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カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

仏教とキリスト教(1)(学びあいの会)

2018-01-23 22:08:40 | 神学

 2018年度の学びあいの会は仏教を取り上げることになった。3回連続の予定で、一月は第一回目で (1)仏教とはなにか と題されていた。ほとんど雪の降らない当地でも今日22日は朝から雪に見舞われた。雪の中、いつも通りの顔がそろった。予定としては以下の順番で論じられるという。○始めに ①概略(仏教とは何か)②仏教の教義③教団④日本の仏教史⑤宗派⑥大乗経典⑦日本仏教⑧キリスト教との対比。盛りだくさんのテーマで、展開が楽しみである。

 カテキスタのS氏はまず「はじめに」として、「なぜ仏教を学ぶのか」という問いから入られた。重い問いである。

 報告の紹介に入る前に、わたしの要約の視点を少し記しておきたい。私見によれば、クリスチャンによる仏教論はあまたあれど、仏教徒や僧侶によるキリスト教論は数少ない(注1)。そのなかでわれわれはカトリックの立場から仏教を学ぶ。信仰を持つ者の宗教論と、信仰を持たない者の宗教論とのあいだに違いがあるのかどうかを巡っては果てしなく議論が続いているが、この学びあいの会の立場性ははっきりしている。カトリックサイドからの議論である。中立性や実証性を装う宗教学を避けるわけではないが、かといって護教論的立場に立つわけでもない。現代日本の神仏習合的社会環境のなかで生きざるを得ないカトリックとして、虚心に仏教を学ぼうということである。
 家に仏壇を持ち、機会あるごとにお墓参りをし、仏式の葬儀に出ることの多い多くの日本人のとり、仏教のイメージは何なのか。仏教について何を知っているのか。自分の家の宗派もおぼつかない人がいるのではないか。現代日本人は仏教を、知っているようで実はなにも知らないのではないか。カトリック信徒でも成人洗礼の場合は家に仏壇がある環境で育った人も多いことだろう。仏教のことを知っているようで知らないという点ではあまり違いはないのではないか。家に仏壇のあるカトリック信徒。死んだらお寺のお墓に入らざるを得ないカトリック信徒。カトリック教会の宣教を担う信徒の中にはこういう人たちもいることを忘れてはならない。
 カトリックとして仏教を論じる時、私は三点が特に気になっている。一つは、仏教一般またはインド仏教と日本仏教をきちんと区別して考えたい。そんな明確な区別は無理だといわれても、日本のカトリック信徒が直面しているのは日本仏教だから。第二に、仏教とキリスト教の違いとか、似ている点とかに、目を向けすぎたくない。あそこが違う、ここが似ているといくらあげていっても、ああそうですか、で終わってしまう。われわれが求めるのは「日本的霊性」の発見であり、日本のキリスト教が、日本の仏教が、日本的霊性をどのように捉え、摂取し、発展させているか、を知りたい。日本のキリスト教は日本的霊性を糧にして発展していく以外に道はない。第三に、仏教とキリスト教の比較はどうしても教理・教義・神学が中心になってしまう。それはそれで大事だが、同時に信徒の社会的特性や聖職者の社会的背景などにも目を向けたい。この点では宗教社会学の知見はぜひ学んでみたいものである。

 さて、本題に入ろう。S氏は、「はじめに」の第一点として、「なぜ仏教を学ぶのか」という問いを掲げた。自分の意見として4点を指摘された。①現代は「諸宗教の神学」の時代だから ②仏教はキリスト教、イスラームとならぶ世界三大宗教だから ③仏教が日本の精神文化に与えた影響が大きいから ④仏教研究を通してキリスト教信仰を再確認したいから。
 どれももっともな指摘だが、①は若干の注釈が必要だろう。カトリック教会は仏教やイスラームなど他宗教に対する態度を、第二バチカン公会議で大きく変えた。それ以前の、他宗教をいわば邪宗扱いする独善的立場を放棄し、現在は、「他宗教に対する尊敬」、「他宗教との対話」がベースになっている。第二バチカン公会議での『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』には次のように書かれている(『カトリック教会の教え』2003 314頁にも引用されている 詳しくは『第二バチカン公会議教会憲章』2014)。

カトリック教会は、これらの諸宗教の中に見いだされる真実で尊いものを何も排斥しない。これらの諸宗教の行動と生活の様式、戒律と教義を、まじめな尊敬の念をもって考察する・・・他の宗教の信奉者との話し合いと協力を通して、彼らのもとに見いだされる精神的、道徳的富および社会的、文化的価値を認め、保存し、さらに推進するように勧告する。

 他宗教への尊敬と対話、これがカトリック教会の基本的態度である。あまり良い例ではないかもしれないが、例えば、友人が神社にお参りに行くとする。友人だから一緒についていく。友人はお賽銭を上げ、おみくじを引き、お守りを買ったりするかもしれない。自分が拝んだり、おみくじを引いたり、お守りを買ったりはしないが、友人がそうすることを止めたりはしない。友人の信仰を尊敬しているからだ。これは日常的に見られる光景であろう。

 「はじめに」の二点目として、S氏は「非仏教徒による仏教研究の限界」を指摘された。クリスチャンによる仏教論には限界があるという一般論であるとともに、自分はカトリックだから自分の仏教理解には限界があるという謙虚さの表明でもあろう。実際この学びあいの会には、仏教の某宗派の本山で責任ある地位についておられ、やがてカトリックの洗礼を受けられた方もおられ、当日も出席しておられた。他方、僧籍をもつ人は、自分の所属する宗派については教義も組織についても詳しいが、他の宗派についてはほとんど知らない、関心が無いという人も多いという。僧侶だから仏教一般について語れるというわけでもなさそうだ。例えば、真言宗のお坊さんが浄土真宗について非排他的に何を語れるのか、という問いにつながる。われわれカトリックからの仏教論は謙虚でなければならないという指摘だと受け止めた。

Ⅰ 仏教徒は何か(概略)

1・1 インド思想の時代区分

 仏教は紀元前にインドで生まれ、紀元前後に1000年にわたり隆盛を極め、13世紀頃完全に姿を消していく。仏教はインド以外の地で発展していく。仏教がインドでどのように生まれたかという問いは、仏教はインドではなぜ突然消滅したかという問いにつながる。その消滅に関してはヒンズー教による包摂説、イスラームによる侵攻説などあるようだが、思想としてみれば以下のように整理できるという。

①インダス文明(BC2500~1500)
②ヴェーダの宗教(B1500~500)
③仏教盛期(BC500~AD650)
④ヒンドゥー教(AD650~1200)
⑤イスラーム(AD1200~1851)
⑥近代ヒンドゥー教(AD1851~ 英統治以降)

 この整理がどの程度妥当かは私にはわからないが、②のヴェーダについては少し補足しておこう。ヴェーダ Vedanta はインドのアーリア文化の知的源泉、正統派神学のことで、哲学とか思想といってよい。ヴェーダはバラモン教の聖典、経典という説明が一般的なようだ(バラモン教とヒンディー教の区別は諸説あるだろうが、ここではヒンディー教とはヴェーダを聖典とするバラモン教に民間信仰が入り交じったものと考えておく)。内容としては「リーグ・アタルヴァ・サーマ・ヤジュル」があるという。S氏はこのおのおのについても説明されたが、要約すれば、リーグは神への賛歌、アタルヴァは呪文、サーマは歌詞と旋律、ヤジュルは作法のことらしい。ヴェーダはむしろウパニシャッド哲学として知られている。ウパニシャッドとはヴェーダの哲学の奥義書みたいなものを指すらしい。カト研の皆さんなら、ブラフマンとアートマンという言葉は聞かれたことがあるであろう。ブラフマンとは宇宙の原理・真理で「梵」と漢訳され、アートマンは個人の原理・真理で「我」と漢訳され、ウパニシャッドとは「梵我一如説」のことだとどこかで聞いたことがあるのではないか。インド哲学の専門家の間では色々議論があるようだが(たとえば竹村牧男『入門・哲学としての仏教』2009)、我々としては仏教の輪廻論、梵我一如論はヴェーダに源を持つとひとまず理解しておこう。
 ④のヒンドゥー教をどう理解するかも仏教をどう理解するかにかかわってくる。キリスト教とユダヤ教の関係が複雑なように、仏教とヒンドゥー教の(バラモン教の)関係も複雑なようだ。仏教はヒンドゥー教を否定したとは断言できないだろうが、ヒンドゥー教を支えるカースト制(ヴァルナとジャーティのこと ヴァルナは4つのヒエラルヒーを持ち、バラモン(祭官)・クシャトリア(武士官僚)・ヴァイシャ(平民)・シュードラ()からなる、ジャーティは世襲の職業集団のこと)を否定しようとした点がポイントだろう。ゴータマ(仏陀、お釈迦様)はバラモン出身ではなく、クシャトリア出身だった。かれはカーストを超えて教えを伝えた。これは当時のインドでは革命的な出来事であったのであろう。
 ⑤のイスラーム(イスラーム教とは言わず、イスラームと表記していることに注意)と仏教との関係も議論しだしたらキリが無いわけで、S氏も深くは触れなかった。現在のミャンマーのロヒンギャ問題もこの文脈でみるといろいろな姿がみえてくるようだが、これは別の問題である。

1・2 シャカ、ゴータマ・シッダルタ、ブッダ(BC463~383またはBC563~483)

 仏教とは何か。仏教の定義は難しそうだが、実は明解なのかもしれない。キリスト教を、「ナザレのイエスは神の子キリストであると信じる信仰」と言って良いのなら、仏教は「ゴータマ・シッダルタは悟りをえてブッダになったと信じる信仰」と言ってよいのではないか。ブッダとは覚った人、「覚者」のことだ(ここでは悟ると覚るは同義と考えている)。ゴータマ・シッダルタの生涯が説明された。仏教の創始者。シャカ族の王子として生まれ、結婚して子までもうけたが29歳で出家し、35歳で覚りをひらき、45年間にわたって布教し、80歳で入滅する。数年間の活動と30数歳で磔刑にあったイエスとはあまりにも対比的である。先行宗教から、ヨーガの技法や、解脱・修行・出家などの観念を学ぶとともに、ヴェーダ聖典を否定していく。

1・3 シャカの教え

 シャカの最初の説教を「初転法輪」という。シャカは最初自分の悟りの内容を5人の修行者に説いたという。一般に転法輪とは仏法を説くことを意味する。教義的にはブラフマン批判が中心のようだが、基本的考え方は以下の4点だという。

1 中道:快楽と苦行の中道をとる。原始仏教、部派仏教、大乗仏教に共通して一貫して流れる仏教の中心的な教え。特に、八不中道(はっぷちゅうどう)説は3世紀頃に龍樹(ナーガルジュナ)が唱えた説だ。八不とは、不滅・不生・不断・不常・不一義・不異議・不来・不去のことで、個々の事物には特定の性質がないことを知ることだという。後世の『般若心経』を貫く根本思想である。
2 四諦(したい):苦・集・滅・道。シャカが初転法輪で唱えた仏教の根本教義。諦とは真理のこと。苦諦とはこの世は苦であるという真理、集諦とは苦の原因は世の無常と人間の執着にあるという真理、滅諦とは無常の世を超え、執着をたつことが苦をなくすという真理、道諦とは苦を滅するためには八正道によるべきだという真理のこと。
3 八正道(はっしょうどう):正見・正思・正業・正命・正精進・正念・正定の八つの道。実践的な徳目のことで、例えば正見とは四諦の道理を正しく見きわめること、具体的には現実をありのまま受け止めよという徳目。以下同じような実践項目だ。八正道とは極めて実践的な方法論とでもいえよう。
4 縁起:因縁生起という意味で、物事には原因(因)や条件(縁)があって生まれるという考え。一種の存在論で、実体ではなく関係性のみがあるとする。実体論的哲学からは想像できない思想が紀元前にすでに生まれていたということである。

 こういう風に整理されるとなにかスコラ哲学みたいに聞こえるが、仏教はもっと実践的な教えのようだ。人生の実存的問題を解決するための実践的な思想体系・行為体系だといえそうだ。

1・4 結集

 結集はけつじゅうと読む。仏典、経典の編集会議のことだ。シャカの時代にインドにはすでに文字はあったようだが、神聖な言葉を文字で表すことはタブーだったので、シャカの教えはずっと口承だった。だが教えが間違って伝承されることがあった。そのためお経の編集会議が開かれた。新約聖書が編纂されてくるプロセスとそれほど違いはないだろう。キリスト教ではエルサレムの使徒会議(49年 使徒言行録15章)や公会議が思い浮かぶが、結集は4回あったという。

第一結集:シャカの死後3ヶ月後、十大弟子の呼びかけで500人が集まったという。三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)のうち、経と律がそろったという。だが文書化はされなかった。
第二結集:仏滅100年後頃に行われた。700人集まったという。戒律が検討されたが律の内容を巡って若手と長老派が分裂した。これを「根本分裂」と呼ぶらしい。若手革新派の「大衆部」と長老保守派の「上座部」に分裂し、大衆部は大乗仏教の源流となり、上座部はいわゆる小乗仏教の源流となっていく。
第三結集:仏滅後200年、恐らくBC268年アショカ王の治世に行われた。インドの最初の統一王朝マウルヤ朝時代だ。経と律の内容が確認されるとともに、論蔵(経典の注釈書、思想書)も編纂され、三蔵(ティビタカ)がすべてそろった(注2)。パーリ語で整備されたが(シャカは古代マガダ語を使っていたらしい)、パーリ語はサンスクリット語と同じくインド・ヨーロッパ語族に属するが、文字を持たない。そのため、セイロンのシンハラ文字、ミャンマーのブルマ文字、タイのシャム文字などで表記されていたという(19世紀ヨーロッパで刊行されたパーリ語の聖典はローマ字表記されたという。なお、大乗経典の多くはサンスクリット語で書かれている。いわゆる梵語だ。サンスクリット語はラテン語みたいなもので時代によって文法が変化しないようだ。つまり初期の小乗経典はパーリ語、後の大乗経典はサンスクリット語で書かれ、今でも唱えられているという)。小乗経典はまとめて「阿含教」(あごん)と呼ばれ、長阿含・中阿含・雑阿含・増阿含の4つがあるという(注3)。
第四結集:最後の第四結集は紀元二世紀なかばカニシカ王の時代にインド北部のカシミールに500人の僧侶が集まって開かれ、三蔵のそれぞれに解釈をつけたという。ここには阿含教(小乗仏教)のすべての教理・教義が網羅されているという。内容的には、縁起論・解脱論・諸行無常論・中道論から構成されているという。ただし、覚りと慈悲、つまり利己と利他の両者を強調しており、教えに矛盾もみられるという。現在の小乗仏教の国(旧セイロン現スリランカ,旧ビルマ現ミャンマー、タイなど)では歴史的事実ではないととして疑問視されているらしい。
これらは口頭伝承(アーガマ)であったが、100年後には文書化されたという説もある。だが、その真実性についてはまだ議論が続いているようだ。

 要約が少し長くなりそうなので、続きは改めて投稿してみたい。

注1 カト研の仲間にもお寺さんの生まれだという人がいた。日本社会学会でも僧籍をもつ研究者は少なくない。キチンとした調査がなされているかどうか寡聞にして知らないが、クリスチャン社会学者よりも比率としては高いのではないかという印象を持つ。
注2 仏典の数は膨大で数え切れないらしいが、内容的には経・律・論の3ジャンルに分けられるという。「経」はシャカが説いた教えで、「法華経」や「阿弥陀経」などの経典をさす。「律」は戒律のことで、仏教教団の規律をさす。殺生してはいけない、酒を飲んではいけないなどの規則の集合で、男性僧侶には250,尼僧には348の戒律があるという。「論」は経や律の注釈書、または後世の学僧が展開した思想書をさすという。この経・律・論を三蔵とよび、この三つがあって仏教の教えは完全なものになるという。この三蔵をすべて読破し自分のものとした者のことを三蔵法師と呼ぶという。例の玄奘三蔵も三蔵法師の一人らしい。
注3 小乗・大乗の「乗」とは乗り物のことで、此岸から彼岸へと渡る船のようなもののこと。大乗とは大きな乗り物、優れた乗り物の意で、多くの人が一緒に悟りの世界に行ける巨大な乗り物という意味のようだ。

 

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