この2月23日に亡くなられた富永先生の偲ぶ会の代わりに追悼講演会が5月26日にひらかれた。発起人は今田高俊氏および10人ほどの元ゼミ生だった。場所は東大本郷キャンパス法文2号館1番大教室。当日は日曜日で天気はよく、安田講堂の前は観光客で大賑わいであった。
第一部は、「富永先生の社会学を語る」で、盛山和夫・間々田孝夫・友枝敏雄の三氏が話された。第二部は、「富永先生の人を語る」で、東大の元同僚、学会の友人、新宿高校の同級生、元郵政省のチーム、財団の関係者、慶応大学の元学生さんなどが思い出を語られた。
会は2時間の予定が大幅に伸びて終わったのは5時頃だったろうか。
印象が消えないうちにに少しメモを残しておきたい。
今田氏の挨拶は簡単だが丁寧なものだった。富永社会学のピークは1970年頃だったこと、理論と実証を強調されていたこと、テーマは近代化と社会変動論だったこと、構造機能分析は1980年代には力を失っていたこと、などを簡単に紹介された。小室直樹氏の話を紹介されていたの印象的だった。
盛山氏は、富永さんのテーマは、変動論・原理論・階層論・近代化論だったと整理され、かなり詳しくご自分の理解を紹介された。
変動論では、「社会システムのパーフォーマンス水準」の測定という意味で社会指標研究に入っていったという。
原理論では機能要件分析を中心にパーソンスを超えようとしていたという。
階層論ではSSM調査にも関わったが、産業化テーゼに強くこだわっていたといいう。
近代化論は変動論の完成版という意味で取り組んでいて、ポストモダン批判は一貫していたという。盛山氏はまとめとして富永さんの方法論としての「個人主義的観点の維持」を強調しておられた。
間々田氏は経済社会学者としての富永氏を紹介された。貯蓄行動の調査はよく知られていたが、経済社会学を比較社会学の1つとして位置づけていたという。社会指標論のことのようであった。『経済と社会』というタイトルの本を完成させるのが夢だったという。ウエーバーとパーソンスが頭にあったのであろう。
友枝氏は主に学説史研究の視点から富永社会学の特徴をまとめておられた。特に、晩年はルーマン研究に熱意を注いでおられたという。友枝氏の話はおもに「池辺三山」(元東京朝日新聞主筆 富永氏の母方の祖父か)についてであった。池辺三山のジャーナリズム思想はは「欧化主義とナショナリズム」の統合にあったという。
第二部では何人かの方が個人的な思い出を語られた。富永さんは人柄がよかったので多くの人に慕われたようだ。富永さんが学会に登場したころー1960年代後半から1970年代ーは機能主義社会学とマルクス主義社会学が真正面から対立していた時代だった。だが今日の集まりにはパーソニアンだけではなく、、マルクス主義社会学者、ウエーバリアン、シュッツ流の現象学的社会学者たちの顔も見られ興味深かった。
それにしても参加者は50名ほどだったろうか。大教室に空席が目立ったのは少し寂しかった。