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唯物論の再構築

光学異性体

2013-07-14 23:51:56 | 進化論

 分子の立体異性体の分類パターンの一つに光学異性体がある。もともとこの分類では、水溶液に入る直線偏光を右旋回の円偏光に変える化合物をD体と呼び、左旋回の円変更に変える化合物をL体と呼んでいた。D体とL体では、分子構造の向きも左右で逆転している。そこで光学異性体は、鏡像異性体とも呼ばれた。現在のアミノ酸のDL表記は、実際には旋光性ではなく、化合物の立体構造におけるグリセルアルデヒドの分子構造を基準にして、その分子構造の向きにより決められる。このDL区分により、地球の生命体を構成するアミノ酸は、基本的にL体になっている。当然と言うべきか、D体アミノ酸をタンパク質に合成するようなリボゾームは、地球上に存在しない。このために地球の生命体は、D体アミノ酸をほとんど活用できない。このような生命体におけるDL区分の単一性は、ホモキラリティーと呼ばれている。ちなみにアミノ酸と逆に、グリセルアルデヒドを含む糖化合物は、基本的にD体である。このことは一見すると、糖化合物の一種としてのDNAが、細胞分裂時にタンパク質のアミノ酸配列を決定する役割を持つことに符牒する。ただしDNAは、右手型に限定された鏡像異性体であるが、DL区分に該当しない。DNAにおけるこの右手型限定は、DNAの二重螺旋の向きを右巻きにする規定要因となっている。
 なおD体アミノ酸が地球の生命体と無縁かと言うと、そうでもない。D体アミノ酸は、脳内や細胞壁に存在し、抗生物質の成分にもなっている。そしてD体アミノ酸が生体内に存在するように、L体糖化合物も生体内に存在する。果糖は糖化合物だが、L体である。またD体アミノ酸の分解酵素も存在する。しかも体内においてL体からD体へのアミノ酸の変異が起きており、それによるD体アミノ酸の体内蓄積は、生命体の老化と連繋しているとも言われている。

 一方で原始大気からのアミノ酸生成実験において、L体とD体のアミノ酸は等量に生成される。この実験事実は、地球の生命体を構成するアミノ酸が基本的にL体である事実に反する。ひとまずその点を無視して、L体とD体のアミノ酸が等量にある状態でアミノ酸結合をしても、生まれるたんぱく質においても、L体とD体の各純正体、およびDL混成体が発生する。DL混成体は排他的なアミノ酸の塊に過ぎず、タンパク質の生成において一貫した組成を作れない。このために生命体は、基本的にD体かL体の純正体として存在すべきとなる。結果的に地球の生命体は、身体を構成するアミノ酸がD体とL体の2系統において、やはり等量に、しかも排他的に存在すべきとなる。ところが実際に現在の地球にいるのは、L体アミノ酸生物だけである。そこには、次のような一連の疑問が生まれる。なぜ現在の地球にD体アミノ酸生物が存在しないのか?、それはかつて存在したのだが絶滅したのか?、絶滅したとしたらいつ頃どのような理由によって絶滅したのか?、それともそもそも最初からD体アミノ酸生物は存在しなかったのか?、である。
 この謎に対する現時点の有力と言われる仮説に、左円偏光のβ線照射を受けてD体アミノ酸の破壊が起きたとするW・ボナーの仮説がある。アミノ酸は、左右どちらかの円偏光をしたβ線照射を受けると、円偏光の向きに応じて、L体かD体の片方だけのタイプだけが破壊される。このことからボナー仮説は、地球外のアミノ酸が中性子星からの左円偏光のβ線照射を受けてL体だけになり、地球に飛来したと説明している。ただし中性子星は、左右両方の円偏光のβ線を放出しており、そこには左円偏光のβ線照射だけをアミノ酸が受ける偶然が必要となる。このような中性子星が放射するβ線が持つ偶然に対し、超新星爆発が放射するβ線は、左円偏光のβ線だけである。そこで近年になってさらに、ボナー仮説の超新星爆発版が登場している。なおボナー仮説は、地球外の糖化合物が中性子星からの右円偏光のβ線照射を受けてD体だけになり、地球に飛来して、地上のL体アミノ酸と結合したとする説明にも連繋可能である。もちろんそのような仮説は、別宇宙からの生命飛来説の変種となる。

 ボナー仮説にしても、その超新星版にしても、地球外でアミノ酸(または糖化合物)が生まれ、中性子星や超新星爆発に遭遇する形で、わざわざ地球にまで飛来する必要がある。もちろんホモキラリティーという事実こそが、宇宙からの生命飛来説を実証していると理解するのも、可能であろう。ただしそもそも筆者は、別宇宙からの生命飛来説が嫌いである。それは生命発生の謎の解決を、遠方の場所に移すだけだからである。そして筆者は、ボナー仮説を別宇宙からの生命飛来説に重ね合わしている。また氷結した化合物は、β線照射による破壊をほとんど受け付けない。さらにアミノ酸のDL表記は、各種アミノ酸の変換円偏光の向きと一致するわけではない。すなわち同じD体アミノ酸であっても、その変換円偏光の向きは、必ずしも右向きと限らない。加えてボナー仮説は、原始大気からのアミノ酸生成を実現したミラーの実験を無意味にする。など、従来から指摘された問題点においても、ボナー仮説は難点および不満点を抱えている。そうなると、L体アミノ酸に比べて、D体アミノ酸に生命体の材料としての致命的欠陥があるのではないか、もしくはD体アミノ酸に比べて、L体アミノ酸に生命体の材料として格段に優位な効能があるのではないかと、ホモキラリティーの原因推測の方向を変えたくなってくる。しかしこのような推測方向の変更への期待は、そもそもの光学異性体の定義の無視に落ち着くしかない。光学異性体の定義は、D体とL体の間に、旋光性以外の物理化学的性質の差異が存在しないことだからである。またそのことが、ボナー仮説が生まれる大前提となっている。ホモキラリティーの原因推測は、袋小路から抜けられないかのように見える。

 L体アミノ酸生物にとってD体アミノ酸は、細胞壁などの材料になるのを除くと、基本的に無益な存在である。それどころか、抗生物質がバクテリアを死滅させるように、L体アミノ酸生物にとってD体アミノ酸は、むしろ有害な存在である。と言うのも、排他的なアミノ酸の存在は、タンパク質の生成において、一貫した組成構築の邪魔者であり、そのことが排他的なアミノ酸を、生体の一貫した肉体形成の阻害因子にするからである。結局ホモキラリティーは、原因ではなく、結果にすぎないのではないかというのが、筆者の結論である。すなわち、かつてL体とD体アミノ酸生物は存在した。両者のタンパク質組成の排他性は、互いを自らのにとっての危険物にする。そしてそのことが、早い時期にD体生物が死滅した原因となっている。というのが筆者の推測である。このような推測の立て方はホモキラリティーの原因推測を、なぜL体アミノ酸生物だけが生まれたのかではなく、なぜL体アミノ酸生物だけが生き残ったのかという内容へと置き換える。つまりL体アミノ酸生物の誕生は偶然だったのかという疑問も、L体アミノ酸生物への淘汰は偶然だったのかという疑問に置き換わることとなる。両者は同じ偶然とはいえ、前者の偶然と違い後者の偶然は、D体アミノ酸生物またはL体アミノ酸生物への純化を必然にする点で異なる。そのことは、L体ホモキラリティーの原因を問うことを、心臓が左半身にある理由を問うことと差を持たなくさせる。
(2013/07/14)


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