Ⅲ イエスの時代背景
イエスが生まれ、活躍した時代背景を簡単に整理してみる。
1 政治的背景
BC6 ポンペイウスがパレスチナを征服し、ハスモン朝は終焉し、ローマの支配が始まる。
ヘロデ大王の死後、王国は3人の息子に相続された
①アルケラオ :ユダヤ・サマリア・イドマヤ
②アンティパス:ガリラヤ・ベレア
③フィリポ :テラコニテス・パタネア
AD6 アルケラオがガリア(現在のフランス)に追放され、以後ローマ直轄となり、ローマ総督が赴任する。ローマはイスラエルの自治を認め、間接統治となり、一種の二重支配となる。イスラエルの統治の頂点には最高法院(サンヘドリン)があり、70人の議員によって構成されていた。メンバーは大祭司・大土地所有者・貴族であるサドカイ派、大商人であるファリサイ派からなっていた。ポンティオ・ピラトは26~37年の5代目総督である(注1)。
2 社会的背景
社会階層から見ると(注2)
①貴族階級:大祭司・大地主・大商人(サドカイ派)
②中産階級:手工業者・小市民(ファリサイ派)
③下層民:貧農・小作人・日雇い労働者・奴隷・売春婦など民衆の大部分 「地の民」も含むが、かれらはユダヤ教からは排除されていたようだ
と区分されるようだ。
この時期は経済的には資本の集中、土地所有の集中が進み、独立自営業者が小作人に落ちこぼれたり、農奴にされていく例が多発する。農作物の価格操作により大地主や大商人が法外な利益をむさぼり、困窮した庶民から、熱心党の支持者が生まれてくる。イエスは困難な時代を生きていた。
3 宗教的背景
神殿喪失やバビロン捕囚により、律法中心主義が盛んとなり、ファリサイ派が登場してくる。預言者は姿を消し、律法学者が勢力を持ち始める。
サドカイ派:大祭司や貴族祭司からなるエリート層で保守派。モーゼ五書のみを信奉し、来世やよみがえりを信じなかった。
ファリサイ派:律法中心主義。律法の専門家である律法学者がリーダーとなる。かれらは学者であって、祭司ではない。シナゴーグ中心で、民衆の生活を圧迫する(注3)。
エッセネ派:厳格主義。律法を厳守するため荒野に行き、集団生活をしていた。ヨハネやイエスはこの影響下にあったともいわれる。
ゼロタイ(熱心党):過激な民族主義者集団。ローマへの武力反抗が中心。テロリストグループといってもよいかもしれない。66~70年の第一次ユダヤ戦争でローマに反抗する。
これらの人々にとっての「救い」の意味は異なっていた。
サドカイ派:神殿で盛大な生け贄の礼拝を行うこと
ファリサイ派:律法を完璧に守ること
エッセネ派:厳格な宗教生活をおくること
ゼロタイ:ローマとの戦いに勝利すること
地の民:貧困・病苦・圧政から解放されること
つまり、当時の時代思潮は、ローマ支配へのフラストレーションが強まり、貧富の差が拡大し、民族主義の機運が高まっていたといえる。ヨハネの黙示録の第6章をこの文脈でみんなで読んでみた。子羊が巻物の封印を解く話である。
「わたしは四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。小麦は1コイニクスで1デナリオン。大麦は3コイニクスで1デナリオン。オリーブ油とぶどう酒を損なうな」
これは6・6で、七つの封印のうち第三の封印を開くときの話だ。よくわからないが、飢饉が起きるという話のようだ(損なうなとは飢饉に備えてとっておけという意味なのかもしれない)。ちなみに、コイニクスは量の単位で約1升、1.1リットルくらいで、1日分のパンの配給量らしい。1デナリオンは1日分の労賃だという。また、神殿税は年2デナリオンで、1/10税も課され(収入の1割の課税)、そのほか人頭税、徴税人への関税もあったという。軍隊は千人隊が5隊ユダヤに駐留していた(つまり5000人の部隊)という。
イエスはこういう環境の中で宣教を始めたのである。武力に頼らず、かといって静寂主義にも陥らない宣教の道を模索し、歩み始めたのであろう。
以上がS氏の講演の要約である。わたしの視点からの要約なので不正確な点があるかもしれない。この後感想が話し合われたが、雑談会になってしまった。といってもそこでの話題は興味深いものだったので、少し私見を交えて紹介してみたい(注4)。
注1 ポンティオ・ピラトはイエスを処刑したので嫌われるが、実はかれの歴史的・宗教的評価は難しいらしい。かれはイエスを十字架につけるためにユダヤ人に渡したが、後にユダヤ人の暴動を抑えきれずにローマに戻され、自殺したとも言われる。評価が定まってはいないということなのであろう。
注2 ここでは、社会階層、社会階級という言葉を使っているが、社会学風の厳密な定義には従っていない。
注3 士師と預言者、祭司と律法学者の違いは大事だ。といっても実際には区別は難しかったのかもしれない。
注4 雑談会ではおもに二つの話題が出た。一つは最近の司教団の人事異動の話。もう一つはカトリックのカミングアウトの話。
最近の日本の司教団は大分構成が変わってきたようだ。司教団は現在18名だという。菊池大司教が岡田大司教にかわって東京大司教区の大司教になり、大阪教区の前田大司教が枢機卿に任命され、大阪教区の補佐司教にアベイヤ師、酒井師が任命され、さいたま教区の司教に山野内師(サレジオ会の現管区長)がやっと決まった。司教団は高見・前田・菊池体制となり、路線に少しは変化が生まれるのではないか、という話題になった。正平協路線にひきづられた岡田大司教の時代は終わったことになる。東京と長崎の確執が残るとはいえ、日本の司教団は新しい時代に入りつつあるようだ。日本のカトリック教会も徐々に変わっていくことであろう。特に大阪教区の補佐司教になられた酒井師はオプス・デイの司祭ということで、ひとしきり属人区のことが話題となった。この学びあいの会にはオプス・デイに非常に近い方もおられるし、距離をとっておられる方もいるが、なにせ皆高齢者なので話し合いは穏やかなものだった。現在、日本の教会が変わろうとしているのではないかという認識では共通していた。日本のカトリック教会にとって大きな歴史的区切りになるのかもしれない。
カミングアウトの話は面白かった。自分がカトリック信者であることがどこまで知られているか、という話だった。カミングアウトをアカデミックに議論し出すとキリが無いだろうが、ここではマイノリティ集団の自己公表という程度の意味で使っていて、キリスト教はマイノリティだからカミングアウトすると言ってもおかしくないのではないか、という話だった。自分が信者であることはみな「聞かれれば答える」という程度で、職場や近隣でわざわざ言って歩いてはいない、これじゃ宣教にもならないね、という話であった。子どもに信仰を伝えていくのですら一苦労なのに、人様にまで、という発言には皆さん苦笑されていた。実際にはこの学びあいの会にこられる方々は古くからの信者一家の方々ばかりである。カトリック信者の総数が徐々に減少しつつある現状の中で、ミッションスクールと家庭で細々と信者の再生産をしているだけでは縮小再生産になって了うのは致し方ないのかもしれない。もっとカミングアウトしましょうよ、で雑談は終わったが、さてさて高齢者のわれわれはもう世間が狭すぎる。