは先駆的決意を実存として確実視する。


2)存在についての循環論証の起源

 ハイデガーは先駆的決意において実存を第一原理化する。その目論むところは、存在の概念定義が存在概念を前提にする存在概念のアポリアへの回答である。ハイデガーの考えにおいて循環論証のアポリアは、実在と実存がいずれも存在として概念的に一般化されることに起因する。ただしハイデガーは、実在が実存を派生するのではなく、実存が実在を派生すると考える。このためにハイデガーは、存在を存在者の在り方として解釈し、実在と実存も在り方の変様に扱う。そして実在を事物や道具の在り方と捉え、それらを実存に派生させることで、循環をほどく。もちろん実存が第一原理であっても自家撞着は変わらない。循環は了解の内に閉じ込もっただけである。しかしこの自家撞着に対してもともとハイデガーは、現存在が自らの在り方について了解していることに答えを見い出す。その了解が現す現存在の在り方は、配慮に先んじて配慮する在り方である。そして現存在の実存は、そのように配慮する自由として現れる。つまり循環はそのまま現存在の在り方にほかならない。またそれだからこそハイデガーにおいて現存在は、事物と異なる特異な存在者である。逆にハイデガーは循環論証の非難に対し、現存在を事物に扱う頽落的解釈にすぎないと応じる。


3)反省する自己と配慮

 「我思う」自己は反省する思惟である。自己は主語の「我」の配下に「思う」として現れる。この自己としての思惟は作用であり、実体ではない。また主語の「我」も思惟と切り離れ得ない反省する在り方である。その自我は対象から孤立して現れることは無い。「我」は「我思う」現存在の配慮の在り方において捉えられなければならない。ところがカントは表象の形式としての先験的実在を自己に与え、自己を主観として実体化する。実体化において自己の反省は、世の中を喪失した虚しい思惟として現れる。ハイデガーはこのような自己の実体化を自己の事物化だと断じ、その自己概念に対して現存在を事物に扱う頽落的解釈だと非難する。もちろんその非難の矛先は、カントを通り越してフッサールに向かっている。ハイデガーにおいて反省は、自己と世の中を開示する配慮へと姿を変える。ハイデガーが次に問うのは、現存在が配慮する意味である。


4)在り方の意味としての脱自(=時間性)

 意味とは現存在の投企の規定者であり、現存在の投企の目的である。存在者が意味をもつと言うのは、存在者の在り方が目的に適合すること、または目的に向けて存在者が投企されることである。ただし現存在が投企するのは自らの在り方である。このときにも現存在は、在り方の意味を了解しているがゆえに投企する。ところが現存在は、むしろ了解において自らの在り方に意味を与える。したがってその了解は自家撞着しており、現存在は具体的にその意味を捕捉しない。とは言えその意味は、現存在自身から離れることは無い。現存在の投企は、原体験的自由の実存的在り方に始まる。ハイデガーはこれまでの記述を踏まえて、現存在の在り方の意味を脱自(=時間性)だと断じる。


5)時間性としての到来・既在・現在

 ハイデガーは時的成熟する現存在の在り方を指して、時間性と呼ぶ。そして時間としての未来・過去は、この時間性としての到来・既在の頽落形態だとされた。ちなみに現存在の在り方は、まず世の中の在り方と表現され、次に配慮だと言われた。時間性は、配慮に先んじて配慮する現存在の在り方を、先駆的決意を媒介にして時間的に分節しただけの内容である。しかし現存在の在り方について、配慮をさらに時間性へと言い換えただけなら、時間性が在り方の意味だとのハイデガーの説明は不明瞭なままである。ハイデガーが時間性を在り方の意味だとするのは、時間性が脱自だからである。ちなみに脱自をもっと世俗的に言い換えて、脱俗だと言ってもそれほど外れていない。時間性は次のように到来・既在・現在として説明された。

  • 未来としての到来
     現存在は先駆的決意において実存する。このときの先駆する現存在の投企は、自己への到来として現れる。その現存在は実存を自己に向けて投げており、自らの未来である。
  • 過去としての既在
     自己への到来において現存在は、自己の既在も了解する。現存在が了解するのは自己に責めとして在る有限性であり、自らの過去である。
  • 現成する現在
     現存在の現在は、自己への到来の現れである。それは、自らの原体験に基づいて情況における道具的存在者を配慮する現存在の実存の現成である。ただしハイデガーは現存在の本来的現在を瞬視と呼び、単なる現成と区別する。瞬視は、頽落した現存在の決意を通じた自己復帰として現れる。現存在の頽落の現在は、単なる現成に留まる。


6)時的成熟と脱自

 自己を到来させる現存在は、現存在の自己ではない。その自己ならぬ現存在は自己を脱している。同様に脱自において到来する現存在も、既に自己を脱している。すなわち既在する現存在も自己を脱している。したがって到来しかつ既在する現存在は、自己を脱した自己として現成する。脱自と言う言葉が表現するのは、死ぬまで自己再生する現存在の在り方である。そして時間性とは、脱自に等しい。この脱自を了解する自己は、自らの有限性も了解する。その有限性の了解は、現存在に対して自己の対極に無限性を露呈させる。それは、脱自における無限な時間の露呈である。すなわち時的成熟作用としての脱自は、到来・既在・現在としての時間性であるだけでなく、さらに派生的に未来と過去を時的成熟する。ただしこのように現存在において無限な時間を可能にするのは、やはり現存在の有限な時間性、すなわち死の了解である。


(2018/08/26)続く⇒(存在と時間第2編4章) 存在と時間の前の記事⇒(存在と時間第2編2章)


ハイデガー存在と時間 解題
  1)発達心理学としての「存在と時間」
  2)在り方論としての「存在と時間」
  3)時間論としての「存在と時間」(1)
  3)時間論としての「存在と時間」(2)
  3)時間論としての「存在と時間」(3)
  4)知覚と情念(1)
  4)知覚と情念(2)
  4)知覚と情念(3)
  4)知覚と情念(4)
  5)キェルケゴールとハイデガー(1)
  5)キェルケゴールとハイデガー(2)
  5)キェルケゴールとハイデガー(3)
ハイデガー存在と時間 要約
  緒論         ・・・ 在り方の意味への問いかけ
  1編 1/2章    ・・・ 現存在の予備的分析の課題/世の中での在り方
     3章      ・・・ 在り方における世の中
     4/5章    ・・・ 共存と相互依存/中での在り方
     6章      ・・・ 現存在の在り方としての配慮
  2編 1章      ・・・ 現存在の全体と死
     2章      ・・・ 良心と決意
     3章      ・・・ 脱自としての時間性
     4章      ・・・ 脱自と日常
     5章      ・・・ 脱自と歴史
     6章      ・・・ 脱自と時間

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