結局、緊急事態宣言が発令された。考えてみれば、宗教改革の時代も黒死病(ペスト)が流行っていたという。新型コロナウイルスとともに21世紀の世界は変革の時代、変動の時代へ入っていくのかもしれない。外出禁止ですることもないので庭仕事をする。
さて、キュンクのバルト論に戻ろう。キュンクは、バルト神学をきちんと評価するために、もう一度バルト神学の出発点へと戻っていく。20世紀の始まりの時期だ。
Ⅷ バルトはポストモダン的パラダイムの完成者ではない
1921年にただの田舎牧師から突然ゲッティゲン大学の改革派神学教授になってしまったバルトは一冊の本に出会う。H.ヘッペ著『福音主義的・改革派教会の教義学』(1861)である。運命の出会いと言われる。古改革派の正統主義という。バルトは、三位一体・処女降誕・陰府下り・昇天などの教義を無批判に受け入れたのではないにせよ、かれは宗教改革の伝統へ、中世のスコラ哲学へ、古教会の教父学へと立ち戻っていった。他の弁証法神学者たちはこのバルトの方向転換を批判した。立ち戻りそのものを批判したのではなく、その「方法」を批判した。バルトは当時の聖書解釈や神学を中傷し、無視したのである。
バルトはカンタベリーのアンセルムスの「理解するために信ずる credo ut intelligam 」を評価した。信仰はすべてに先立つとした。シュライエルマッハーのように、「理解した後に信仰する」という姿勢を批判した。
バルトは、信仰とはキリストのことばを知り肯定することだと定義する。そしてこの信仰とは教会のクレド(信仰告白)と同一視される。歴史的な信仰告白が「真理」だという前提の元で、『教会教義学』はクレドの反省、再検討を推し進めていく(1)。
キュンクは、『教会教義学』におけるバルトの議論の進め方はヘーゲルの精神哲学を想起させるという。この評価がバルト研究者の間で一般的なものなのかどうかはわからないが、弁証法的な議論の展開だということなのであろう。弁証法は二者択一から始まる。キュンクはバルトとヘーゲルを対照する。
①ヘーゲルは言うだろう。人はすべて経験的・抽象的なものを超えて、真に具体的・思弁的思考へと自らを高めよ。そうすれば「反省 Nach-denken」において精神の真理が開けてくる。「さもなければ」人は真の哲学者ではない。
②バルトは言うだろう。人は、あらゆる歴史的・哲学的・人間学的・心理学的な困難を心配しないで、聖書によって証言され、教会によって宣教されている神の言葉に従え。そうすれば「反省」において啓示の真理が開けてくる。「さもなければ」人は真のキリスト者ではない。
つまり、バルトは言う。キリスト教徒にとり、キリストは唯一の肉となった神の言葉であり、「ただ一つの、唯一無二の」生命の光であり、この光以外に他の光は何一つ存在しない。他の神のことばは存在しないし、他の啓示は存在しないし、存在し得ない。
こういうバルト神学の主張は完全無欠のように聞こえる。バルト学派の人々はこの主張に何も問題を見ていない。だがキュンクは言う。カトリックから見て、この主張に本当に問題はないのだろうか。
Ⅸ なお残る挑戦ー自然神学(2)
バルト学派の人々のように、内在的な「バルト・パラフレーズ」だけで済ますわけにはいかない。それはそれで立派な仕事だが、それだけでは不十分だ。批判的精神はバルトの主張なのだから、バルト神学に対しても批判的にならねばならない。
①「神の創造」が、初期バルトが言ったように垂直に上から落ちてくる神の恩恵の単なる着弾点ではないのなら(有名なバルトの比喩)、後期バルトが言ったように「神のよき業」でもあるのなら、キリスト教徒のみならずすべての人々が真の神認識ができるとという帰結がなぜ出てこないのか。
②もし神が神学的・事実的に万物の創造の始めに立っているのなら、今日の人間の問いを出発点にして認識の秩序を組み立てることが、神学的・方法的に許されないのか。バルトはすでにシュライエルマッハーに対してはそれを許していたのではないか。
③聖書の使信がキリスト教徒にとり決定的な試金石なら、なぜ神についての言説が改めて聖書に依拠しなければならないのか。
④もし非キリスト教世界の誤りについての聖書の否定的言明を受け入れるのなら、ローマ書1:20とか使徒言行録17:27が言っているように、非キリスト者も生ける神を認識できるのだと言うことをなぜ無視するのか。
実際には、後期バルトは、『和解論』などで、キリストと並んで、「他の光」、「他の真の言葉」の存在を認めるようになってきたという。かっては、例えば、仏陀はイエス・キリストの「反射光」にすぎないとか、日本の浄土宗という恩寵の宗教は単に不信仰の形式だとか言っていたが、今や、自然宗教、自然法、世界の諸宗教への新しい、肯定的評価を、暗黙のうちにだが、浮上させてきているという(3)。
だが、キュンクによると、これはバルト神学の「破綻」だという。『教会教義学』は、最初は近代からポストモダンへのパラダイム転換を成し遂げたが、第二段階では、プロテスタント正統主義・スコラ学・教父学へと遡っていき、結局一種の正統主義にたどり着いた。バルティアンは認めようとしないけれど、バルトの「啓示の実証主義」は根本から破綻しているという。
だが、キュンクはバルトを否定しているのではない。むしろその変化を肯定的に評価しているようだ。バルトは1920年代に『ローマ書』を書き直した。1930年代には教義学の最初の巻を書き直した。1960年代に、同じように、キリスト教神学を世界の諸宗教のコンテキストのなかで学び取ろうとしていたのではないか。
バルトは生涯の終わり頃、古くからの競争相手であったエミール・ブルンナー(1889-1966)と和解したという(4)。
ならば、バルトは、同じく競争相手であったルドルフ・ブルトマン(1884-1976)とも和解できるのではないか。ブルトマンは、バルト神学の根本的志向(神の神性、神の言葉、宣教と人間の信仰)を肯定しながらも、他方、自由主義神学(釈義における歴史的・批判的方法、非神話化)を放棄しようとはしなかった。バルトはブルトマンの挑戦をどのように受けて立つのか。バルトとブルトマンは二者択一の選択なのか。キュンクは二人のうちどちらを選ぶのか。
注
1 『教会教義学』の構成は、プロレゴメナ(序論のこと、具体的には「神の言葉」の検討)、神論、創造論、和解論、救済論。実際には和解論の半ばで中断しているというから、未完の書ということになる。邦訳は神の言葉Ⅰ/1から和解論Ⅳまで全36巻ある(新教出版社)。解説書はたくさんあるようだが、わたしは佐藤優『神学の履歴書』(2014)による「創造論」(1~3章)に学ぶところが多かった。啓示論や保守論の説明は佐藤流の本領発揮で面白く、田辺元(無の哲学)との比較は著者の国家観がでていて興味深い。
(教会教義学)
2 自然神学はNatural Theologyの訳語なので物理神学とも呼ばれたらしい。自然神学とは何かは議論を始めたらきりがないだろうが、キリスト教が啓示神学なのに対して、人間が理性を使って自然を観察しても神を認識できるという考え方のことをさす。この区別はキリスト教信仰は理性に反しないと主張したトマス・アクィナスから始まると言われる。トマス主義の岩下壮一師は、「信仰の神と認識の神」と呼んで区別し、「自然神教は畢竟架空論のみ・・・公教のみが真の宗教なり」と述べている(『カトリックの信仰』「緒言 宗教とは何か」)。仏教を自然神学とみなす考え方は多いが、この場合、自然神学は容易に宗教的多元論に傾いていく。
3 こういう評価がキュンク独特なのか、プロテスタント神学者のなかで一般的なものなのかはわからない。オーソドックスなバルト神学者大木英夫牧師の評価は近い(『バルト』講談社 1984 滝野川教会での若かりし頃の大木先生の説教を懐かしく思い出す この教会はカトリック信者を追い出したりはしなかった)。
4 Emil Brunner スイスのプロテスタント神学者。バルトとともに弁証法神学を展開する。ブルンナーは、人間には啓示と結びつく「結合点 Anknuepfungspunkt」があると主張してバルトと「自然神学論争」を展開し、決裂した。この論争ではバルトは自然神学を否定的に評価している(A・E・マクグラス著 芦名定道他訳 『「自然」を神学するーキリスト教自然神学の新展開』 教文館 2011)。キュンクはこれは不必要な絶交で、バルトに非があると考えているようだ。
ブルンナーは東京神学大学でも教鞭を執り、日本のプロテスタント神学への影響は大きいという。なお、「結合点」とはキリスト者が非キリスト者にも語りかけていくことで、「宣教」と言っても良さそうだ(熊沢義宣「ブルンナー」『キリスト教組織神学事典』、2002(新装版) 307頁)。
(ブルンナー)