Ⅱ イスラエルの歴史(旧約聖書から)
古代イスラエルはざっと2000年の歴史を持つが、第二次ユダヤ戦争(AD132~134)で敗れて完全に消滅する。滅亡してディアスポラ(Diaspora 離散とでも訳すか)となり、なんと1800年間世界を流浪する。約1800年後、第二次大戦後の1948年のイスラエル建国まで国を失う。イスラエルの歴史は、初期(族長時代)、中期(王国の時代)、後期(他国支配の時代)の三期に分けることが一般的らしい(注1)。
(1)初期 ー 族長時代(注2)
<創世記>
創世記は、天地創造の話に続いて、カインとアベルの話(兄弟殺し)、ノアの箱舟(洪水物語)、バベルの塔の話、など、殆ど伝説上の話が書かれた後、具体的な歴史の話が始まる。アブラハムの話が出発点だ(新共同訳なら11・27、フランシスコ会訳なら第二部)。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと話が続く。アブラハムは紀元前1850年頃、神から祝福と使命を受けカナン地方に移住する。イスラエル民族の祖とされ、あらゆる信仰者の父と呼ばれる。ヤコブには12人の息子がおり、イスラエルの12族の祖とされる。なかでも、ヨセフは、兄弟たちの策略でエジプトに売られ、やがてそこで出世する。カナン地方が飢饉に遭ったとき、ヤコブの一族はエジプトへ移住する。イスラエル民族はこうしてエジプトに住み着くが、400年間にわたり隷属状態となる。
<出エジプト記>
出エジプトは、イスラエル民族にとって最も重要な出来事であり、宗教体験であり、ここからユダヤ教は成立する。
イスラエル民族は、エジプトで400年間を過ごす間に人口が増え、エジプト人はイスラエル人を恐れて圧迫し始める。やがてモーゼが現れ、奴隷状態のイスラエル人を救う使命を神から授かる。神は自らの名を「わたしは、あるという者だ」と告げる(注3)。ファラオとの交渉、10の災い、過越の経緯、エジプト脱出の話が続き(注4)、紅海を渡り、40年間荒野をさまよい、マナ(聖体の前兆)の話があり、やがてシナイ山での契約(十戒)が語られる。
この40年間の荒野のさすらいがユダヤ人を鍛え上げていく。
<レビ記>
イスラエルの民の中で守られてきた律法や規定をまとめたもの(注5)。典礼規定集のような性格をもつが、バビロン捕囚後にまとめられたものという。
<民数記>
シナイ山を出て、40年間荒野を旅し、約束の地カナンに入るまでの記録。この旅のあいだに不信仰と反逆が繰り返される。なお、民数とは Numbers で、民数記は英語では The Book of Numbers だ。二度行われた人口調査を意味している。
<申命記>
約束の地を前に、モーゼがおこなった三つの説教。モーゼの遺書といえる。なお、「申命」とは漢文の素養が無いとわかりづらい言葉だが、英語では Deuteronomy で律法の写しという意味らしく、ヘブライ語では「言葉」という意味らしい。漢字では単純に命令を繰り返し申しわたすと理解しておいてよいのではないか。ここまでがいわゆるモーゼ五書である。
<ヨシュア記>
モーゼの後継者ヨシュアによるカナン攻略の記録。モーゼはヨルダン川を渡れなかったが、ヨシュアは長い戦いの後ようやくカナンの地に住み着く。
<士師記>
ヨシュア以降の150年間にわたるイスラエルの民の労苦に満ちた生活の記録。士師とは裁判官のことで、英語訳ではJudges。この時代はまだ王国は成立していない。つまり王はいない。かわりに士師たちが秩序を維持していた。逆に言えば、王国が成立すると、士師の出番は無くなる(注6)。
(2)中期 ー 王国の時代
<サムエル記・列王記>
サムエルはイスラエル最後の士師で、最初の預言者ともされる。
サウルはイスラエル最初の王。
ダビデはイスラエル王国を統一し、エルサレムを首都と定めた。イスラエル最高の王であり、王の理想像とされる。
ソロモンはダビデの子で、イスラエルの絶頂期の王。神殿を建設する。
だが、ソロモンの繁栄は長くは続かず、その子の代になると、北イスラエルと南ユダヤ王国に分裂する(BC935)。やがて、北イスラエル王国はアッシリアにより滅ぼされ(BC722)、南ユダヤ王国はバビロニアにより滅亡され、バビロン捕囚となる。ここに王国時代は終わりを告げる。
王国時代は預言者の時代でもある。預言者(注7)とは、神の言葉を代弁する人々のことだ。王が神の意志を体現しないから、神に選ばれた預言者が出て王を批判する。
(3)後期 ー 他国支配の時代
紀元前587年のバビロン捕囚以後、(ハスモン王朝の100年間を除いて)、イスラエルは常に他国の支配を受けることになる。イエスは、ローマ支配の時代に生まれる。
BC687~537 バビロン捕囚(新バビロニア)
BC538 キュロスの勅令(アケネメス朝ペルシャ帝国のキュロス二世 ユダヤ人の解放)BC333 マケドニア アレクサンドロス大王の支配
BC323 エジプト プトレマイオス朝の支配
BC200頃 シリア セレオコス朝の支配
BC163~BC63 ハスモン朝 (マカバイ記 ダニエル書)
BC63 ローマ ポンペイウスによる征服
BC37~4 ヘロデ大王の支配
AD6 イスラエルがローマの直轄領となる
AD66~70 第一次ユダヤ戦争(神殿壊滅)
AD73 最後の砦マサダ(熱心党 『ユダヤ戦記』)
AD132~134 第二次ユダヤ戦争(イスラエル消滅)
AD1948 イスラエル建国 (注8)
このように、イスラエルはバビロン捕囚後、バビロニア・ペルシャ・エジプト・シリア・ローマによって支配された。(唯一の例外はハスモン朝)。この中で独特な思想が生まれてきた。
①メシア思想 イスラエルは神の選民なのにこのような苦難に遭うのは神に従順でなかったからである。だが、メシアが現れ、民族をこの悲惨な状況から救ってくれるという思想が高まる(イザヤ書)。
②終末思想 悲惨な現状からの脱却として終末への期待が高まる。
③黙示思想 黙示文学が栄える(ダニエル書など)
④律法主義 エルサレムの神殿を失うと、異国で神殿での礼拝の代わりに律法の遵守が重視される。ここに律法学者が生まれる。王がいないため預言者も稀になり、代わって律法学者が指導権を持つようになる。
⑤ヘレニズムの影響 特にシリアのセレイコス朝はヘレニズム思想を強制したため、軋轢が生じる(マカバイ書、ダニエル書などの殉教物語)。
このような思想的背景の中で、さまざまなメシア像が生まれる。メシアはダビデの家系から出るとか、メシアは預言者であるとか、祭司であるとか、終末の審判者であるとか、政治的解放者のことだとか、いろいろなメシア像が登場する。死者の復活とか、最後の審判、とかいう思想もこの時代の産物だという。
少し長くなったので、イエスの時代背景については次稿でまとめたい。
注1 旧約聖書の分類で、よく使われるのは、モーゼ五書・歴史書・智恵文学・預言書というもの。歴史書はヨシュア記からマカバイ記まで、知恵文学はヨブ記から哀歌まで、預言書はイザヤ書からマラキ書まで、とされることが多い。これは内容から見た分類なのだろうが、実はわかったようでわかりづらい分類だ。特に、歴史という視点からみるとわかりづらい分類である。
旧約聖書にはわれわれにはなじみのない人名や地名がずらずらとでてきて、初めて聖書を読む人は戸惑うどころか呆然としてしまう。だが考えてみれば、古事記でも日本書紀でも、われわれが字も読めない、発音もできない神々がずらずらとでてくる。慣れるまではわかりづらいという点では同じだと言ったら、日本史の専門家に叱られるか。
注2 族長(patriarch)とは宗教用語で、社会科学で使う部族(tribe),氏族(clan)の長という意味ではない。族長とは古代イスラエル人の始祖を指す言葉で、現在では、意味を狭くとり、アブラハム・イサク・ヤコブ・ヤコブの12人の子どもたち・ダビデを指すという。
注3 この「あるという者」という日本語の訳語は定着しているわけではなさそうだ。聞くところによると、今年暮れに出版される予定の新しい「共同訳」ではアッと驚く訳語になるという。楽しみである。
注4 これを祝って過越祭が生まれる。ユダヤ教の三大祭りは過越祭・5旬節・幕屋祭だが、幕屋祭はキリスト教には引き継がれなかった。なお、「過越」とは日本語としてはクリスチャン以外にはなじみがない言葉だが、英語ではPassover。キリスト教では重要な典礼であり、正確な理解が必要だ。といっても広辞苑ですら、「祖先のエジプト脱出を記念する春の祭り」とあるだけだ。ちなみに、過越祭は大麦の穂が出る春の祭り、五旬節は小麦の刈り入れの時期(日本なら入梅の頃)、幕屋祭は秋の収穫祭だった。過越祭はやがて復活祭につながっていく。
注5 律法とはLawのことで、法律と訳してよいのだが、ギリシャ語ではnomos, ヘブライ語ではトーラ。狭義ではモーゼ5書を指すので、「神の命令」という意味で律法という訳語を使うようだ。日本語では律法という言葉はこれ以外の意味で使うことはまず無い。
注6 字がまぎらわしいが、日本史で使う「土師」(はじ)とは全く関係が無い。土師器とは弥生土器の一つ。
注7 当たり前すぎて言及するのも気が引けるが、預言者は予言者ではない。預言者とは神の霊を受けて神の言葉を代弁する人々のことを指し、広義ではアブラハム以下の人々を含む。だが、狭義では王国時代に現れ、王を批判した人々のことを指すことが普通である。特に王国分裂後に登場した人々で、北王国で言えば、エリア・エリシャ・ミカヤ・アモス・ホセア、南王国ではイザヤ・ミカ・ハホム・ゼファニ・ハハバクク・エレミヤなど。バビロン捕囚期にはエゼキエルや第二イザヤ、捕囚後にはハガイ・ゼカリヤ・オバデヤ・マラキ・ヨエルなどが現れる。旧約聖書には彼ら預言者の言動が事細かに記されている。かれらによれば、本来イスラエルは神に選ばれた民として、選民として、恵まれた境遇にあるはずなのに、実際には苦難の連続である。その理由は王が神に忠実ではなかったからだと考えられてきた。預言者が王を弾劾するのは大体次の二点だ。①神への不忠実、具体的には偶像崇拝をする。②非人道的な不正行為をする。王国崩壊後も預言者は登場するが、批判の対象は神の命に従わない民にも向かう。
注8 これはイスラエル寄りの表現で、パレスチナ側からはまた別の表現があるだろう。