Ⅲ 第二バチカン公会議の開催経緯
1 公会議再開の試み
第1ヴァティカン公会議(第20回公会議)は、教皇ピオ9世により召集され、 1869年12月8日-1870年10月20日に開催された。 これはイタリア統一戦争(1815-1871)で1870年にローマの教皇領の残りが併合されたため中断された。つまり、この公会議は完了していなかったので、 その後、歴代の教皇はこれを補完・完成させる必要があると思っていたようだ。 ピオ(ピウス)11世(1922-1939)は1922年に、、ピオ12世(1939-1958)も1948年にその再開の準備をしようとしたが、結局は実現に漕ぎ着けなかった。
2 ヨハネ23世と公会議の準備
1958年10月ににピオ12世が死去すると、ヴェニスの大司教ロンカリ枢機卿が教皇に選出される。ヨハネ23世(1958-1963)である。高齢であったため暫定的な教皇と目されていたらしいが、なんと選出直後の1959年1月25日に枢機卿会議で公会議開催の意向を表明したのだ。これは世界中に大きな驚きを与えた。それ以降3年半にわたる準備期間が始まる。ヴァチカンは全世界の司教区、修道会、カトリック大学にアンケートを送付し、討論すべきテーマについて提案を求めた。結局、第二バチカン公会議(第21回公会議)は1962年に始まり、65年まで4回の会期が開催された。
・1960年5月10日 準備委員会発足
・1961年12月25日 公会議招集の勅書
・1962年6月20日 70の議題起草(コンガール、リュバックなど)
3 公会議の開催
1962年10月11日 開会式 2500名の司教、神学アドバイザー、オブザーバーが参加
教皇は、①教会のアジョルナメント(現代化)②エキュメニズム(教会一致) を訴えて、大きな感銘を与えた。
第一回会合では、事務局が用意した委員の候補者リストが配布されたが、あまりにも保守派の顔ぶれだけで、リエナール、フリングス枢機卿が反対し、再検討ということで会合はわずか20分で終了したという。もし事務局案でそのまま進んでいたら、第二バチカン公会議は第一バチカン公会議と変わらない凡庸な結末に終わっていただろうといわれる。この辺の経緯は他書に詳しいが、ここではネットでも読める和田幹男師の解説を紹介しておきたい。
http://mikio.wada.catholic.ne.jp/
これまでの公会議は異端説に対応するための教義の確認・確定が目的だった。だが、この第二バチカン公会議は違う。何か新たな教義をつくるのではなく、教会組織を現代世界に対応させるための「宣教・司牧」的な性格を持った公会議であった。アッジョルナメント (aggiornamento)(現代化)という言葉がこの公会議の性格をよく表している。
とはいっても、教義面でも大きな再確認がなされた。特に公会議が交付した文書は教会論と聖書論を飛躍的に発展させたという。
会期は4つある。第一会期と第二会期との間に、ヨハネ23世が逝去(1963年6月3日)、パウロ6世の選出(21日)という出来事がある。でも、第二バチカン公会議はやはり農民出身のおじいちゃん教皇ヨハネ23世と結びついている(1)。
第一会期 1962年10月11ー12月8日
典礼憲章の検討
教会一致にかんする議案
啓示憲章の検討:事務局が提出した議案はスコラ的、伝統的な啓示論であったため、改革派の複数の枢機卿が反対動議を提出する。事務局の抵抗は強硬だったが、ヨハネ23世の判断で新たな草案が作られることになる。改革が動き出す。
ヨハネ23世逝去(1963年6月3日)
パウロ6世選出(21日)
第二会期 1963年9月29日-12月4日
3つの議案が審議される:教会に関する教義憲章の議案、 司教と司教区統括に関する教令の議案、 エキュメニズムに関する教令の議案
12月4日に、典礼憲章、広報機関に関する教令が発布される
第三会期 1964年9月14日-11月21日
数多くの議案が提出された。
11月21日に、教会憲章、東方カトリック諸教会教令、エキュメニズム教令が発布される
第四会期 1965年9月14日-12月8日
多くの憲章、教令が発布される
啓示憲章(神の啓示に関する教義憲章)は11月18日に発布された
全体で、第二バチカン公会議が公表した文書は16。憲章は4、教令は9、宣言が3だ(2)。
憲章
1 啓示憲章
2 典礼憲章
3 現代世界憲章
4 教会憲章
教令
1 司教役務教令
2 司祭役務教令
3 司祭養成教令
4 修道生活教令
5 信徒使徒職教令
6 宣教活動教令
7 東方教会教令
8 エキュメニズム教令
9 広報機関教令
宣言
1 キリスト教教育宣言
2 諸宗教宣言
3 信教の自由宣言
注
1 サン・ピエトロ大聖堂のクリプタでは今でもヨハネ23世のお墓にお参りする人が一番多いと聞く。
2 これらの憲章、教令、宣言の名称は略称であり、正式には例えば啓示憲章であれば、「神の啓示に関する教義憲章(Constitutio Dogmatica de Divina Revelatione Dei Verbum):DV、『デイ・ヴェルブム』」と表記されるらしい。
憲章、教令、宣言の詳細な違いは専門書に譲るとして(『第二バチカン公会議公文書改訂公式訳』 カトリック中央協議会 2013 など)、一般には、憲章(Constitutio)は公会議が信仰・道徳に関して決めた文書、教令(Decree)は教皇の決定で副書がないもの、宣言(Declaratiio)は教会の姿勢を表明する文書、とされる。憲章が最も重要な文書であることはいうまでもない。