3・4 マタイ福音書の「交差配列」
前回、マタイ福音書における「天の国」概念の特徴について学んだ。 このマタイ福音書の修辞構造も特徴的なので、少し触れておきたい。
カト研の皆様ならこの図に見覚えがおありだろう。このブログでも昨年6月の投稿記事で触れた記憶がある。マタイ福音書の「交差配列」である。
カト研の皆様のなかにはお詳しい方もおられるが、交差配列とはあまり聞いたことがないという人もいるかもしれない。これは Chiasm キアスム または キアスマス の訳語で、聖書の修辞構造論の一つだ(注1)。
聖書学によると聖書の修辞構造 Literary Structure には3種類あるという。①平行法 ②交差配列法 ③集中構造法。
①平行法とは、同型構造が反復される修辞のこと。例えば、ルカ11の31と32(ヨナの徴)がわかりやすい例だという。
11:31
A 南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり彼らを罪に定めるであろう。
B この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。
C ここに、ソロモンにまさるものがある。
11・32
A また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであ ろう。
B ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。
C ここに、ヨナにまさるものがある。
31節と32節が反復・対応していることが分かる。こういう書き方は聖書では一般的な方法だという。
②交差配列法とは、中心になる章や節を挟んで対応構造が見られる修辞で、中心部分を強調する手法だという。ギリシャ語のX(カイ)からとって交差配列と言うらしい。上図のマタイ福音書で言えば、第13章が中心とされていることになる。ここでは、「出来事の話」と「説教」が交互に繰り返され、真ん中の第13章が中心に据えられていることになる。きれいな交差配列になっていることに驚かされる。ここは「第三の説教」で、「神の国の秘義」の部分である。「種蒔きの譬え話」が語られる(注2)。この交差配列法は聖書のさまざまなところで使われているらしい。例えば、詩篇や箴言はこの視点から読むとわかりやすいという。
③集中構造法とは章や節が一つの中心をもつ修辞で、例えば、マタイ6:9-13などがあげられるらしい。
天におられるわたしたちの父よ、御名が聖とされますように。
御国が来ますように。
み旨が天におこなわれるとおり、地にもおこなわれますように。
今日の糧を今日お与えください。
わたしたちの負い目をお赦しください。
同じように私たちに負い目のある人を私たちも赦します。
わたしたちを誘惑に陥らないよう導き、
悪からお救いください。
(フランシスコ会訳)
この主祷文(主の祈り)をみると、「今日の糧を今日お与えください」が中心に位置していることが分かる。
集中構造法と交差配列法を区別しない考え方もあるようなので、「主の祈り」は「交差配列」ですと考えると、なにかわかりやすくなったような気がしてくる。
注1 修辞とはレトリックのことで、文章を美しく表現する技法のひとつ。
注2 麦の種とか、辛子種とかパン種とか、イエスは「種」(たね)を使った譬えをよく使う。旧訳聖書では異なった種類の種を混ぜてまくことは禁止されているらしい(申命記22・9など)。旧約では「子孫」という意味で使われることが多いらしいが、イエスは「種」を、福音、神の言葉、神の国などの象徴として使っているようだ。