昨日21日に緊急事態宣言が解除されたので、学び合いの会が今日22日に急遽召集された。突然のことで出席者は少なかった。
今回は学びあいの会としては岩島師教会論の最終回である。第20章「第二バチカン公会議ー世界に開かれた教会」が紹介された(1)。
本章の内容は、第二バチカン公会議の教会論の紹介、特に『教会憲章』(およびその続きのような性格を持つ『現代世界憲章』)の紹介である。最後に岩島師による第二バチカン公会議の評価が下される(2)。
Ⅰ 第一バチカン公会議から第二バチカン公会議までの様々な教会論
ここは第一バチカン公会議以降の教会論の変遷を取り扱う。教会論をどのように整理するか、その変遷をどのように位置づけ、評価するか、は、カトリック神学者や哲学者によっていろいろあるようだ。最近は稲垣良典氏の教会論の歴史的変化の整理(3)が標準のようだが、岩島師はJ・メーラー(J・A・Moehler)(4)を中心に教会論の変化を跡づける。
1 メーラーの教会論
メーラーはプロテスタントのシュライエルマッハーらと親好を持ち、個人の内的な宗教体験を重視した神学者だ。キリスト論的な教会解釈(教会はキリストの受肉の役割の延長)をおこない、教会は神的側面と人的側面の両方を持っていて分離不可能だとした。これは、要は、教会は国家に属しているという当時の主流派の考えを批判したもののようだ。
ここでは、教会論は、①新スコラ主義的教会論→②「キリストの神秘体」論→③「神の民」論、という変化の流れのなかで説明される。いわば、伝統的な制度的教会論からどのように脱出するか、が問われたわけだ。
2 新スコラ主義的教会論
教科書神学のなかでは、メラルミーノの教会論(5)、第一バチカン公会議ラインの新スコラ主義的教会論(6)が主流であった。
岩島師は、この新スコラ主義的教会論の特徴を以下の三点にまとめている。
①教会はヒエラルヒーとして描かれる
②教会の教導権について語られる
③教会の超自然的性格(一・聖・公・使徒的)を語る
つまり、教会の公同的側面が強調されており、ローマの劣勢を反映しているという。こういうまとめの仕方では岩島師が何を言いたいのかよくはわからないが、師の批判的視点だけはあきらかだ。
3 キリストの神秘体論
教会は「キリストの神秘体」だという考え方は20世紀前半を支配した考え方だ。その根拠は、第一バチカン公会議の草稿(De ecclesia Christi、これは憲章としては意見がまとまらなかった)およびピオ12世の回勅『ミスティチ・コルポリス』(1943)だという。この考え方の特徴を岩島師は以下のようにまとめている。
①教会は単なる制度ではなく、キリストが働く内的現実である
②キリストの神秘体とローマ教会を同一視し、ローマ教皇中心、秘跡中心の教会論だ
③キリストの神秘体という考え方は、制度としての教会を更に強固にした
つまり、岩島師によれば、教会をキリストの神秘体と特徴付けることは結果的に制度的教会論を強めただけだという。
4 神の民
新しい教会論は、教会を法的・制度的組織としてではなく、「神の民」として捉えようとする。神の民とは、旧約ではイスラエルの民のことで、民は「僕・子・長子・羊の群れ・宝」などと呼ばれた。新約ではキリストを信じる者はみな神の民と呼ばれた。20世紀には、キリスト信じる者が自分を神の民として認めると、教会は自分たちだけのためだけにあるのではなく、世界の救いのためにあるという考え方を本質とするようになる。こういう新しい教会観(7)がやがて第二バチカン公会議のなかで結実していく。
(フランシスコ教皇 東京ドーム 2019)
次は、第二バチカン公会議の『教会憲章』の話になる。
注
1 実は本書は21章まであり、「教会の過去・現在・未来」と題されている。だがこの章の内容は本書全体の要約であり、岩島師教会論の整理や、岩島師の第二バチカン公会議の評価が触れられているわけではない。省略は致し方ないところであろう。
2 第二バチカン公会議は計16本の公文書を出しているが、結局はどれも教会論関係だ。キリスト論や秘跡論ではない。第二バチカン公会議が教会論に集中して議論していたことを忘れてはならない。『第2バチカン公会議 公文書全集 』 1986 南山大学 (監修)。 昨今カトリック教会についていろいろな問題提起や議論がなされてはいるが、結局はこの一次資料に立ち戻っての話になる。
また、評価と言っても、第二バチカン公会議は今から半世紀も前の出来事だ。21世紀の現在からみれば、第二バチカン公会議以後の教会の変化、教会論の発展にかんする岩島師の評価こそ重要になってくる。改めて触れてみたい。
3 稲垣良典『カトリック入門ー日本文化からのアプローチ』 2016 ちくま新書 第7章。稲垣氏は中世からの教会論の変遷を整理していて、時間軸は長い。
4 J・メーラー(J・A・Moehler)(1796-1838) ドイツのカトリック神学者。教会史の専門家でテュービンゲン学派(19世紀前半テュービンゲン大学カトリック神学部で形成された学派で、ロマン主義の影響のもとに発展・近代ドイツカトリック神学の本家)の代表者。『教会における一致』(1825)はエキュメニズム論の創始とされ、、『信仰比較論(信条論)』(1832)はカトリックとプロテスタントの教会論を比較してローマの優位性を主張しているという。
5 ベラルミーノ Bellarmino,R. 1542-1621。教会論ではいつも登場するイタリアのカトリック神学者。イエズス会・枢機卿。対抗宗教改革期の中心人物で、教会は位階制を持つ「完全な社会」だと主張してガリカニスムに対抗した。主著『異端反駁』。1930年列聖。
6 新スコラ主義という言葉はよく聞かれるが、曖昧な用語だ。教科書的に言えば、19世紀後半に起こった哲学運動で、トマス・アクィナスに代表される中世のスコラ学を復興させようとした。ルーヴェン学派ともよばれる(ルーヴェン大学はベルギーのルーヴェンにあるカトリック大学。ベルギーだがオランダ語中心らしく、フランス語系は別のようだ。現在でも世界でトップクラスの大学)。理性一辺倒ではなく信仰と理性の新たな総合を図ろうとする(例えば形而上学と科学を統合しようとする)点で、中世スコラ学と区別されるようだ。
7 岩島師は U.P.Koster(1940) を挙げているが、どういう人かはわからない。ここでは、F・カー『20世紀のカトリック神学ー新スコラ主義から婚姻神秘主義へ』2011(2007)教文館をあげておきたい。ここには、シェニュ、コンガール、スキレベークス、リュバック、K・ラーナー、ロナガン、バルタザール、キュンク、ヴィイティワ(教皇ヨハネ・パウロ二世)、ラッチンガー(教皇ベネディクト16世)の10人が紹介されている。この人たちなしに現代の教会は生まれなかった。