「これ」「今」「ここ」「我」の限定存在の実在性はその質的限定にある。そして実在する限定存在は、個物として現れる。次にヘーゲルが目指すのは、時空および自我の規定である。限定は無限定、すなわち無限に通じる。そこでヘーゲルは、質に現れる対他存在と即自存在を通じて、個物と他者の限界を規定し、そこから質料と形式、および有限と無限の各概念を展開してゆく。以下では存在論において限定存在が無限者へと展開するヘーゲルの説明を概観する。
[第一巻存在論 第一篇「質」第二章「限定存在」の概要]
限定存在から派生する実在性・対他存在・即自存在・限界・実践・無限者などについての論述部位
・実在性一般 ・・・限定存在における質的無限定の否定がもたらす自立した無
・自体的実在性 ・・・限定存在における存在自体の実在性。純粋存在と同じ。
・類的存在 ・・・存在一般を限定する根源的限定。純粋無と同じ。
・限定存在の実在性・・・自体の純粋存在が純粋無による否定を通じて復帰したもの。
限定された無としての実在性Realitat
・個物 ・・・実在する限定存在としてのEtwas
・他者 ・・・成の終端に現れる限定存在に非固有な質としてのAnderes
・他在 ・・・限定存在の外に他者として擁立された他の個物Anderssein
・この物 ・・・恣意的に限定された個物Dieses
・対他存在 ・・・他在に関わる個物。個物の外面。
・即自存在 ・・・対他存在を媒介にした自己との関わり。個物の内面。
・規定性 ・・・個物の質
・規定 ・・・個物の即自的な質。特性。
・性状 ・・・個物の即自的ではない質。対他存在。
・限界 ・・・個物と他者を結合し、分離する規定性。
個物と他者の両者の他者としての無。形式。
・有限者 ・・・限界を持つ個物
・滅亡 ・・・有限者の終端。ただし滅亡自体も有限。
・自己制限 ・・・個物の自己の内部を構成する即自的限界
・実践 ・・・自己制限の否定者として現れる個物の即自存在。超越。
・無限定性 ・・・自己制限と実践の統一で現れる個物の自由。超越可能性。
・超越不可能性 ・・・有限性と無限定性の完全分離がもたらす謬見。
この謬見が要求する実践は、到達不可能。
・無限者 ・・・有限者の無限連鎖に現れる非有限者
1)限定存在「である」の実在性
限定存在の「である」は、「成る」における存在と無の統一態である。その存在は無限定な始元存在ではなく、限定された存在である。またその無は存在の質として「である」を限定する。ここではまだその質は、反省する意識にとっての質なのか、限定存在自体の概念としての質なのかは不分明である。とは言えこの質は限定存在自体の概念として擁立されないので、反省する意識にとっての質に留まる。この質は「である」と一体である。例えばそれは「赤」として抽出され特殊に一般化された色ではなく、眼前の個物そのものである。言うなればそれは「山田一郎」や「田中進」の本人がそのまま個人の質になっている状態にある。この質は存在に現れた無である。その無は限定存在の存在と対峙しており、それゆえに質は存在する無として自らを主張する。したがって個物そのものとして現れた質にしても、既に観念としての質へと抽出され特殊に一般化される端緒へと入り込んでいる。そしてこのように自立した無は、限定存在の存在と対立する。すなわち否定的に見れば、限定は存在の無限定性の否定である。例えば「である」における赤色限定は、限定存在の色における無限定性を奪う。しかし逆に肯定的に見れば、限定は「である」の実在性を成す。すなわち質が限定存在を実在たらしめる。質が無い限定存在は実在し得ない。例えば色の無限定性は、色における非実在に等しい。
2)類的存在の確立
「である」にはその全体がある。その全体はまた質として「である」の実在性を成す。そのことが表現するのは、個々の質を全て排除しても「である」には自体的な実在性が残ることである。しかし個々の質を全て排除するなら、この自体的な実在性はその全体以外の限定を持たない。それゆえにこの自体的な実在性は、実際には実在性を持たない。すなわち自体的な実在性は、抽象された純粋存在にすぎない。一方で自体的な実在性を含めて個々の質は、その質における「である」の無限定性を否定する。その否定する力の全体は、「である」の存在を否定する絶対無として現れる。それは存在を根源的に限定する純粋無である。そしてこの根源的な限定者は、類としての存在に等しい。したがって類としての存在では実在性と否定が一体化している。それは純粋存在と純粋無の一体化である。この一体化は、「である」の否定された実在性を再び否定する。これにより「である」の空虚な実在性は、否定の否定を通じて絶対的な実在、すなわち「がある」として復帰する。
3)限定存在の「がある」としての自立
無限定を質としただけの「である」はその質を実在性として現し、なおかつその質において自らを否定する。しかしこのような否定の実在的自立を媒介にして、「である」の空虚な実在は、充実した実在としての「がある」に転じる。したがって上記に現れた「である」は、その始まりにおいて単なる限定そのものであり、確立した実在を得ていない。それは単なる否定の力として現れたものである。この単なる力は自らを無として限定することにより、ようやく自ら「がある」として実在する。このような「がある」が、限定存在する個物Etwasである。この「である」の「がある」としての自立は、自体存在の質における固有なものとそうでないものとを分離する。このうちの固有な質は特性と呼ばれ、固有ではない質はむしろ質から排除される。「成る」の終端にはこの固有ではない質が現れる。それは他者Anderesである。もし他者が限定存在の外部に擁立される場合、それは他在Andersseinとして現れる。個物と他者は、ともに限定存在する個物である。そして両者は互いにとって他者である。したがって両者の間に差異は無い。これにより他者としての個物は、自らの限定存在を失う。そこでこの乱立する個物に恣意的な限定を加えると、その個物は「これ」、すなわち此の物Diesesに成る。他者は個物にとっての他者であり、なおかつ他者はそれ自身が個物である。そのように見た他者は、他者自らにとって他者である。このように自己を喪失して現れる他者は、自己の外に自然として現れる。この他者は自己喪失において自己同一性を持たない。しかしそれは、自己同一性を持たないことにおいて自己同一性を得ている。
4)「他者との関わり」(対他存在)と「自らとの関わり」(即自存在)
個物はその変化において他在に関わる。他在に関わる個物は、個物から離れた他在であり、個物の対他存在としての「他者との関わり」である。またもともと個物は限定において自らを否定している。否定された個物は、その限定において自らの他在である。それもやはり個物にとって対他存在としての「他者との関わり」にすぎない。このような対他存在に対し、自己同一な個物は個物の即自存在として現れる。とは言え即自存在も、対他存在を媒介にして現れた「自らとの関わり」である。したがって「自らとの関わり」は、「他者との関わり」の無を自らの内に持つ。逆に言えば「他者との関わり」は、この「自らとの関わり」の否定である。したがって他者と関わる個物は、「自らとの関わり」を失っている。ただし「他者との関わり」は純粋無ではなく、「自らとの関わり」を表現する変化である。逆に「自らとの関わり」が表現するのは、「他者との関わり」である。即自存在は個物の内面であり、対他存在は個物の外面である。個物の即自存在では、質は個物自身である。しかし個物の対他存在では、質は個物の所有するものである。それゆえに即自存在は、カントにおける物自体と違い、概念的に把握され得る。ただし存在論において概念はまだ因果的な擁立を知らず、即自存在の直接態にある。この直接態は対他存在と区別されておらず、両者は一体にある。
5)規定性(規定・性状)
個物の質は、それが特性であるかないかを問わず個物の規定性として現れる。しかし個物の規定とは、個物を充実する規定性である。そうではない規定性は、単なる性状にすぎない。規定は個物の即自的な質であるが、性状は個物の対他存在に留まる。変化はもっぱら性状の変化であり、そこでは個物の規定は変化しない。しかし規定は個物の即自存在ではないので、即自存在が他在と結合すれば、規定は性状に格下げされる。逆に性状は他者の即自存在であり得るので、性状は規定に格上げされる。このような規定と性状の相互推移は規定の変化であり、単なる性状の変化ではない。規定は個物の即自的な質なので、このような相互推移において個物も他者に変化する。ここでの個物と他者は、単に異なるだけの無関係な二者ではない。変化における両者相互の否定は、両者を限定するものとして両者に内在する。両者は相互にこの否定を媒介にして自らと関わる。それゆえにここでの他者も、単に個物と異なるだけの他者ではない。なぜなら両者は自らに内在する相手の否定において相互に対立するからである。さらにここでの両者の即自存在は、自らを否定する他在のさらなる否定として現れる。したがってそれらの即自存在は、変化する二者の唯一の規定性を内在する。この唯一の規定性は、両者を結合すると同時に両者を分離するもの、すなわち限界である。
6)限界(形式)と個物一般(質料)
限界は個物における他者の無であり、かつ個物の存在である。しかし他者もまた個物なので、同様に限界を他者における個物の無とする。この関係は個物を限界づける者から限界づけられる者に格下げする。それゆえに限界は個物の始元存在になっている。限界によって個物は個物自体であり、限界において個物は質を持つ。限界は個物の否定であり、限界の先に現れる他者はその否定のさらなる否定である。したがって限界は個物が持つところの個物の無である。限界において個物と他者は、それぞれ始元存在であり、無である。すなわち個物と他者は、それぞれ限界とは別に限定存在する。限界は両者の他者として現れている。限界は形式としての無である。それに対して個物と他者は、個物一般である。すなわちそれらは形式と分けられた質料として現れる。
7)有限者の自己制限と実践
限界は個物を限定し、個物と対立する。この対立は個物の自己の内部を構成し、個物の成を呼び覚ます。これにより個物は有限者に成る。この有限者の存在は、限界を媒介にして現れた排他的な自己との関わりである。有限者は自らが無に成る限界において存在する。その有限性において有限者は余儀なく終端を持ち、滅亡する。すなわち有限者の死は、その生誕において有限者の自己の内部に胚胎されている。とは言え、この有限者の滅亡も有限者の有限性に従う。つまり滅亡それ自体はやはり滅亡する。限界もまたやはり滅亡する有限者なのである。一方で個物の自己の内部を構成する限界は、単なる限界ではなく自己制限として個物の即自存在に転じている。ところがそれにも関わらず個物の即自存在は、この自己制限と別のものである。ここでの個物の即自存在は、自己制限に対して否定的に関わっている。それゆえにこの個物の即自存在は、限界の自律的な超越として、すなわち実践として現れる。
8)自己制限と実践の統一
自己制限が個物の自己の内部を構成するのに対し、実践は自己制限の否定者として個物の即自存在を構成する。しかし両者が個物の即自存在として統一される以上、両者の対立も個物の即自存在において止揚される。すなわち自己制限と実践は同じものに成る。この同一化は有限者において自己制限の超克に等しく、有限者の限界を消滅させる。それゆえに実践する有限者は自由であり、無限定性を得ている。このような実践が可能なのは、個物が自己制限をするからであり、自己制限をするのは個物が有限者だからである。この点で自己制限をしない物体は無限者であり、無限者であるゆえに実践をしないし、実践する必要も無い。とは言え物体も限定存在するので、その規定において物体は有限性を持ち、その限りで実践する。しかしその有限性が物体の自己の内部を構成しないのであれば、その実践も単なる物理作用としてだけ現れる。
9)無限者
有限者は自己制限において実践する。感覚は有限者における自己制限であり、有限者の実践である。有限者は感覚において自己制限を捉え、その自己制限を超克する。したがって有限者における超越は可能である。それどころか有限性こそが無限定性に役割を与える。もし有限者にこのような超越がそもそも不可能であれば、有限者において自己制限は役割を持たず、有限者は感覚する必要も無い。有限者における超越不可能論、すなわち不可知論は、有限者と無限者の完全分離を前提する。しかし両者の完全分離は超越を不可能にするだけでなく、超越自体を不要にする。それは有限者における自由の不要と同義である。したがってそれはライブニッツ式の物体における自由の錯覚をも不要にする。一方でカント式の実践至上主義は、同じことを別様に唱える。それは本質から実存への遡及を否定し、矛盾に執着する。もともと有限者は、自らが無に成る限界において存在する。その矛盾した在り方は、有限者に余儀なく限界を超越させる。しかしその超越もまた有限者の実践にすぎない。したがってその無限定性もまた有限性との対立において止揚される。またそうでなければ超越は無限定で不可能なものとなる。有限者は自己制限の超越において、自らの否定を否定する。ただしその二重否定において有限者は滅亡する。しかし有限者は他の有限者となり、その無限連鎖において無限者を顕現させる。
(2019/05/03) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第一巻存在論 第一篇 第三章) 前の記事⇒(ヘーゲル大論理学 第一巻存在論 第一篇 第一章)
ヘーゲル大論理学 存在論 解題
1.抜け殻となった存在
2.弁証法と商品価値論
(1)直観主義の商品価値論
(2)使用価値の大きさとしての効用
(3)効用理論の一般的講評
(4)需給曲線と限界効用曲線
(5)価格主導の市場価格決定
(6)需給量主導の市場価格決定
(7)限界効用逓減法則
(8)限界効用の眩惑
ヘーゲル大論理学 存在論 要約 ・・・ 存在論の論理展開全体
緒論 ・・・ 始元存在
1編 質 1章 ・・・ 存在
2章 ・・・ 限定存在
3章 ・・・ 無限定存在
2編 量 1章・2章A/B・・・ 限定量・数・単位・外延量・内包量・目盛り
2章C ・・・ 量的無限定性
2章Ca ・・・ 注釈:微分法の成立1
2章Cb(1) ・・・ 注釈:微分法の成立2a
2章Cb(2) ・・・ 注釈:微分法の成立2b
2章Cc ・・・ 注釈:微分法の成立3
3章 ・・・ 量的比例
3編 度量 1章 ・・・ 比率的量
2章 ・・・ 現実的度量
3章 ・・・ 本質の生成
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