棚ぼたで首相の座を手にした菅総理。
運の良さで総理大臣になった。 だが、その運がここに来て尽きてきたようだ。
就任早々に、気に入らない学術会議メンバーを排除し、「あれっ」と国民に思わせた。前宣伝の「苦学した農家出の庶民派」というイメージとはかけ離れた非情さにギャップを感じたからだ。
苦学した庶民派のイメージは、情に厚く正直者といったもの。なのに人を排除する非情さは真逆。どちらが本当の菅総理なのか。多くの国民はそう感じ始めた。
コロナ対応の判断間違いも、「あれっ」と期待外れを思わせた。そこへ、長男の不正接待が火を噴く。 総務大臣のとき秘書官をしていた長男。その立場を悪用したかのような接待は、許認可の便宜を図らせるためではと思わせた。その目的以外の接待など考えられないからだ。
実際に長男のいる会社は放送許認可を得ている。専門家は認可の経済的な価値は数百億円というから凄い。
この長男の不正接待で「なんだ菅総理も忖度の利権あさりかよ」と多くの国民は失望した。内閣支持率がはっきりとそれを物語る。
さらに、高額接待を受けた山田広報官のしどろもどろの国会答弁が、ますます疑惑の根深さを思わせた。中継を観ていたが、菅総理の長男が接待の席にいたのを「知らなかった」と言う。いくらなんでも無理が過ぎるだろう。こんな答弁をさせた官邸の危機管理は最低だ。
他の接待官僚らが処分される中、山田広報官は特別扱いでおとがめなしで「続投」を決めた菅総理。だが、そんなご都合主義を世論が許すわけがない。
結局は、病気入院の挙句、辞任するというお粗末な結末になってしまった。運が尽きて、けちがつくとはこんなことだ。
コロナ対策で醜態をさらした後手後手は、長男の不正接待問題でさらに後手を晒す破目に。自業自得の苦しい政権運営は一層深みにはまっていく。
運だけで上り詰めた菅総理。 政治家としての国家観は何も見えてこない。見えてこないのは、もともと持っていなかったからだろう。その政治家としての深みや厚みの無さが、顔の表情にもろに表れている。 深みや厚みの無さは、危機に対する弱さとして露呈することになる。
どんな世界であれトップリーダーは孤独だ。 ナンバーツーとは全く違う。逃げ場のない重圧と重責が24時間365日襲ってくる。
背中の荷が限界を超えたとき、最後は藁一本の重さに耐えかねてラクダは砕けてしまう。「ラストストロー」の喩えだ。
菅総理のラストストローが間近に迫ろうとしている。