洗礼者ヨハネが重要なのは、かれがイエスの親類、おそらくは「又従兄弟」(親同士が従兄弟)だったからではない。史的イエス論では、イエスは誰からユダヤ教を学んだのか、イエスの師匠は誰だったのか、という問いが重要だからだ。イエスは独学だったのか、それとも先生がいたのか。
洗礼者ヨハネはなにも文書を残していないという。イエスと同じだ。イエスの弟子たちはイエスの言行を記録したが、洗礼者ヨハネの弟子たちは師匠の伝記を書いたりしなかった。しかし、大貫隆『イエスという経験』によると、洗礼者ヨハネに関する資料は豊富だという。先に挙げた「源泉資料」だ。
洗礼者ヨハネとイエスの関係について考えるとき、いつも、誰でも、疑問に思うのは、イエスは神なのになぜ洗礼を受けたのか、罪人ではないのだから洗礼を受ける必要などなかったのではないか、という問いだ。そしてこの問いは、洗礼者ヨハネは本当にイエスの師匠だったのか、本当にイエスに洗礼を授けたのか、という問いにつながる。だから洗者ヨハネ(という言葉を使ってみる ついこの言葉がでてしまう)は史的イエス研究では中心的テーマの一つになっているのだろう。
1)洗礼者ヨハネ
a) 洗礼者ヨハネは、ヨセフスの『古代誌』に「『洗礼者』と呼ばれたヨハネ」という表現で登場するという。「しかしユダヤ人のある人々には、ヘロデの軍隊の敗戦は神の復讐であるように思われたが、たしかにそれは「洗礼者」と呼ばれたヨハネになされた仕業に対する正義の復讐であった。」 ヘロデによる洗礼者ヨハネの死刑の時の話であろう。
b) 根本使信 洗礼者ヨハネの根本使信は明白である。それは、「来たるべき方到来のための準備」である。マルコ1・4-7をみてみよう。「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた・・・わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履き物のひもを解く値打ちもない。」 キリストの到来を準備することだ。やがてイエスが現れる。本当にこの人がわたしが待っていた人なのだろうか、という問いから洗礼者ヨハネの使信は始まる。
2)イエスの洗礼
イエスの洗礼の話は、マルコ1・9-11,マタイ3・13-17,ルカ3・21 にある。「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」(マルコ1・9)。「洗礼を受けられた・授けられた」は3人称男性で受動態(受け身形)だという。(注1)
a) 洗礼の年代 AD28年か29年らしいが、確定できていないようだ。
b) 洗礼の場所 ヨルダン川のベトサイダ付近らしい(ガリラヤ湖の北西)。根拠はヨハネ1・40-44で、イエスはベトサイダでアンデレとペテロに出合っている。イエスの最初の弟子たちである。
c) イエスは、受洗後、活動を開始する。マルコ1・14に、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、」とある。洗礼者ヨハネの投獄後にイエスが活動を開始したことは、マタイ11・2,ルカ7・18からもわかる。
洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼に関しては、マルコとルカの間に矛盾があるとか(ルカではイエスの洗礼以前にヨハネは投獄されている)、マタイはイエスが洗礼を受けたことを断言していないとか、プロテスタント系の聖書学者の間では議論があるらしい。この問題は、ヨハネ教団とイエス教団の競合とか難しい問題につながるようだが、それは専門家の議論に任せるにして、われわれは素直に洗礼者ヨハネはイエスの師匠であり、イエスに洗礼を授けたと理解しておきたい。
3)洗礼者ヨハネとイエスの関係
この点に関する川中師の、つまりカトリック教会の説明は明解である。
a) 洗礼者ヨハネは「先駆者」(Vorlaeufer Forerunner)である マルコ1・9 「イエスは・・・ヨハネから洗礼を受けられた」から、教会は洗礼者ヨハネを「先駆者」として高く評価する。
b) だが、洗礼者ヨハネに対するイエスの優位性を強調する。ヨハネ福音書1・8「彼(洗礼者)は光ではなく、光について証しをするために来た。」 イエスの優位性は明らかである。
フルッサーの「救済史の三段階」説というのがあるという(注2)。フルッサーによると、「こうして、イエスは救済史を三つの時期に分けた。第一期は聖書の時代であり、それは洗礼者ヨハネの生涯とともに頂点に達した。第二期はイエス自身の宣教に始まった。天の王国が突入して来た時期である。第三期は誰にも分からない未来における人の子の到来と最後の審判をもって開始する。」
つまり、第一期は聖書の時代、第二期はメシアの時代、第三期は来たるべき時代、で、現在は第二期ということになる。
イエスはなぜ洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのか。イエスは「天の王国の突入」が始まることを感じ取り、その備えとして洗礼を受けた、というのが川中師の理解のようだ。では、「天の王国の突入」は、いつ、どこで、どのように始まるのか(始まっているのか)。これは、イエスは宣教の話になる。
c) 洗礼者ヨハネとイエスの使信の相違
とはいっても、洗礼者ヨハネとイエスの使信の違いは大きい。洗礼者ヨハネは終末における「裁き」の告知を強調する。禁欲主義を強調する。ルカ3・9,マタイ3・10だ。「斧はすでに木の根元に置かれている」。
他方、イエスは「よき知らせ」を告知する。洗礼者ヨハネの告知よりもっと肯定的・積極的だ。
マルコ1・14 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。これは、神の国の到来を知らせる使信だ。「神の国」を「王国」ととるならこれは大変なメッセージだ。
ルカ7・22「・・・死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」これは貧しい人への福音の告知だ。なにか励ましているように聞こえる。洗礼者ヨハネの使信とは異なっている印象を受けるがどうだろうか。ここからイエスと洗礼者ヨハネとの間に何らかの緊張関係、競合関係があったとみる聖書学者もいるようだが、それはまた別の話である。
イエスはおそらく洗礼者ヨハネのもとで学んでいた。そして彼から洗礼を受けた。やがてイエスは洗礼者ヨハネから離れ、ガリラヤへ向かう。洗礼者ヨハネのもとには多くの人が集まっていた。イエスは弟子を求めてひとりガリラヤへ向かったのかもしれない。この先は、神の国、神の支配、神の王国に関するイエスの宣教の話になる。次回に続けたい。
注1 聖書ではイエスの言動は受動態で表現されることが多いという。
注2 D・フルッサー 『ユダヤ人イエス』 2001 教文館 著者はユダヤ人で、ユダヤ教のイエス研究の史的イエス論への貢献を強調し、キリスト教の反ユダヤ主義の克服を求めているという。