加藤典洋氏が亡くなった。この5月16日だという。突然の訃報なので驚いている。71歳とはあまりにも若すぎる。
わたしは加藤氏の熱心な読者ではなかった。面識もない。かれの著作には宗教性は感じない。フランス文学出身とはいえ宗教には関心をもっていなかったようだ。だがわたしは、『敗戦後論』以前からかれを少しずつフォローしていた。それは、かれのポストモダニズム批判の姿勢が興味深かったからだ。戦後思想の評価に関してもかれは、左翼からも、また右翼からも批判を受けていたようで、その立ち位置と主張は興味深いものであった。今回ちょうど『9条入門』を読み終わったところなので、この思いはさらに強まった。
本書(2019年4月、創元社)は、憲法9条を巡る初期の歴史をあつかったもので1950年頃までをカバーしている。加藤氏は当然この後の安保での変容、安保改定から現在までの混迷をフォローする予定だったのだろうから、この早世は残念としか言いようがない。
本書の主張は複雑だが、専門書ではないので読みやすい。ポイントは、わたしのことばを使えば、「新憲法」では第一章と第二章がセットになっている、象徴天皇制と9条の平和主義がいわばバーター取引のように裏表になっている、第9条はマッカーサーと昭和天皇との激しいせめぎ合いの産物、ということのようだ。9条の平和主義(戦争放棄・軍備及び交戦権の否認)は昭和天皇の戦争責任を東京裁判(極東国際軍事裁判)で問わないための代償だった。第9条は、戦後日本が「平和の使徒として、世界の歴史の最先端にたつのだ」と命じたのは、昭和天皇でも、時の内閣総理大臣でもなく、マッカーサーだった。なぜか。マッカーサーにとり次の大統領選挙に勝利することが最大の目標であり、新憲法はそのための手段の一つであった。新しく発見された歴史的事実も紹介され、興味深かったが、9条に象徴される日本の平和主義の特性が歴史的に形成されたものであることを見事に描いている。
加藤氏は最後にこう述べる。「憲法9条の平和主義とは、このような天皇のニヒリズムをネガとする、それを反転した、からっぽな理想の姿なのではないか」。大胆な主張であり、これが左派からも、右派からも、批判を受けるものであることは容易に想像がつく。わたしにはこの主張の是非を論じる力はないが、ニヒリズムというよりは昭和天皇のリアリズムと呼んだ方がよいかもしれない。加藤氏は、評論家としては昭和天皇断罪のスタンスを長い間とってきていたようだが、ここでは昭和天皇の苦悩への深い共感が感じられる。ひさしぶりに読んで面白い本であった。