今日の日曜日は、私どもの組に分散ミサの順番が回ってきた。朝10時の御ミサだったが出席者は30名くらいで、これが「密」かと思うほどだった。今日は待降節第3主日(B年)だが、神父様はピンク色の祭服を着ておられた。普通はこの時期は「紫」のはずだが、第3主日はクリスマスがすぐそこまで来ていると言うことで「喜びの主日」と言われるようで、ピンク色の祭服もありなのだという。きれいな色だったので目立った。
とはいえ、教会委員会からは高齢者はクリスマスのミサには出てはならぬとの仰せなので今日がクリスマス前の最後のごミサとなる。告解どころではない。教会からのクリスマス・プレゼントだと全員にご絵入りのクッキーが配られた。なんともやりきれない待降節である。
小笠原優師の『信仰の神秘』が先週やっと刊行された(1)。本書の企画者の一人である岡野さんのご厚意でさっそく入手できた。
本書は師が2年半ほど前に入門講座(最近は信仰学習会と呼ぶようだ)用のテキストとして編まれた『キリスト教のエッセンスを学ぶ』に続くテキストという位置づけのようだが、かなり独立したテキストとして書かれているようだ。つまり続けて連続して読む必要はななく、別々に学んでもよいということらしい。
実は私は本書はゲラの段階で読ませていただいてある。そのときの印象はこのブログでも紹介したことがある(2)。今日はざっと見ただけだが、印象を思いつき程度に簡単に触れてみたい。内容についてはきちんと読んでから整理してみたい。
本書の目次は以下の通りである。
第1部 キリスト教の人間観
第1章 人間であることーその特徴
第2章 人格的存在である人間
第3章 聖書の人間観
第2部 キリスト教信仰を生きる
第1章 信仰の恵みに答える生き方
第2章 自己の成長ー過ぎ越しの神秘を生きる
第3章 教会と共なる歩み
第4章 み言葉と秘跡
第5章 カトリック信者のライフスタイル
第6章 世の塩・世の光であれ
第7章 カトリック的「終活」
ゲラの段階からの変更に気づかされる。第2部第4章と第7章は新しく書き下ろされたようだ。コロナ禍に苦しむ教会にとりこの追加は意味深い。
岡野氏によると、聖書からの引用や、「コラム」「注」も少し短くなっているという。また、第3部 付録:カトリック信者の心得 は削除されているようだ。全体が422ページの大著なので致し方ないことであろう。
本書を開いて最初に受ける驚きは本書の構成の仕方だ。第1部が「キリスト教の人間観」、第2部が「キリスト教信仰を生きる」となっている。
本書の特徴は何なのだろう。本書は公教要理の「入門書」ではない。といってカトリックの「教理書」でもない。多くの司祭が物される「随筆」風の本でもない。この本に推薦の辞を寄せられた梅村昌弘横浜教区長は本書を「生きていくための手引き書であり指南書です」と述べている。では本書は「人生論」なのだろうか。
著者は「はじめに」で、本書は「キリスト教のエッセンスを生きていくための手引き書、あるいは、参考書のようなもの」と述べ、「信仰実践」を目指していると言っている。といっても実際に読んでみると内容はハウツーもの風の典礼の解説書ではなく、神学書の印象が強い。わたしは小笠原師のお説教は何度も聞いたことがあるが、いわば「小笠原節」が本書には鳴り響いている。
本書が「キリスト教の人間観」から始まっていることはとても興味深い。信仰への導きに、いわば「人間論」から入っていくのだ。教義神学の中心はキリスト論と教会論で、第3の人間論は難物だ。その内容には創造論・罪論・恩恵論など論争の絶えないテーマに満ちあふれているからだ。こういう人間論から切り込んでいくという小笠原師の思いがどこにあるのかおたずねしてみたいものである。
ちなみに、『カトリック教会のカテキズム・要約』は、第1編「信仰宣言」、第2編「キリスト教の神秘を祝う」、第3編「キリストと一致して生きる」、第4編「キリスト教の祈り」、となっている。これは、わかりやすく言うと、キリスト論・教会論・倫理論・律法論と称されることが多い。人間ではなく、イエスの話から入っていくのだ。
岩下壮一師の『カトリックの信仰』はもっとストレートで、入り方としてはオーソドックスだ。「緒言」は「宗教とは何か」ではじまり、続いて「天主」、「三位一体」、「創造と主宰」と来る。神とは何か、イエスとは誰か、という順番で話しが続き、「人間」論は第5章に置かれている。
本書が人間論から始まる点に小笠原師の意気込みが感じ取れる。これからしばらくゆっくり読んで味わってみたい。
本書の表紙(受胎告知 フラ・アンジェリコ 伊 1400~1455)
注
1 小笠原優『信仰の神秘』イー・ピックス 2020
小笠原優『キリスト教信仰のエッセンス』イー・ピックス 2018
2 「洗礼後のあゆみー下巻『信仰の神秘』2020/06/13