カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

イスラム王朝は復活するのか ー イスラム教概論19(学び合いの会)

2021-10-26 17:21:55 | 神学


 学び合いの会は7月以来三ヶ月ぶりに開催された。コロナ禍が収まりつつあるなか教会の集会室の扉が開かれたとはいえ、出席者は10人ほどであった。皆さん全員マスク姿で、雑談もままならない状態だった。

 今回のテーマは「イスラム教の歴史」と題されていた。イスラム世界の歴史をどのようにして通して語るのか、興味深いテーマだ(1)。
 キリスト教の歴史は、いろいろな語り方があるだろうが、結局は「教会史」だ。教会の歴史を学ぶことがキリスト教の歴史を学ぶことになる。
 ところが、イスラム教には教会や教皇庁に対応する組織がない。モスクを語ってもイスラムの歴史を語ることにはならない。それはイスラムの歴史は「帝国」または「国家」の歴史だからだ。帝国の成立と滅亡を語ることがイスラムの歴史を語ることになる(2)。

 帝国と言えば、イスラム世界の歴史は複雑すぎて全くわかりずらい。ローマ帝国→フランク王国→神聖ローマ帝国の流れで理解しやすい西欧史とは比較にならないほど複雑だ。あえて言えば、
アラブ帝国→イスラム帝国→トルコ帝国→民族独立 とでも言えるだろうか(3)。

 S氏は今日興味深い年表を示された。「イスラム王朝の交代表」である。イスラム世界に限定してまとめられているのが、通常の世界史対照年表と異なる(4)。
 この表を使いながらS氏は今日は、アラブ帝国(ウマイヤ朝 661-750)、イスラム帝国(アッバース朝 750-1258)にふれた後、後ウマイヤ朝(756-1031)、ファティーマ朝(909-1171)、マムルーク(奴隷軍人国家)を紹介された。そして話の中心はオスマン帝国(1299-1922)であった。歴代のイスラム帝国のなかで最強の、そして最後の世界帝国だ。そしてオスマン・トルコの支配は中世末期から20世紀まで実に600年におよぶ(5)。

1 オスマン・トルコの成立

 トルコ民族の祖先は遊牧民テユルク(トルコ)で、既に紀元前3世にはモンゴル高原で活動していたという。「鉄勒」と「突厥」の二つの民族がいたが、6世紀頃突厥を建国。その後継民族がウイグル族だという。モンゴルに負われて西・南下してイスラムと接触した。11世紀には西アジアを支配下に入れた。
1299 オスマン1世(1299-1326)即位 オスマン朝成立(オスマン家の王朝)
1389 第2代オルハン 第3代ムラト1世 コソヴォの戦い勝利
1453 コンスタンチノープル陥落(ビザンツ帝国滅亡) オスマン・トルコ世界帝国となる
1517 シリア・エジプト征服 メッカ・メディナ占拠 スルタン=カリフ制成立
1522 ロードス島攻略(ヨハネ騎士団マルタ島へ)
1538 地中海制海権獲得

2 トルコの西洋との出会い

1683 ウイーン再包囲失敗
1798 ナポレオンのエジプト遠征 中世以来のオスマンの西欧への優勢が逆転する
1699 カーロヴィッツ条約で初めて領土を喪失(対オーストリア・ポーランド・ヴェネチア)
 これ以降18世紀以来様々な近代化改革を試みる。これは社会のイスラム性を弱めた
1875 財政破綻 西欧列強の経済支配が強化
1876 憲法制定(ミドハト憲法)(6)
 バルカン半島でナショナリズムが高まり独立運動が始まる
ギリシャ独立(1830)・ルーマニア独立(1878)・ブルガリア独立(1908)
 やがて、オスマン主義からトルコ・ナショナリムへ替わり、トルコ共和国が世俗的国民国家として成立する(1923)。この共和国は脱イスラムで、ラテン文字を採用。服装の西洋化・スルタン制とカリフ制の廃止・シャリーア(イスラム法)の廃止が行われた。現在EU(欧州連合)の加盟国ではない。

3 ワッハーブとサウジ家のアラビア

 このあとサウジアラビアについても簡単に紹介された。現在のアラビアはサウジ家の支配下にあり、イスラム教のなかでもワッハーブ主義を国教とする。サウディ・アラビア王国として建国されるのは1932年だ。サウジアラビアは若い国であることを忘れてはならない。国王はメッカ、メディナの保護者を任じている。
 ワッハーブとは18世紀後半のイスラム法学者だ。急進的なイスラムの改革主義者だったようだ。ナジュドの豪族イブン・サウドはこの思想を受け入れて、宗教的・軍事的キャンペーンを興し、19世紀初頭にメッカとメディナを支配した。だがオスマン朝の命令を受けたエジプト軍によって滅ぼされた。そして20世紀初頭にイブン・サウドの子孫であるアブド・アルアジースによって再興された。これが現在のサウジアラビア王国で、絶対君主制国家である。

 

【イスラム王朝交替表】

 


1 YouTubeでは、予備校や塾の先生がイスラム教の歴史を上手に説明しておられる方が多い印象だ。世界史の話は、歴史全体についての知識が十分にないと個別の国や事件の説明はうまく出来ない。縦・横の関連をバランスよく説明するのは大変な作業だろう。高校の教科書のように流れに関係なくパラパラ説明されると全体が見えてこない。ましてやイスラム世界の話はカレントなテーマでもあるので、説明も慎重にならざるを得ない場合があるようだ。
2 帝国が解体して民族国家からなる現在のイスラム世界が単一の帝国に再編されるとは思えない。シーア派またはスンニ派が統一する、イラン・サウジアラビア・エジプト・トルコなどのどこかが統一する、タリバンやアルカイーダ・ヒズボラなどのイスラム過激派がイスラム世界を統一する、などという事態は誰も想定していない。それでもカリフ制の復活を夢見る人達がいる。
3 世界史音痴の私が言っているだけで、なんの根拠もない。
4 この表の出典は明記されていないのでわからない。
5 日本にはトルコ好きの人が多いようだが、理由はよくわからない。ヨーロッパには、特にドイツには、トルコ人が数百万人いるというが、近年の移民だけではなく、オスマン・トルコの時代から住み着いている人達も多いという。中央アジア(トルキスタン)にもイラン系、モンゴル系とならんでトルコ系が多いという(バシュトウン人・ウイグル人)。現在のエルドアン大統領はイスラム教とナショナリズムという本来は異なる(対立する)原理を結びつけてトルコの復活を夢見ているようにみえるが、専門家にはどう見えているのだろうか。
6 アジアで初めての憲法。ちなみに大日本帝国憲法発布は1889年。日本より約10年早い。

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