唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学概念論 解題(第一編 第三章 C 必然の推論)

2022-04-03 19:53:01 | ヘーゲル大論理学概念論

 限定存在の推論における第一格から第三格への推移は、必然の推論において再び繰り返される。そしてその反復は、必然の判断と同様に定言・仮言・選言の推論として進む。ただしその対象は、反省された表象の概念である。したがってその具体は、類が含む個別である。それゆえに反省の推論が具体の全称から始まったのと違い、必然の推論は抽象的な類から始まる。したがってその推移も、具体的な総体から帰納を媒介にして抽象的な類比に推移した反省の推論と異なる。必然の推論は、抽象的な類の定言から具体的な仮言を媒介にして抽象的な種の選言に進む。ただし反省の推論が恣意的だったのと違い、必然の推論は恣意的ではない。それゆえにその推論の概念の上に擁立されたそれらの結論は、必然である。しかしその空虚な必然の反省は、自らの必然を廃棄し、自らを自由な偶然にする。

[第三巻概念論第一編「主観性」第三章「推論」C「必然の推論」の概要]

 反省表象の推論から推移した必然概念の本質的推論の論述部位
 -概念の類把握 …具体的全体として始まり抽象的類に転じた中間辞の普遍
 -定言の推論  …結論の全称を前提に含む具体-特殊-普遍の推論。
          “全ての具体Aは特殊Bであり、全ての特殊Bは普遍Cである。ゆえに全ての具体Aは普遍Cである。”
 -仮言の推論  …結論の完全を前提に含む普遍-具体-特殊の推論。
          “普遍Aは具体Bの全体であり、具体Bの全体は特殊Cである。ゆえに普遍Aの全体は特殊Cである。”
 -選言の推論  …結論の普遍を前提に含む具体-普遍-特殊の推論。
          “具体Aは普遍Bの個別であり、普遍Bの個別は特殊Cである。ゆえに具体Aは特殊Cの個別である。”
・推論における主語と中間辞の否定は、最終的に中間辞の具体的普遍を廃棄し、それを類に純化する。


1)必然における中間辞(媒辞Mitte)

 質的推論の始まりにおいて中間辞は、推論が判断と自らを区別する上で擁立した抽象的特殊であった。しかし質的推論はその抽象を廃棄し、諸限定の全体として擁立する。ただしその中間辞の具体性は、限定存在の直接性まで廃棄していない。次に量的推論が擁立したのは、内容を持つ諸限定の必然的関係である。これにより諸限定は、今度は具体から抽象に転じる。この抽象化は諸限定の間に現れる中間辞に及ぶ。量的推論は最終的にこの中間辞の直接性を廃棄し、中間辞を類として擁立した。類は内容に満ちた抽象であるが、直接的内容ではない。同様に推論の主語述語もそれぞれ抽象的な全体であり、相互の関係は単純な包括関係に転じる。したがってその包括関係では、反省の推論に現れたような概念の無限遡及も起きない。


2)定言の推論

 必然の推論は、必然の判断と同様に定言として始まる。そして定言の推論として始まる必然の推論は、限定存在の推論と同じく具体-特殊-普遍の第一格として始まる。その主語は実体によって述語と結合されている。ここでの実体は、推論の主語・中間辞・述語の全体を貫く本質である。それゆえに主語の具体と述語の普遍、および中間辞の特殊は、それぞれ本質に即応した内容を持つ名辞であり、その相関に恣意的偶然は関与しない。したがってこの定言推論は、反省の推論のように主観的結論を前提しない。そしてこのことが定言推論に客観性を与える。しかし定言推論において主語述語の本質に現れるのは、相変わらず内容的同一である。結局その直接性は、定言推論に主観性を残す。例えば“個別Aは特殊Bである。特殊Bは類Cである。ゆえに個別Aは類Cである”は、単純に全称が消失した反省の総体推論である。ここで全称の消失がもたらす恣意的偶然を排除するのは、個別A・特殊B・類Cの内容的同一である。それは例えば現実的な色・色種別・色一般の色としての内容的同一である。しかし個別Aと類Cはどちらも実存を保っており、相互に無関心である。個別A・特殊B・類Cの内容的同一が、色の内容的同一なのか、形としての内容的同一なのか、味としての内容的同一なのかは相変わらず不定である。


3)仮言の推論

 定言推論から仮言推論への推移は、定言判断から仮言判断への推移と同じ理屈に従う。すなわちいずれにおいても、単独定言の無根拠な“Bがある”に対し、Bの他者Aが根拠として現れる。仮言判断ではそれが“AならばBである”として現れる。ただし仮言判断は、AとBの実在に言及していない。さしあたり仮言判断における主語は、判断の直接性を担う。これに対して仮言推論“AがあるならばBがある”は、Aの実在に言及する。ここでのAの実在は、推論が擁立して廃棄する中間辞として現れる。その推論は“Aの実在はBの実在である。Aは実在する。ゆえにBも実在する”である。ここでの小前提“Aの実在はBの実在”は、AとBの普遍的関係であり、次の大前提“Aは実在”は、Aの具体であり、最後の結論“Bも実在”は、具体に対応した普遍的関係の特殊である。したがって仮言推論は、普遍-具体-特殊の第二格にある。これを仮言推論と定言推論の連繋で言い換えると、“Aの限定はBを限定する。Aは限定されている。ゆえにBも限定される”となる。すなわち大前提におけるAの限定が色の限定であるなら、Bも色として限定される。


 3a)仮言における必然

 定言における無関心な主語述語の相関に対し、仮言における主語による述語に対する密接な制約は、原因と結果、根拠と帰結の因果の如く現れる。すなわちその述語は、主語の結果である。さしあたり仮言の“AならばBである”は、定言の“AはBである”における主語の不定を正している。しかもその主語による述語の制約は、因果よりも普遍的な限定である。他方で制約に現実性を与えるのは、主語の実在性である。それゆえに主語が実在を得ることで、制約は必然に転じる。つまり推論の必然は、推論の制約と主語の実在に従う。さしあたり仮言の推論では、制約は小前提に現れ、大前提に主語の実在が現れる。ここでの主語の実在は、推論の中間辞を成している。そしてこれらの構成的差異が、仮言判断と仮言推論を区別する。なおAが単にBに付帯するだけの存在なら、Aは実在しない。Aの実在は、Bの実在と等しくなければならない。すなわちここで媒介する実在と媒介される実在は、同一の実在である。このことは、仮言におけるAとBの区別の消失を表現する。


4)選言の推論

 仮言推論から選言推論への推移も、仮言判断から選言判断への推移と同じ理屈に従う。すなわち仮言推論の選言推論への特殊化は、仮言推論を定言推論の更なる具体化であると同時に更なる普遍化である。そして選言判断は、仮言判断を“Aならば、BかCかD”として完成した。その主語の具体化は、主語の完全限定を目指し、完全限定によって主語を類的普遍とした。その選言は、BとCとDに排他的に結果する。同様に選言推論は、仮言推論の主語の完全限定を目指す。ただし必然の推論での普遍は、反省の推論を経て充実した全体である。それゆえに選言推論は“AはCでもDでもない。AはBかCかDがある。ゆえにAはBである。”として現れる。ここでの小前提“AはCでもDでもない”は、Aの具体限定であり、次の大前提“AはBかCかD”は、Aの類的普遍限定であり、最後の結論“AはB”は、普遍を媒介にして現れた特殊限定である。したがってこの選言推論は、具体-普遍-特殊の第三格にある。その中間辞は普遍である。ただしこの小前提と大前提と結論はいずれも主語がAなので、大前提の普遍が結論にならなければ順不同である。したがってこの選言は、小前提と結論の位置を逆転した特殊-普遍-具体の第三格でも良いし、小前提と大前提の位置を逆転した普遍-具体-特殊や普遍-特殊-具体の第二格でも良い。
具体-普遍-特殊 …A≠C∧D、A=B∨C∨D、∴A=B
          “AはCでもDでもない。AはBかCかDである。ゆえにAはB”
特殊-普遍-具体 …A=B、A=B∨C∨D、∴A≠C∧D
          “AはB。AはBかCかDである。ゆえにAはCでもDでもない”
普遍-具体-特殊 …A=B∨C∨D、A=B、∴A≠C∧D
          “AはBかCかD。AはBである。ゆえにAはCでもDでもない”
普遍-特殊-具体 …A=B∨C∨D、A≠C∧D、∴A=B
          “AはBかCかD。AはCでもDでもない。ゆえにAはB”


 4a)選言における必然

 総体の推論を始めとした反省の推論を蓋然としたのであれば、選言の推論について羅列の総体を普遍と扱うのは、一見すると蓋然をいきなり必然に扱う飛躍である。ところが羅列の総体が全体ではないとしても、実在はその全体を持つ。したがってAがBでもCでもDでもなく、さらにそのようなA以外の何かではないなら、それがAである。すなわちAは非Aではない何かであり、すなわち非非Aである。限定の二重否定はAに復帰することで、Aが何かを確定する。それがBでもCでもDでもなければ、そのようなものがAである。それは別にBでもCでもDでもないEとしてAがリニューアルで限定されるのでも良い。ここでのAは一方でBかCかDの得体の知れない雲のような全体であり、類である。ところが他方で得たいの知れたBかCかDを除外することによりAは限定され、個別となる。それは仮言におけるAの特殊限定の究極である。ただし選言推論の小前提と大前提と結論は、どれもがAを主語とし、Aについて語るだけである。したがって選言推論は、実際には推論の体を成していない。上記4)では、さしあたり結論に普遍を持つ推論格を選言推論から除外した。しかし小前提と大前提と結論の差異が消失するなら、別にその推論の結論に普遍があっても良い。この場合に選言推論は、A=A=Aの第四格に推移する。それは仮言における主語述語の区別消失の完成である。しかし他方でそれは仮言における主語述語の否定的統一も廃棄する。すなわち選言は仮言において現れた必然も廃棄する。


 4b)媒介を廃棄した概念の実在化

 概念の外面的分裂は、仮言において否定的統一されていた。またそのように分裂するのが、仮言における概念であった。そしてその概念の外面的分裂が、推論を根拠づけた。さらに言えばこのような概念の外面的分裂は、主観と客観の分裂でもあった。ところが選言において概念の否定的統一が廃棄されるなら、概念の外面的分裂も消失する。そしてそのように仮定と結論の間に外面的分裂が無いのなら、推論は不要となる。またそのような分裂が消失するなら、概念は主観ではなく、実在する客観である。すなわち概念に対する推論の不要が、そのまま概念を実在の客観にする。この概念の実在化は、推論の推移における媒介の不要化でもある。もともと媒介を必要とするのは、自らの実在を他者に依存する主観である。媒介は、主観が依存する当の他者である。しかし概念の普遍的限定が進行すると、その概念の自立が媒介を不要にする。したがって概念の実在化は、その概念の自立の完成である。客観としての概念は、自らの実在を他者に依存せず、自らの内部に対立を内包する全体である。このような概念の即自対自的存在が、事Sacheである。事において主観は客観となる。

(2021/12/11) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 第二篇 第一章) 前の記事⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 第一篇 第三章 B)

ヘーゲル大論理学 概念論 解題
  1.存在論・本質論・概念論の各章の対応
    (1)第一章 即自的質
    (2)第二章 対自的量
    (3)第三章 復帰した質
  2.民主主義の哲学的規定
    (1)独断と対話
    (2)カント不可知論と弁証法

  3.独断と媒介
    (1)媒介的真の弁証法
    (2)目的論的価値
    (3)ヘーゲル的真の瓦解
    (4)唯物論の反撃
    (5)自由の生成

ヘーゲル大論理学 概念論 要約  ・・・ 概念論の論理展開全体 第一篇 主観性 第二篇 客観性 第三篇 理念
  冒頭部位   前半    ・・・ 本質論第三篇の概括

         後半    ・・・ 概念論の必然性
  1編 主観性 1章A・B ・・・ 普遍概念・特殊概念
           B注・C・・・ 特殊概念注釈・具体
         2章A   ・・・ 限定存在の判断
           B   ・・・ 反省の判断
           C   ・・・ 無条件判断
           D   ・・・ 概念の判断
         3章A   ・・・ 限定存在の推論
           B   ・・・ 反省の推論
           C   ・・・ 必然の推論
  2編 客観性 1章    ・・・ 機械観
         2章    ・・・ 化合観
         3章    ・・・ 目的観
  3編 理念  1章    ・・・ 生命
         2章Aa  ・・・ 分析
         2章Ab  ・・・ 綜合
         2章B   ・・・ 
         3章    ・・・ 絶対理念


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