イエスはいつ、どこで生まれたのか? わかりきっている、紀元前4年、ベツレヘムで、と言われればそれまでだが、どうもそうとも言い切れないようだ。イエスの誕生物語は福音書によれば「最後に」成文化されたストーリーだ。最も大事な物語とはいえない。
「受難物語」こそ福音書にある最も大事な物語で、しかも「最古の」物語だ。受難物語は4福音書すべてに共有されている。エルサレムへの入城から処刑、十字架と埋葬にいたる一週間の物語こそ、伝承が成文化された最古のものだ。直接目撃した人々が記憶を共有して話し合ったりしていたのであろう。やがてこの伝承がさまざまなルートで成文化されていく。そしてやがて福音書という形をとってくる。
イエスがいつ、どこで生まれたか、誕生物語は信仰には関わりない事柄だし、イエスの生涯を昔風に私生涯と公生涯にわけるなら、イエスの誕生や青年時代の物語は私生涯の話で、いわば個人的な出来事である。信仰にはあまり関係ないという考え方もあるだろう。だが、実はその伝承の背後にある歴史は単純ではなさそうだ。
3 イエスの生涯
3・1 イエスの誕生
結論的言えば、イエスの誕生年は確定できていないようだ。一つには、ディオニュソス・エクシブゥス(497-550)がおこなったローマ歴754年を西暦0年とする換算が計算ミスだったからという説明もあるようだが、そもそも誕生年に関して福音書が一致していないのが大きな理由だろう。
a)マタイ福音書
普通は、マタイ福音書の2・1 「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで、お生まれになった」が、イエスの誕生年と誕生地判断の根拠とされている。ヘロデ大王はローマ歴750年死亡だから、紀元前4年だろう、ということだったらしい。
イエスの誕生に関するマタイ福音書はユニークだという。マタイだけが、占星術の学者たちの訪問を記し、マタイだけがイエスの家族のエジプトへの逃避に言及し、マタイだけがヘロデ大王による幼児虐殺を書き、マタイだけがイエスの家族のエジプトからナザレへの帰還に触れている。どれも旧約聖書の話を背景に持っており、マタイが神学的な強調をおこなっていることは明らかだ。他の箇所などを総合すると、マタイ福音書ではイエスの誕生年は6~4BCのようだ。紀元前6年から4年の間だということになる。
b)ルカ福音書
ルカもイエスはベツレヘムで誕生したと報告している。だがルカだけが報告している物語がある。ザカリアへの告知、マリアによるエリザベトの訪問、マリアの賛歌、洗礼者ヨハネの誕生と割礼、ザカリアの賛歌、人口調査時のイエスの誕生、羊飼いたちへの告知、神殿におけるイエスの割礼と奉献、神殿における早熟のイエスのエピソード。ルカはマタイとは異なり、歴史や女性や社会的弱者に強い関心を持っていたようだ。
ルカ福音書1・5は、ヘロデ大王の死以前のイエスの誕生を語っている。2・1では、ローマの属州ユダヤにおけるシリア総督キリニウスによる人口調査(6AD)以前のイエスの誕生が語られる。つまり、ルカ福音書からはイエスの生年は4BC~6ADと読み取れるという。紀元前4年から紀元後6年と随分と幅があることになる。
生年は何年でもよいともいえるが、これはイエスの公生涯を3年とするか、1年こっきりとするかに関わってくるので大事な論点であるらしい。
誕生物語以上に、イエスの「幼児物語」については聖書の中に不一致が多くあるという。たとえば「イエスの系図」の話だ。イエスは本当にダビデの家系で、ダビデの子孫だったのか。王の血統なのか。マタイとルカの系図は整合していないという。たとえば、イエスの祖父はルカによれば「エリ」なのに、マタイでは「ヤコブ」にされているという。これらはキリスト論であり、イエス論の範疇では論じきれないテーマなのであろう。
イエスの青年期は、公生涯に入る前の姿は、13歳前後の唯一の話を除いて、皆目わからない。30歳で突然宣教を始める。どこで何をしていたのか。本当に石工だったのか。外典、僞典、諸々の認められていない正典外福音書にはいろいろな話が書かれているようだが、イエスの青年時代に関してはどれにも書かれていないという。青年イエスは霧の中のようだ。といっても、考えようによっては、30~33歳のイエスは青年だったのかもしれない(注1)。
3・2 イエスの誕生地
「ナザレのイエス」とは言うが、「ベツレヘムのイエス」とは言わない。歴史的事実としてはイエスはガリラヤのナザレで生まれたというのが現在の聖書学者や歴史学者の共通の理解のようである。より正確には、イエスの確実な誕生地は知り得ない、というのが学者たちの正直な判断であろう。では、なぜイエスはベツレヘムで生まれたことになっているのか。繰り返しになるが、マタイ福音書の2・1 「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで、お生まれになった」が根拠らしい。ベトレヘムはダビデの町で、イエスがメシアならここで生まれるしかなかった、というマタイの神学的主張と理解できそうだ。
a)「ナザレのイエス」 という説明はマルコ1・24,10・47,14・67,16・6、マタイ2・23、ヨハネ18・5などにある。使徒言行録2・23 にも出てくる。「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です」。
b)イエスの誕生地 誕生地はナザレだという根拠もある。マルコ1・9 「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」。ヨハネ福音書1・45 「それはナザレ人で、ヨセフの子イエスだ」。イエスはナザレで生まれ育ったと理解できそうな表現だ。
でも、歴史的事実はそうであっても、イエスがベツレヘムの馬小屋で生まれなかったら、クリスマスのお祝いはどうなってしまうのだろう。子どもたちを悲しませるわけにもいかない気がする(苦笑)。
神学的に言っても、もしイエスがベツレヘムで生まれたのではなかったら、イエスはメシアとして、神に油注がれたものとして、ユダヤの王として、認められたのだろうか。聖書学者たちは何と答えてくれるのだろうか。
注1 この時代、「青春期」は無かっただろう。こどもからある日突然大人に変化する。大人入りする。中間の期間は制度的にはない。中世ヨーロッパで、イエスが青年として描かれたり、老人として描かれたりするが、少年イエスも描かれたりしたのだろうか。