カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「聖霊体験」ありますか? ー 2024年聖霊降臨の主日に思う

2024-05-19 17:39:14 | 教会


 きょうは聖霊降臨の主日で、司祭の祭服はだった。ペンテコステ という言葉の方がなじみがあるかもしれない。今日で復活節の50日間が終わるということで(イエスの昇天の10日後)(1)、「教会の誕生日」とも言われるようだ(2)。

 第一朗読は使徒言行録(2:1~11)で、神父様はお説教でご自分の「聖霊体験」の話をされた。神父様は今まで三度聖霊を体験されたことがあると話し始められた。今日はその第一回目の体験を話された。神父様は、神学校に入る前、サラリーマン時代に、あるとき偶然に仕事上の上司に駅で出会い、「君はカトリックなんだってね」と話しかけられたという。これは宣教の大チャンスとばかり意気込んで説明しようとしたら、自分の口から出た言葉は「楽ですよ」という言葉だったという。楽ですとはどういう意味なのか、なぜそう言ったのか、自分でもわからなかった。これはきっと聖霊が自分に言わせたのだとあとから思ったという。自分の信仰生活は実は喜びに満たされているということを周囲に知らせることが、声高に叫ぶよりも、実は宣教になるのではないか、というお話であった(3)。

 私は聖霊を体験したことはない。思い返してもそれらしき出来事はなかった。祈ることはあっても何かを聞いた覚えはない。ただわたしの周囲には聖霊としか呼びようがないものを体験したことがあるという人は結構いる。聖霊とは「感じる」というよりはなにかむこうから「やってくる」もののようだ。聖霊体験は単なる絵空事ではなさそうだ(4)。

 ごミサの後、避難訓練があった。コロナ禍で長らくお休みだったがやっと再開された。とはいえ、年寄りは階段は怖くて降りれない上に、お聖堂のエレベーターは使ってはいけないとのことで、お聖堂にそのまま残っている方も多かったようだ。以前は建物の屋上まで歩いて登る訓練をしたものだが、今年は高齢者が増えたせいか、避難訓練どころではなかったようだ。

【祭服 赤  聖霊降臨の祝日】

 

 

1 ルカにならえば(使徒言行録)、イエスの処刑後50日目に聖霊が降臨する。ペンテコステとは「50」を指す数詞だという。イエスは復活後40日間弟子たちの前に現れ、水ではなく聖霊による洗礼を約束し、昇天の10日後に弟子たちに聖霊を派遣された。教会暦でいえば復活節は今日で終わり、明日からは通常の年間に戻るが(B年)、来週の日曜日は三位一体の主日だ。つまり、重要度でいえば歴史的に見て聖霊降臨の主日の方が三位一体の主日よりずっと上なのではないか。
2 教会に誕生日があるというのも一般には聞き慣れない話だろうが、聖霊が降臨し、いろいろな言語を話せるようになった弟子たちが布教・宣教のために各地に散らばっていったことを記念しているようだ。この言語は「異言」と訳されているが、それがヘブライ語以外の異邦人の言葉(つまりギリシャ語などの「外国語」)のことなのか、それとも聖霊によって語られる理解不能な言語のことなのか、議論は分かれているらしい。カリスマとは聖霊の賜物のことで異言はその筆頭と言われるが、いろいろな国の出身者たちの「自分の国の言葉」と理解しておくのがわかりやすい気がする。
3 今日は神父様の58歳の誕生日ということで、ごミサのあと皆でHappy Birthdayを歌ってお祝いした。叙階後二度目の誕生日ということで信徒たちの期待は大きい。
4 再建後のカト研時代の故ジョンストン師は神秘主義神学を研究する中で作務衣を着ながら「聖霊 来たりたまえ、Come Holy Spirit !」とよく祈っておられた。講演会のテーマも聖霊論が多かったが、聖霊体験を個人の体験としてのみ見るのではなく、共同体としての聖霊体験をよく論じておられた(『愛と英知の道』2017)。師はその頃は1970年代のカリスマ運動聖霊刷新運動(Pentecostal Movement)からは離れていたようだ。カトリックでの聖霊刷新運動はある時期「カリスマ刷新運動」(Charismatic Renewal)と呼ばれていたが、マリア崇敬を伴うのでプロテスタントの聖霊刷新運動とは異なる道を歩んでいた。とはいえ、これらの運動がカトリック教会内に残した傷跡は今でも消えていないように思われる。

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